嵯峨嵐山文華館で見た「君があまりにも綺麗すぎて」の続きです。以下の文章は展示パネルから引用しました。
第2章 ①浮世絵美人画の系譜
江戸時代に確立された美人画の系譜は、明治時代に入っても継承され、さらなる花を開かせます。この時期に活躍した代表的な美人画家としては鏑木清方や北野恒富らが挙げられますが、彼らは共に浮世絵師・歌川国芳(1798~1861)からは曾孫弟子、いわば又従弟の関係にあたります。
第2章では、同じ芸術世界を基盤に持ち、同じく美人を描きながら、独自の個性を発揮して、それぞれの理想の美に迫った2人、そして師の研鑽に触れて、更に自身の個性を追求した弟子たちの見つめた「綺麗」を鑑賞しました。
以下、第2章で見た作品です。なお、鏑木清方(1898~1972)の作品は撮影禁止、伊東深水(1898~1972)の作品はブログへの投稿禁止でした。
池田蕉園(1886~1917)
《春の日》明治~大正時代
山川秀峰(1898~1944)
《春駒》大正~昭和時代(20世紀)
北野恒富(1880~1947)
《美人》大正~昭和時代(20世紀)
電気による照明がなかった時代、蝋燭の灯りで夜の時間を過ごした人々にとって、ビーズで飾られた灯篭は、複雑に光を反射し、夜目に極めて美しい印象を与えたはず。夜の闇が広がる前に、灯を入れようとする女性の姿を捉えた本作は、これから始まる春夜の時間を感じさせる印象深い一作です。
小田富弥(1895~1990)
《秋宵》大正~昭和時代(20世紀)
銀杏の葉の散る季節の宵なのか、涼しさを加えてきた時期の夜風を感じさせる一作。思いがけぬ寒さに温まろうと、酒杯を重ね過ぎたのでしょうか。酔いで火照った頬に手を当てる仕草や、こちらを覗き込むような視線は彼女の艶めかしさを引き立てています。
島成園(1892~1970)
《舞妓》大正10年(1921)
落語家が手ぬぐいを様々な仕草で使って情景を表すように、日本舞踊でもこの1枚の布が道具を演じます。極めて華やかな装いの舞妓は、今まさに踊り始めるところ。芸妓を目指して修行中の、緊張が残るまだ若い彼女の表情を成園は巧みに描き上げています。
第2章 ②物語の中の美人たち
江戸時代の浮世絵師は、しばしば歌舞伎や浄瑠璃の演目に材を得ました。近代の画家も同様に、物語に登場する女性を画題としますが、人物の内面により強く迫った作品を描きました。
岩佐古香(1885~1951)
《朝顔日記図屏風》大正~昭和時代
雨が降る中、草鞋の鼻緒が切れても見えない何かを追っているのは、人形浄瑠璃や歌舞伎の演目『生写朝顔話』の主人公、深雪。愛し合った男と、何度もすれ違う数奇な運命を辿ります。
描かれているのは、彼女が遂に再開を果たして大団円を迎える直前の、最もドラマティックな場面。失明してもなお、愛する人と生きる希望を捨てない彼女のしなやかな強さが、ポージングや細かな毛描きで表されています。
深田直城(1861~1947)
《幽霊》明治~昭和時代(19~20世紀)
上村松園(1875~1949)
《雪女》大正10年(1921)
雪の夜に現れた雪女の姿。捧げ持つ太刀の柄の金が不気味に輝いています。近松門左衛門の戯曲『雪女五枚羽子板』に登場する彼女は生前には腰元で、悪人にだまされ、室町将軍家の太刀を盗み出した上、雪の降る中で命を落としました。その後、恋人を謀略から救うために雪女となった姿を松園は描いています。
上村松園(1875~1949)
《軽女悲離別之図》 明治33年(1900)
描かれている女性は『仮名手本忠臣蔵』で有名な赤穂浪士・大石内蔵助の京での愛妾、お軽。吉良上野介への仇討ちを決意した大石が江戸に下る前夜、彼の胸中の計画を察したお軽は、別離を悲しみつつ琴を奏で、激励の意を込めて歌を口ずさみました。
浮世絵から近代絵画への移り変わりがよく分かる展示でした。それにしても美人の基準って、時代によって違うものですね。
つづく