如春斎、再び!画人たちの仏教絵画 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

11月24日(金)午前。西宮市大谷記念美術館。

 

 

「如春斎、再び!画人たちの仏教絵画」を見に行きました。分からなさ過ぎて退屈しないか不安でしたが、それは杞憂。特に勝部如春斎じょしゅんさい(1721~1784)と原在中(1750~1837)の「三十三観音図」全幅を一堂に配した光景はとても迫力があり、圧倒されました。

 

 

それでは、展覧会の内容です。以下の本文は美術館のHPから引用しました。

 

 

仏画について

 

仏教絵画(仏画)は、仏教が日本に伝わった6世紀半ばから、その教えを広めるために描かれてきました。仏画を専門に描く仏絵師の他、様々な絵師が活躍しましたが、江戸時代になると、幕府の推進した檀家制度によって、より仏画の需要が増し、更に多くの絵師たちが制作を手がけることになります。

 

 

仏画を描くことは江戸時代の画人たちにとって、重要な仕事の一つでした。定式に則って描かれたものがほとんどですが、作品からはそれぞれの個性も十分に感じられます。

 

 

1 勝部如春斎「三十三観音図」(1763年頃)を一堂に

 

如春斎が妻の三回忌を期に、地元西宮の茂松庵(現・茂松寺)へ寄進した仏画です。明兆みんちょう(1352~1431)「三十三観音図」(東福寺蔵)の図様を忠実に踏襲しており、背景には狩野派ならではの水墨山水の描写がみられます。

 

《中尊比丘比丘尼優婆塞優婆夷身(三十三観音図のうち)》

 

 

2 原在中「三十三観音図」(1793年)を一堂に

 

本作には大典顕常だいてんけんじょうの経文があり、酬恩庵一休寺に伝わりました。明兆「三十三観音図」(東福寺蔵)の図様を踏襲しつつも、大和絵の技法を用い、色彩豊かで華やかな画面に仕上げられています。

 

《中尊現比丘比丘尼優婆塞優婆夷身(三十三観音図のうち)》

 

 

他、酬恩庵一休寺に伝わる原在中の《涅槃図(1795)》や、宝永4年の銘がある茂松寺の《涅槃図(1707)》の展示がありました。

 

 

3 狩野派の仏教絵画を中心に 白隠(はくいん)、遂翁元盧(すいおうげんろ)も

 

仏画は狩野派の重要な画業の一つでした。狩野探幽も多くの仏画を制作しましたが、狩野派に学んだ皇室や公家、大名家にも浸透し、彼らも信仰とともに仏画を描きました。

 

久隅くすみ守景もりかげの娘、清原きよはら雪信ゆきのぶ(1643?~1682)

《白衣観音図》17世紀後半

 

 

後水尾天皇の皇女で狩野安信やすのぶに学んだ林丘寺りんきゅうじ光子てるこ内親王(1634~1727)

《白衣観音之図》17世紀後半~18世紀前半

 

 

4 円山四条派、大坂の仏教絵画

 

最後に、円山・四条派の画人たちが制作した仏画を見ました。

 

呉春ごしゅん(1752~1811)

《地蔵尊図》1787~95年

 

 

呉春の弟子、きの広成ひろなり(1777~1839)

《魚籃観音図》19世紀前半

 

 

田能村たのむら竹田ちくでん(1777~1835)

《白衣観音図》19世紀

 

 

一鳳いっぽう(1798~1872)

《滝見観音像》19世紀

 

 

岸連山(1804~1859)

《野菜涅槃図》1857年

 

 

誰もいない庭園。庭園が示唆する通り、会期終了間近なのに空いていました。

 

 

それにしても、今年の紅葉は赤が綺麗に出ていますね。

 

 

この後、美術館のお庭を歩きました。次回、記事にします。

 


つづく