空海―密教のルーツとマンダラ世界 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

5月24日(金)奈良国立博物館、空海展。チケット売場は長蛇の列。そこまで人を惹きつける空海って一体何者でしょう?答えは奈良国立博物館のHPや展覧会のパンフレットにありました。以下の文章はその引用です。

 

 

宝亀5年(774)讃岐国に生まれた空海は、親族に勉学の道を勧められるも、仏道に進むことを決意。延暦23年(804)遣唐使の一員として入唐し、恵果けいかより体系的な密教を伝授されました。布教活動のため、滞在期間を大幅に短縮して帰国。密教による人々の救済と護国を目指します。

 

 

体系的な密教、護国修法などが天皇や朝廷に高く評価され、空海の教えは多くの人々に受け入れられました。さらに密教への理解を広げるため、多数の著作を執筆し、日本の真言密教を確立します。承和2年(835)高野山にて入定。延喜21年(921)、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号しごうが贈られました。

 

 

「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きなん。」は、『性霊集しょうりょうしゅう』第8巻に収められた空海の言葉で、「この世の全ての物が消滅し、仏法の世界が尽きるまで、私は人々が救われることを願い続ける。」という意味をもちます。ナビゲーターの厳かな語り口で一気に密教の世界へと引き込まれました。

 

 

  第1章 密教とは ― 空海の伝えたマンダラ世界

 

空海は「密教は奥深く文筆で表し尽くすことが難しい。そこで図や絵を使って悟らない者に開き示すのだ。」と述べています。第1章では、密教世界の中心である大日如来とそれを取り囲む仏たち、胎蔵界・金剛界という2つのマンダラの世界を立体的な空間で鑑賞しました。

 

 

重文《弘法大師坐像(萬日大師)》

鎌倉時代(13~14世紀) 奈良・元興寺

 

 

国宝《五智ごち如来坐像》

平安時代(9世紀) 京都・安祥寺

空海の孫弟子である恵運が、嘉祥元年(848)に開いた安祥寺に伝わりました。量感豊かな体つきが分身のようによく似ています。寺院の創建から遠くない時期に造られたとみられ、5体すべてが揃う最も古い五智如来像です。

 

 

《両界曼荼羅 胎蔵界》

江戸時代 宝永5年(1708) 大阪・久修園院

 

 

《両界曼荼羅 金剛界》

江戸時代 宝永5年(1708) 大阪・久修園院

 

 

  第2章 密教の源流 ― 陸と海のシルクロード

 

密教は仏教発祥の地・インドにおいて誕生しました。その根本経典とされるのが『大日経』と『金剛頂経』です。『大日経』は、陸路を通って唐に入ったインド僧、善無畏ぜんむいにより漢訳され、『金剛頂経』は、海路を経て唐に入ったインド出身の金剛智こんごうちによってもたらされました。

 

 

《金剛界曼荼羅彫像群(ガンジュク出土)のうち四面毘盧遮那如来》

東部ジャワ期(10世紀)インドネシア国立中央博物館

インドネシアに密教が伝わっていた事を示す品。

 

 

  第3章 空海入唐 ― 恵果との出会いと胎蔵界・金剛界の融合

 

讃岐国に生まれた空海は、山林などでの修行を経た後、遣唐使の一員として学ぶ機会を得て唐に渡りました。そして、長安で密教の師、けい阿闍梨と運命的な出会いを果たします。

 

 

国宝《聾瞽指帰ろうこしいき下巻》

平安時代(8~9世紀) 和歌山・金剛峯寺

儒教・道教・仏教の教えを架空の人物に語らせることで比較し、仏教が最も優れていることを述べる空海の著作で、出家前24歳の時に書かれました。様々な学問を学んだ上で、空海が仏教を選んだことが分かります。

 

 

重文《弘法大師行状ぎょうじょう絵詞えことば 巻第三(部分)》

南北朝時代 康応元年(1389) 京都・教王護国寺(東寺)

