ルーヴル美術館展ー愛を描く② | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

京セラ美術館で見たルーヴル美術館展の続きです。以下の文章は、美術館のHPから引用しました。

 

 

  第3章 人間のもとに―誘惑の時代―

 

二コラ・ランクレ(1690~1743)

《鳥籠》1735年頃

 

18世紀のフランスでは、理想化された美しい田園で繰り広げられる羊飼いや農民の恋をつづったパストラル(田園詩)が流行しました。ヴァトーと同時代の画家二コラ・ランクレによる本作は、こうした文学や戯曲の潮流を反映したものです。

 

のどかな牧歌的風景の中で、演劇の衣装を身に包んだ若い男女が楽しげに見つめ合っています。女性は一羽の鳥の入った鳥籠を小脇に抱えています。当時、若い女性が鳥籠を持つ図像は、恋のとりことなる幸福の寓意として知られていました。

 

また、伝統的に鳥のモチーフはエロティックな意味と結びつけられ、飛び立つ鳥は失恋、鳥の死は処女喪失のメタファーとして描かれることがありました。

 

 

ジャン=オノレ・フラゴナール(1732~1806)

《かんぬき》1777~78年頃

 

18世紀のフランスでは、自由奔放な性愛の快楽を肯定する「リベルティナージュ」という思想・生き方が、上流社会の一部の知的エリートの間で流行しました。「リベルタン」と呼ばれた彼らのこうした態度の裏には、それまで人々の道徳観の土台をなしてきた、キリスト教的な知や宗教的権威への批判精神があったとも言われます。

 

リベルティナージュの風潮は、文学や美術にも反映されました。その流れを汲む傑作が、18世紀後半に活躍したフラゴナールの代表作《かんぬき》です。《かんぬき》はもともと、キリスト教主題の絵画《羊飼いの礼拝》と対をなしていました。近年の研究では、これら二作品をフラゴナールに注文した美術愛好家のヴェリ侯爵は、おそらくリベルタンであったと考えられています。

 

暗い寝室のなか、スポットライトのような光に照らされてた一組の男女。二人は優雅にダンスをしているかのようですが、女性は男性から顔をそらしています。彼女は情熱と欲望に駆られた男性の誘いを拒もうとしたものの、彼が扉にかんぬきをかけた瞬間、身をゆだねたのでしょうか。それとも、当時のリベルタンの恋愛作法に則して、抵抗を演じているだけなのでしょうか。戸惑いとも陶酔とも受け取れる女性の表情は、一瞬の心の微妙な動きを映し出しているように見えます。

 

画面には、かんぬき(男性性器の暗示)、壺とバラの花(女性性器・処女喪失の暗示)、乱れたベッドなど、濃密な愛の営みをほのめかす事物が描き込まれています。一方、ベッドの脇のテーブルに置かれたリンゴは、人類最初の女性であるエバの誘惑と原罪を連想させるモチーフです。

 

官能的な愛の戯れの賛美なのか、道徳的警告なのか、あるいはその両方なのか。一義的には解釈できないこの豊かな曖昧さこそ、《かんぬき》の最大の魅力と言えます。悦楽が一瞬にして暴力に転じかねない性愛の繊細さ、複雑さを、フラゴナールは見事に描き切っているのです。

 

 

フランソワ・ブーシェ(1703~1770)

《褐色の髪のオダリスク》1745年

 

18世紀フランスの巨匠ブーシェは、しばしば神話画において女神ヴィーナスやディアナの美しいヌードを描き、官能的な表現を展開しました。しかし《褐色の髪のオダリスク》は文学には依拠していません。ここでは、ブーシェは18世紀のヨーロッパの人々がイスラム世界のハーレム(後宮)に抱いた幻想を下敷きにしながら、エロティックな人物そのものの表現を追究しました。

 

ほんのりバラ色に染まる白い肌を露わにした女性が、当時トルコ風と呼ばれていたソファーに腹ばいになり、誘うように振り返って、茶目っ気のある眼差しをこちらに送っています。構図のまさに中央に彼女のふくよかな臀部が配され、挑発的なエロティシズムが極限まで強調されています。

