福田美術館で見た「君があまりにも綺麗すぎて」の続きです。
第3章は「合掌美人が綺麗すぎて」。中村貞似(1900~1982)は、大正から昭和にかけて活躍した大阪の美人画家。2歳の時、手に大火傷を負い、通常の筆の握り方ができなくなってしまいます。
それでも幼い頃から書や絵を好んで、両手で筆を挟む「合掌描き」を編み出し、ついには才能を発揮。そして、当時の大阪画壇の第一人者で、特に美人画で名を馳せていた北野恒富に師事し、画家の道へと進みました。
「一本の線を引く」ー画家にとって当たり前のことが、すでにハードルになってしまう…のハンデキャップを乗り越えて、必要最小限の線で、美を表現することに挑み、豊かな成果を得たのです。
《春粧》昭和時代
絞りの襦袢に菊水紋の豪華な帯を締めていることから、彼女は大切に育てられた裕福な家庭の娘。手には鋏を持ち、今まさに、生け終えた花を見るその表情は、やや微笑んでいます。
《蛇皮線》昭和8年(1933)
蛇の皮を使った「蛇皮線」を奏でているのは縮緬の無地の着物に、ベルベットの羽織をまとった女性。羽織はもともと男性の着物から派生したもので、音や花など、技を誇る芸事の師匠などが好んで着用するものでした。着物の装いよりも、美しい音色を聴かせようとする、彼女の自負をも描き出そうとした一作です。
《三味線》昭和23年(1948)
三味線を奏でているのは、まだ10代前半ぐらいの少女。髪もおろしたままの様子から、練習風景のようです。やや緊張感のある初々しい表情や、ものなれない手つきを見事に表現しています。背景には金箔を張り詰め、少女のみを描く変わった構図によって、三味線の音色が聞こえてくるようです。
《少女と犬》昭和43年(1968)
洋犬の散歩中に立ち止まった、黒のドレスに白のヒールと絹手袋、真珠を身に付けた裕福そうな女性。前髪を作ったショートヘア―に、カチューシャをつけた当時の流行を象徴する装いです。女性と犬から感情は感じられず、漠然とした佇まい。貞似の晩年の美人画はこのように形成され、純粋に楽しめるような作風となっていきました。
《浄韻》昭和29年(1954)
本来、美人画の美しさは華やかな着物や日本髪に象徴されますが、本作では貞似が表現したのは出家した尼僧の清らかな姿。黒髪を剃り上げた青々とした頭、法衣、袈裟の織り成す美が表現されています。彼女が唱える経文の音に着目し「浄韻」という題の作品とした、異色の美人画です。
最後に美人画投票。上村松園の《初雪》に一票入れました。
そして、ミュージアムショップで上村松園の《静御前》をモチーフにしたクリアファイルを購入。どうやら私は、上村松園の描く正統派の京美人が好きなようです。
美人画というジャンルで、上村松園の右に出る者はいない事を改めて認識した展覧会でした。
おわり