空海生誕600年にあたり制作された全十二巻の絵巻。先行する空海伝絵巻諸本の内容をふまえ、東寺にまつわる独自の内容も加えた集大成というべき大作です。巻第三には、苦難の航海から師となる恵果との出会いが色鮮やかに描かれました。

 

 

一級文物《文殊菩薩坐像》

中国・唐(8世紀) 中国・西安碑林博物館

長安にあった安国寺の跡で発見されました。文殊菩薩とされますが、服装や持物は胎蔵旧図様の金剛波羅蜜菩薩に近いです。遺跡からはこの像とともに複数の密教像が見つかっており、長安での密教の興隆を物語っています。

 

 

国宝《諸尊仏龕しょそんぶつがん

中国・唐(7~8世紀) 和歌山・金剛峯寺

空海が身辺に置いたと伝えられることから枕本尊と称される三面開きの仏龕。師の惠果から受け継いだ品と言われていて、折りたたむとストゥーパ(仏塔)形になります。インド風な面貌で唐代の作と見られますが、古い時代のものを模した可能性も指摘されています。

 

 

国宝《金銅密教法具》

中国・唐(9世紀) 京都・教王護国寺(東寺)

真言宗最大の法会、後七日御修法に用いる法具。悪を砕き仏を喜ばせるという五鈷杵と五鈷鈴が金剛盤に乗るかたちをとります。空海が唐から請来した品であり、『弘法大師請来目録』にその存在が記される真言密教の至宝です。

 

 

国宝《錫杖頭しゃくじょうとう

中国・唐(9世紀) 香川・善通寺

空海の請来品と伝える錫杖の頭部。錫杖は本来山野を歩く際に持つ杖ですが、法会で振り鳴らす梵音具としても用いられました。本品は両面に阿弥陀三尊と二天を鋳表した装飾性の高い名品。尊像表現は極めて精緻で、同時期の金銅仏を思わせます。

 

 

  第4章 神護寺と東寺 ― 密教流布と護国

 

帰国した空海は、神護寺を拠点に密教の流布を行い、多くの僧侶たちが密教を学ぶようになりました。また朝廷の信頼を得た空海は、平安京の東寺を任され、密教による護国の役割も期待されていきました。

 

 

国宝《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)のうち胎蔵界》

平安時代(9世紀) 京都・神護寺

赤紫色の綾地に金銀泥で画かれた現存最古の両界曼荼羅で、高雄山神護寺に伝わることから「高雄曼荼羅」の名で広く知られています。空海が中国・唐で師匠の恵果から授けられた曼荼羅の図様をもとに、淳和天皇の御願により天長年間(824~833)に描かれたと考えられており、空海自身が直接制作に関わった現存唯一の両界曼荼羅として比類なき価値をもちます。(後略)

 

 

国宝《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)のうち金剛界》

平安時代(9世紀) 京都・神護寺

(前略)花鳥円文をあしらう綾地の巨大な画面に、金銀の流麗な線描で描き出される諸尊の端正な尊容が浮かび上がる様は、まさに日本仏教絵画史上の最高傑作と呼ぶにふさわしい。寛政5年(1793)、光格天皇の勅願で行なわれた修理以来約230年ぶりに、平成28年(2016)年から6年間にわたって行われた修理事業後、本展は初めての一般公開の機会となります。

 

 

国宝《灌頂歴名かんじょうれきみょう(部分)》

平安時代 弘仁3~4年(812~813) 京都・神護寺

高雄山寺(神護寺)において弘仁3年(812)から翌年にかけ行われた、金剛界・胎蔵界の結縁灌頂を受けた人々の名簿で、空海がその手で書きました。この灌頂は最澄の依頼がきっかけで行われたもので、筆頭に最澄の名が見えます。

 

 

国宝《尺牘せきとく久隔帖きゅうかくじょう)》

平安時代 弘仁4年(813) 奈良国立博物館

空海のもとで修行する弟子・泰範にあて、最澄が自ら筆を執った手紙です。

 

 

国宝《金剛般若経開題断簡》

平安時代(9世紀) 京都国立博物館

空海の執筆活動の息づかいを感じられる書き込みもあります。

 

 