 

 

ギヨーム・ボディニエ(1795~1872)

《イタリアの婚姻契約》1831年

 

19世紀フランスの画家ギヨーム・ボディニエは、27歳の時にイタリアを訪れると、この土地の人々の風俗に大いに魅了されました。ここで描かれているのは、ローマ近郊アルバーノの裕福な農民一家で、婚姻契約が執り行われています。

 

美しい丘陵を背景に、公証人は契約書の起草に没頭し、その手前では、結婚する男女が向かい合って座っています。男が真っすぐに許嫁を見つめる一方で、美しい衣装を着飾った娘は恥ずかしげに目を伏せています。

 

その横では、母親が娘の手を優しく握っていますが、背後にいる父親は、宴席の準備をする召使いの女性にすっかり目を奪われているようです。

 

様々なかたちの「愛」が見え隠れする、陽気で微笑ましい光景には、描かれた人々に対する画家の愛情も感じられます。

 

 

  第4章 19世紀フランスの牧歌的恋愛とロマン主義の悲劇

 

フランソワ・ジェラール(1770~1837)

《アモルとプシュケ》または《アモルの最初のキスを受けるプシュケ》1798年

 

愛の神アモル(キューピッド)とプシュケの恋物語は、フランス美術では特に18世紀末に流行しました。新古典主義の画家ジェラールが1798年のサロンに出品し、注目を集めたこの作品には、若く美しいアモルがプシュケの額にそっとキスするロマンティックな瞬間が描かれています。

 

当時の批評家たちの多くは、何も見えていないようなプシュケの眼差しや思春期を思わせる未成熟な身体の表現に、初めて愛を意識した無垢な少女の驚きを読み取りました。春の野の花が咲くみずみずしい自然も、ピュアな愛の芽生えを感じさせます。恋人たちの頭上に蝶が舞っているのは、「プシュケ」がギリシア語で「蝶」と「魂」を意味するからです。

 

当時アモルとプシュケの恋は、プラトン主義の解釈に基づき、神の愛に触れた人間の魂が、試練の果てに幸福を知る物語と解されていました。

 

 

アンヌ=ルイ・ジロデ・ド・ルシー=トリオゾン(1767~1824)

《エンデュミオンの眠り》1791年

 

1793年、26歳のジロデはサロンに出品した《エンデュミオンの眠り》により、一躍脚光を浴びました。本作はその準備スケッチです。

 

羊飼いの美青年エンデュミオンに恋した月の女神セレネは、全能の神ゼウスに頼んで彼を永遠の眠りにつかせ、毎晩、彼のもとを訪れました。この物語を絵画で扱う場合は、セレネがエンデュミオンの寝姿を見つめる様子を描くことが一般的でした。しかしこのスケッチでは、セレネは空に浮かぶ三日月として間接的に表現され、ジロデの独創性が際立っています。

 

若きジロデは、師であった新古典主義のダヴィットとは異なる作風を打ち出そうとしていました。エンデュミオンのほっそりとした優美な裸身は、ダヴィッドによる英雄的な男性像とは対極の、両性具有的な官能性を帯びています。

 

 

ジャン=バティスト・ルニョ―(1754~1829)

《友情の杯を交わすヒュメナイオスとアモル》1820年頃

 

 

クロード=マリー・デュビュッフ(1790~1864)

《アポロンとキュパリッソス》1821年

 

アポロンと美少年キュパリッソスの愛の神話は、フランスの新古典主義の美術でしばしば取り上げられました。可愛がっていた牡鹿をうっかり投げ槍で殺してしまったキュパリッソスは、生きる気力を失い、永久に嘆き続けたいと神々に哀願した結果、糸杉に変身します。

 

この作品では、牡鹿にもたれるように横たわったキュパリッソスの頭を、かがみこんだアポロンが優しく支えています。筋肉の凹凸の表現が抑えられたキュパリッソスの優美な裸体は両性具有的に感じられますが、おそらく当時の人々にとっては、子どもとオトナのはざまにある思春期の若者の理想的な身体表現でした。

