美術の中の物語③ | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

兵庫県立美術館で見た「美術の中の物語」の続きです。「Ⅲ 私とあなたの物語」では、作者自身の関心や経験から出発し、独自の物語を今ここに立ち上げ鑑賞者と共有する、美術ならではの語り口に注目しました。

 

 

  Ⅲ 私とあなたの物語

 

阿部合成(1910~1972)

《見送る人々》1938年

 

日の丸を手に、兵士を見送る顔、顔、顔。作者が日中戦争の時代に目撃した光景でしょうが、見送られる兵士は描かれていません。一方、画面の右下の異次元的な空間には、彼方に去り行くそりが見え、描かれざる主役を暗示しているように思われます。

 

 

やす(1922~2012)

<ああ我が亭主>シリーズ1991年

 

モデルの森啓は、大阪市立美術館の学芸員であった1950年代に、デモクラート美術家協会という前衛美術団体の立ち上げにも参加した人物です。世間的には立派であろう「我が亭主」の日常が、ユーモラスに暴かれています。

パートナーである作者の森泰はデモクラートにも参加するなど50年代から美術作家として活動し、大阪芸術大学の教授も務めました。

 

《森啓 大収穫ニテ喜ブノ図》

 

《ああ我が亭主》

 

《森啓 ネドコニテ音ヲ放ツ》

 

《ああ我が亭主》

 

 

丸本耕(1923~2014)

《閉じた天邪鬼あまのじゃく》1958年

 

画面に鋭く走る無数の細い線の中から、目玉を剥いた奇妙な生き物の姿が浮かび上がります。四角く閉じられた空間の中、あちこちから見られ、見返しているようです。世間が良しとすることの、あえて逆を行く天邪鬼。ここに描かれているのは作者自身の姿かもしれません。

 

 

中西まさる(1924~2015)

《日本アクロバット》1956年

 

この年の3月、アメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験では、第五福竜丸など日本の漁船も被爆しています。破壊された大地、目まぐるしく宙返りする人間たち…抽象的な表現であるだけに、それらはただ過去の話ではないとも思わせます。

 

 

小林二郎じろう(1926~2010)

《叫び》1957年頃

 

「叫び」をあげている顔も見え隠れしますが、目、口や歯、手のようなものは引き裂かれてバラバラになったまま並んでいるようにも見え、その状態こそが「叫び」であるようにも思われます。小林は前衛美術家集団「きょく」に属し、戦後、急速に民主化が進む日本社会のなかで、その矛盾や負の部分に向き合い、自分なりの表現を模索しました。

 

 

片山昭弘(1927~2013)

《日本列島シリーズ重油富士》1956年

 

小野十三郎とおざぶろうの詩集『重油富士』では、古くより「白扇逆しま」と歌われた富士が「日本陸軍産業ジェットガソリンと文字が入った/大型油槽貨車の円蓋の上に」現れます。

 

画面右下に登場するC124とは「戦車をも呑める」米軍の輸送機で「朝鮮からの帰休兵を満載し」日本上空を飛び交っていました。もはや戦後ではないと言われた1956年、日本のめざましい復興は、朝鮮戦争なくしてあり得なかったでしょう。

 

 

吉村益信ますのぶ(1932~2013)

《豚・pig lib;》1971年

 

戦後フランスで活躍したポスターデザインの巨匠レイモン・サヴィニャックが描いた、ハムの缶詰の宣伝をする絵では、愛らしい豚さんの胴体が途中からハムになっている事で、フレッシュさをアピールしています。

 

本物の豚の剥製を使って立体化したこの作品では、アピールポイントと表裏一体のブラックな物語が、ぐっと前に押し出されています。

 

 

東山嘉事かじ(1934~2006)

《モー・モー・モー》1956年

 

題名からして牛なのでしょう。確かに目玉や角、歯のようなものも描かれています。しかし全体としては生き物というよりも、煙突やパイプのような、構造物めいた形です。パイプの一方からは、もくもくと煙も上がっています。高度経済成長期が始まる頃に描かれた不思議なイメージは、家畜のように働き続ける都市、あるいは私たちの姿でしょうか?