国宝《金剛般若経開題残巻かいだいざんかん(部分)》

平安時代(9世紀) 奈良国立博物館

あらゆる執着を断つ知恵を解く説法『金剛般若経』の題名を解説し、密教の立場からその奥旨を示した空海の著作。軽妙な草書で執筆された自筆本の一部で、行間の書き込みなどによる訂正のあとが、推敲の様子を伝えています。

 

 

国宝《両界曼荼羅(西院曼荼羅〈伝真言院曼荼羅〉)のうち胎蔵界》

平安時代(9世紀) 京都・教王護国寺(東寺)

彩色の両界曼荼羅として現存最古の絵画です。宮中真言院の御七日御修法所用として伝わり、長く空海の御影堂である東寺西院に置かれました。鮮やかな色彩、秀逸な描写で表されたエキゾチックな諸尊の姿が目をひきます。

 

 

国宝《両界曼荼羅(西院曼荼羅〈伝真言院曼荼羅〉)のうち金剛界》

平安時代(9世紀)京都・教王護国寺(東寺)

彩色の両界曼荼羅として現存最古の絵画です。宮中真言院の御七日御修法所用として伝わり、長く空海の御影堂である東寺西院に置かれました。鮮やかな色彩、秀逸な描写で表されたエキゾチックな諸尊の姿が目をひきます。

 

 

  第5章 金剛峯寺と弘法大師信仰

 

仏教界において、重要な役割を担うようになっていった空海。その一方で自然の中で心静かに修行し、瞑想したいという望みを持ち続けていました。やがて朝廷の許可を得て、理想の地において金剛峯寺の建立に着手します。

 

 

重文《孔雀明王坐像》

鎌倉時代 正治2年(1200)頃 和歌山・金剛峯寺

快慶作、後鳥羽上皇御願の孔雀堂本尊。

 

 

国宝《伝船中湧現でんせんちゅうゆうげん観音像》

平安時代(12世紀) 和歌山・龍光院

空海が唐から帰る際、船に観音が現れて荒波を鎮めたといい、本図はその観音を描くと伝わります。しかし、特異な姿は実際には密教の秘法で行者を守護する別の尊格のもの。空海信仰が高まり、珍しい絵画が空海伝と結びつけられたようです。

 

 

重文《八宗論大日如来像》

鎌倉時代(13世紀) 和歌山・善集院

空海が即身成仏を証明すべく大日如来に変じたという伝説の姿を描いています。

 

 

  重重帝網の世界

 

第3章辺りまでは混雑していましたが、第4章以降は人の流れも早く、ビデオコーナーやフォトスポットは立ち寄らない人も多いのか、さほど混雑していませんでした。

 

 

立ち位置に大きな水晶玉があり、それを通して撮影。すると被写体が反対に映り込みます。空海の「重重じゅうじゅう帝網たいもう」の世界を再現したとの事でした。

 

 

重重定網とは、帝釈天の宮殿を飾る綱のこと。その綱の結び目のひとつひとつには宝珠(水晶)が取り付けられており、それらは互いに照らし、映し合った状態にあります。空海は、人間もまたこの宝珠と同じ関係にあると説きました。

 

 

人は縁なくして存在するものはない。互いに関係しあって生かされている。このことに気づく事ことそが「即身成仏」であると、空海は考えたそうです。

 

 

特設ショップでは《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》をモチーフにしたクリアファイルを購入。表に胎蔵界、裏に金剛界を描いています。

 

 

今回の展覧会は、空海の生誕1250年を記念した特別展ですが、鮮やかに修復されたこの曼荼羅をお披露目する目的もありました。

 

 

それから、京都国立博物館の雪舟展でおなじみの「きなこくるみ」を購入。荒れ狂う海を越え、遣唐使船に乗って唐へ向かう空海が描かれています。

 

 

ネットの記事によると、空海展は、5月21日(火)に来場者数が10万人を超え、最終的に延べ46万人以上を記録したそう。やはり私にようにテレビで展覧会の様子を見たりして、行きたくなった人が多いのかなと思ったりしました。