 

作者のクロード=マリー・デュビュッフは、神話画と宗教画を手がけつつ、パリのブルジョワ階級の趣味に応じた肖像画でも人気を博した画家です。

 

 

アリ・シェフェール(1795~1858)

《ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの亡霊》1855年

 

イタリアの詩人ダンテ(1265~1321)の抒情詩『神曲』は、フランスでは19世紀前半、ロマン主義の時代に流行し、なかでも「地獄篇」に登場するパオロとフランチェスカの悲恋は人気を博しました。

 

古代ローマの詩人ウェルギリウスの案内で地獄を巡るダンテは、不義の恋のために断罪され、永遠に地獄を漂うパオロとフランチェスカの亡霊に出会います。フランチェスカは政略結婚で嫁いだ先で、夫の弟のパオロと恋に落ち、ある日、嫉妬した夫によって二人とも短刀で刺し殺されてしまったのです。

 

ロマン主義の画家アリ・シェフェールは、パオロとフランチェスカの官能的な裸体を大胆に斜めに配置し、ドラマティックな雰囲気を巧みに強調しました。許されぬ愛で結ばれた恋人たちは、悲しげに目を閉じ、固く抱き合ったまま地獄の風に吹かれています。画面右ではウェルギリウスとダンテが物思いに沈んでいます。

 

 

テオドール・シャセリオ―(1819~1856)

《ロミオとジュリエット》1850年頃

 

 

テオドール・シャセリオ―(1819~1856)

《ヘロとレアンドロス》、または《詩人とセイレーン》19世紀第2四半期

 

アフロディテに仕える純潔の巫女ヘロと、その恋人レアンドロスは、へレスポントス海峡を隔てた対岸の町に住んでいました。そこで毎晩、レアンドロスはヘロに会うために海を泳いで渡り、ヘロは塔に松明たいまつを灯して待っていました。しかしある嵐の夜、その火が消えてしまい、レアンドロスは無残にも溺死し、それを知ったヘロも絶望して塔から身を投げて死んでしまいました。

 

この古代ギリシアの悲恋の物語は、19世紀初頭に人気となり、画家たちも好んで題材に選びました。ロマン主義を代表する画家シャセリオーによるこの作品では、物語の壮絶な場面が劇的に表されています。前景では、レアンドロスが荒れ狂う海から這い出ようともがき、その視線の先には、ヘロの姿が幻想的に描かれています。

 

 

ウジェーヌ・ドラクロワ(1798~1863)

《アビドスの花嫁》1852~53年頃

 

19世紀フランスのロマン主義の巨匠ドラクロワは、同時代のイギリスの詩人バイロンの著作に心酔しました。この作品は、バイロンが1813年に発表した「アビドスの花嫁」を題材にしています。舞台はオスマン帝国、高官の娘ズレイカと、その兄(じつは従兄)で海賊の首領であるセリムの恋仲を死が引き裂く悲恋物語です。


画面では、二人が洞窟の前で何やら揉めています。ズレイカは父から政略結婚を決められたことを打ち明けたのですが、セリムはそれに反対し、愛するズレイカを守ろうとします。しかし父が娘を取り返そうと放った軍隊がすぐ背後に迫っており、まさに多勢に無勢。波打ち際まで追い詰められ、死に瀕しつつも応戦しようとするセリムをズレイカが必死に引き留めるーこうしたドラマティックな場面が、豊かな色彩表現と激しい筆致で想像力をかき立てるように表現されています。

 

 

やはり、ロマン派の画家は表現が過激ですね。

 

 

展示物を見た後は、ミュージアムショップへ。

 

 

GRANNY SMITH社のりんご入りオリジナルクッキーを買いました。4種類のうち、シナモンが一番アップルパイの味に近かったです。

 

 

それにしても、ルーブル美術館展は大人気でしたね。本館の公共スペースに戻って、ようやく人ごみから解放されました。

 

 

おわり