 

 

クァク徳俊ドクチュン(1937~)

《腹話術Ⅱ》1967年

 

つやつやと盛り上がった絵肌に、引っかくように引かれた線で、ユーモラスにデフォルメされた人物が描かれています。得意げな顔で腹話術の人形を操っていますが、ご本人ばかりが目立ち、人形はこれっぽちも描かれていないような…。京都に日本人として生まれ育つも、戦後、講和条約の発効に伴い、在日韓国人になったという作者個人の物語も見過ごしてはならないでしょう。

 

 

中辻悦子(1937~)

<ひとがた>

 

谷川俊太郎の文による絵本『よるのようちえん(1998)』でも知られる中辻悦子は、長年にわたり「ひとがた」を描いてきました。限られた線と色によるひとがたは、どれもシンプルなのに、時に愛らしく時に怪しげな気配と表情に溢れています。ひょっとすると見る人それぞれの、その時々の内面を反映しているのかもしれません。

 

《内外》1983年

 

《合図ーeyesー》1990年

 

《合図ーeyesー人の形》1998年

 

《無題》2006年

 

 

中馬ちゅうま泰文やすふみ(1939~)

<Mr.Moon>1960年代後半以降

 

飛行場や球場など少しワクワク感のある場所を舞台に、お月様の顔をしたMr.Moonなる人物が版画の手法で繰り返されています。まるで次々場面が展開し、物語を繰り広げるかのよう。Mr.Moonは、60年代後半から中馬の作品に登場しています。ちょうどアポロ1号で人類が初めて月に行った時代です。

 

《エアポートにて》1977年

 

《スタジアムにて》1977年

 

 

小幡おばた正雄(1943~2010)

《結婚式》ほか

 

人物のペアと子どもの姿に「結婚式」や「お目出とうネ」「有難とうネ」といった文字が添えられています。生まれて来る命を祝い、感謝を捧げているのでしょう。どこか土偶めいた、時代を超越したスタイルで、人類共通の物語が描き出されています。ただし作者の小幡自身は生涯、結婚することはなかったそうです。他方、それ以外のモチーフには、幼い頃の作者の記憶が反映されたものもあるようです。

 

《結婚式》

 

 

 

 

《軍艦》

 

《船》

 

《花瓶》

 

 

森村泰昌(1951~)

《なにものかへのレクイエム(独裁者はどこにいる2)》2007年

 

森村は、よく知られた絵画のイメージや歴史上の人物に自ら「なる」という独自の作風で、国際的に知られる美術家です。ここでは、チャップリンの映画「独裁者」のストーリーを通じ、ヒトラーによる現実の歴史を演じています。背景には高層ビルが写り込み、二重の過去の物語が、さらに21世紀の現在にも重なりつつ再生されています。

 

 

森村泰昌(1951~)

《なにものかへのレクイエム(独裁者はどこにいる3)》2007年

 

このシリーズは、大阪中之島の中央公会堂で撮影されました。ドーム型の天井に描かれている男女はイザナギとイザナミ。松岡ひさしによる《天地開闢かいびゃく》の壁画です。重層的な森村版「独裁者」の物語に、日本神話の「国生み」の物語が重なっています。

 

 

やなぎみわ(1967~)

《案内状の部屋B1》1997年

 

おそろいの制服を着た女性たちが、地下1階に停止したエレベーターの内外に、思い思いの姿勢で佇んでいます。実写と合成による写真作品で、実は大阪のとある百貨店で撮影されました。

 

おそろいの制服を着た女性たちは、同一人物をさまざまなアングルから撮影したのでしょう。クローン人間のようで、私は強い同調圧力を感じました。

 

 

つづく