竹内栖鳳 破壊と創生のエネルギー | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

龍あけましておめでとうございます 本年もよろしくお願いいたします龍
 

新年早々更新。先月1日(金)に行った京セラ美術館の話です。

 

 

「竹内栖鳳せいほう 破壊と創生のエネルギー」を見に行きました。

 

 

ナビゲーターはボーカルグループ「LE VELVETS」の佐賀龍彦さんと、YouTuberピアニストの石井琢磨さん。竹内栖鳳の絵にクラシック系のピアノ曲という取り合わせが意外でした。

 

 

竹内栖鳳(1864~1942)は、近代京都の日本画界に最も大きな影響を与えた画家です。今回の展覧会は、若手時代から円熟期までを振り返る大規模回顧展。約130点の作品を通して、栖鳳の画業の全てを知りました。

 

 

以下、展覧会の内容です。ここからの本文はパンレットから引用しました。

 

  第1章 栖鳳登場 京都画壇の麒麟児

 

幕末京都の料理屋に生まれ、絵描きの道へ。幸野こうの楳嶺ばいれい(1844~1895)に師事。若い頃より才を発揮し、画壇にて鮮やかなデビューを果たしました。

 

《百騒一睡》1895年

左隻にスズメの大群。

 

右隻に目を閉じる洋犬。一体何を思っているのでしょうか?

 

 

《観花》1897年

踊る骸骨。過激な画題で展覧会への出品を拒否されたそう。

 

 

  第2章 栖鳳、世界へ まだ見ぬ美術を求めて

 

明治33年(1900)、パリ万博視察のため渡欧。西洋文化を学び、作品は新たなステージへ移ります。

 

《虎・獅子図》1901年

右隻には静かに横たわる虎。

 

左隻には岩に前脚をかけて背を伸ばした雄ライオンの姿が、セピア調の色彩で金地の上に描かれています。

 

 

《金獅》1901年頃

先ほどの絵とよく似ていますが…。雄ライオンを画題にした作品が多数あることから、若いころの栖鳳は、強さや権力に憧れていたのかもしれません。なお、この作品は、本展のポスターに採用されました。

 

 

《大獅子図》1902年頃

アントワープの動物園でライオンの実物に熱中。大迫力の獅子が皆を驚かせました。

 

 

《羅馬遺跡図》1903年

ローマの遺跡を描いたとされる貴重な作品。

 

 

《羅馬之図》1903年

同じくローマの遺跡を描いた作品。六曲一双の屏風です。

 

左隻

 

右隻

 

 

《ベニスの月》1904年

水墨画の手法で描く、世界の風景。水の都の静かな夜。

 

 

《象図》1904年

 左隻は横から見た象。ショーをしている最中です。

 

右隻は正面から見た象。どことなく哀しげな眼に感じられるのは、人間の見世物にされているからでしょうか?

 

 

  第3章 日本画は一度破壊すべし 新しい時代へ

 

明治40年(1907)文部省美術展覧会が開設されます。栖鳳は開設当初から京都画壇の代表として出品を重ね、将来の美術はどうあるべきか、模索の中、日本画の破壊と創生へ舵を切りました。

 

《アレ夕立に》1909年

舞妓のしなやかな動きを表現し、「京都的」と評されました。装飾と写実を高度に調和させた一作です。

 

 

《絵になる最初》1913年

第7回文展出品作。題名は、絵を描くために呼んだ女性モデルがヌードになる前の、恥じらった一瞬を描いている事に由来します。対照的に、体を覆う着物の柄は目を見張る大胆なデザイン。人物と着物のコントラストが絶妙です。

 

京都市美術館所蔵で撮影可能でした。下絵は消しゴムで消した跡、鉛筆で描き足した跡などが多数あり、試行錯誤の末に完成したものと見受けられます。

 

 

  第4章 躍動する写生

 

対象を徹底して見つめ、うつす「写生」。決まった型を脱却し、新鮮で生き生きとした筆づかいは栖鳳の代名詞となりました。

 

《蹴合》1926年

暴れまわる闘鶏。羽の音が聞こえそうな迫力の写生表現です。

 

 

《秋興》1927年

柔らかく、ふわふわした羽毛。この絵を見た時、ここまで質感を表現できるものか!と感心しました。

 

 

  第5章 栖鳳、旅に出る 心の風景を探して

 

旅が大好きだった栖鳳。中国、潮來、湯河原など、心に刻んだ光景を絵にしました。

 

《南清風色》1926年頃

憧れの中国を描いた作品。街のざわつきが生き生きとしています。

 

 

《潮沙去来》1930年

目が覚めるような青。

 

心が洗われるような波の白。荒波に向かう漁師の姿、獲った魚を狙う烏の集団が描かれています。

 

 

  第6章 生き物たちの賛歌

 

卓越した写生から、動物を描いては匂いまで表すと評された栖鳳。身近な動物こそ、彼の十八番でした。

 

《清閑》1935年頃

見ているものを笑顔にする、穏やかな寝顔。ちらりと見える肉球もかわいい、栖鳳のお茶目な一面が垣間見れる作品です。

 

 

《夏鹿》1936年

左隻に一匹の鹿。

 

右隻に群れる鹿。仲睦まじい様子が描かれています。

 

 

《平和》1939年

戦時中に描いた作品。ちなみに昭和14年(1939)はうさぎ年でした。

 

 

雄風ゆうふう》1940年

紀元2600年奉祝美術展出品作。虎と蘇鉄の組み合わせが各隻に描かれています。京都市美術館所蔵で撮影可能でした。

 

 

右隻では、曲がりながら伸びる蘇鉄に寄り添うように、体をくねらせて歩く活動的な虎を描き、左隻では、上に伸びる蘇鉄に対して地面に寝そべり休む虎を描いています。

 

 

 

筆致は早く軽やかで、細い線と色面を用い、かすれやにじみを自在に駆使しながら表現。下絵と比べてみても、下絵の線にある初発性が本画になっても失われず、新鮮な画面作りが成功していることが見て取れます。

 

 

 

  京セラ美術館について

 

途中、「天の中庭」に寄りました。

 

 

手前に、山口牧夫(1927~2001)の彫刻作品《鞍(1983)》。

 

 

奥に清水九兵衛(1922~2006)の彫刻作品《朱態(1988)》があります。

 

 

展示室を出た後は、東山キューブへ。MUCA展はまたの機会にして。

 

 

お庭の紅葉が綺麗。

 

 

トライアングルの作品を見ている間に、日没を迎えたよう。

 

 

京セラ美術館のライトアップはクリスマスバージョン。

 

 

京都駅行きのバスに乗り、次の目的地に向かいました。