ルーヴル美術館展―愛を描く① | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

9月15日(金)京セラ美術館。

 

 

チケット売場は長蛇の列。「ルーヴル美術館展―愛を描く」は人気があるので、平日でも予約を取らなければいけないとの事でした。チケットを買った後は待ち時間なしで入館できましたが…。

 

 

音声ガイド貸出所が動線から外れた所にあったので、チケットを通した後では引き返せず、借りそびれました。以下、展覧会の内容です。今回は前半を振り返ります。解説文は京セラ美術館のHPからの引用しました。

 

 

  プロローグー愛の発明

 

フランソワ・ブーシェ(1703~1770)

《アモルの標的》1758年

 

18世紀フランスの巨匠ブーシェによるこの作品は、「神々の愛」をテーマにした連作タペストリーの原画の一つで、道徳的な正しい愛の誕生の瞬間が象徴的に描かれています。

 

古代神話によれば、神であれ人間であれ、愛の感情は、ヴィーナスの息子である愛の神アモル(キューピッド)が放った矢で心臓を射抜かれた時に生まれます。ここでは、ハートが印された標的が刺さる矢によって、恋人たちの愛の誕生が表されています。

 

標的の上に舞うアモルは、高潔な愛で結ばれた恋人たちに授ける月桂冠を高々と掲げ、地上では、二人のアモルがはや不要になった弓矢を燃やしています。

 

 

ピーテル・ファン・デル・ウェルフ(1665~1722)

《善悪の知識の木のそばのアダムとエバ》1712年以降

 

旧約聖書の「創世記」によれば、神が作った最初の夫婦アダムとエバは、エデンの園で、互いに恥ずかしいと思うことなく裸で暮らしていました。しかし、蛇にそそのかされたエバは、神から食べることを禁じられていた善悪の知識の木の果実を食べ、アダムにも与えます。この時から二人は裸であることを意識し、神の怒りに触れて楽園から追放されてしまいました。

 

ここに描かれているのは、アダムとエバがまさに罪を犯そうとする場面です。両手に禁断の果実を持ったエバは、その一つを自分の口に運ぼうとし、アダムは驚いたような身振りでエバを見つめています。蛇は描かれていませんが、悪の象徴と解釈されるトカゲが地面を這っています。

 

 

  第1章 愛の神のもとにー古代神話における欲望を描く

 

アントワーヌ・ヴァトー(1684~1721)

《ニンフとサテュロス》1715~16年頃

 

山や泉などの自然物の精であるニンフと、人間の身体とヤギの脚を持つサテュロスを組み合わせたエロティックな情景は、古代美術に端を発し、ルネサンス以降はティツィアーノ、コレッジョ、ルーベンス、ヴァン・ダイクなど、名だたる画家たちによって描かれました。18世紀前半に活躍したフランスの巨匠ヴァトーによる本作は、この系譜に連なるものです。

 

欲望に駆られたサテュロスは、無防備に眠るニンフの身体からベールをそっと持ち上げ、美しい裸身に見とれています。男性/女性、見る(能動的)/見られる(受動的)、褐色の肌/白い肌といった対比が、濃厚なエロティシズムをいっそう強めています。

 

 

セバスティアーノ・コンカ(1680~1764)

《オレイテュイアを掠奪するボレアス》1715~30年頃

 

ギリシア・ローマ神話の男性の神々が気に入った女性を誘拐するエピソードは、ルネサンス以降の神話画において定番の主題となりました。こうした場面には、肉体の強さを利用して愛する者を手に入れようとする男性の欲望の表出を読み取ることができます。

 

18世紀イタリアの画家セバスティアーノ・コンカは、北風のボレアスが、川辺でニンフたちと遊んでいた王女オレイテュイアを力ずくで連れ去る場面を描きました。白髪の老人の姿をしたボレアスは、オレイテュイアの白く柔らかな身体をしっかり抱きしめ、翼を広げて飛翔しています。

 

 

ドメニキーノ(1581~1641)

《リナルドとアルミーダ》1617~21年頃

 

本作の主題は、イタリアの詩人トルクアート・タッソの叙事詩『エルサレム解放(1581)』に由来します。タッソは、11世紀末に第1回十字軍で聖地エルサレムを異教徒から取り戻すために旅立ったキリスト教徒の騎士たちの冒険を詩に綴りました。

 

なかでも騎士リナルドとイスラム教徒の魔女アルミーダの恋物語は人気を博し、17世紀にしばしば絵画化されています。敵であるリナルドを殺すはずが、恋をしてしまったアルミーダは、魔力で彼を誘拐して自分の宮殿に運びました。

 

17世紀イタリアの画家ドメニキーノによるこの作品では、遠くに宮殿を望む庭園の木陰で、恋の炎を燃え上がらせる二人が描かれています。周りには愛の神アモルたちが散りばめられ、恋の情熱が強調されています。画面左、緑の茂みの向こうにはリナルドを探す二人の騎士の姿が見えます。

 

 

16世紀後半にヴェネツィアで活動した画家

《アドニスの死》1550~55年頃

 

愛の女神ヴィーナスと絶世の美青年アドニスの悲劇の恋は、ルネサンス以降の西洋絵画で最も人気を博した画題の一つです。アドニスは、ヴィーナスの心配をよそに危険な狩りに出かけ、イノシシに突き殺されてしまいました。悲痛な結末を視覚化したこの作品には、中央に死せるアドニスが横たわり、その隣に気を失ったヴィーナスが配されています。

 

三美神のうち2人の女神がアドニスとヴィーナスの身体をそれぞれ支え、3人目の女神は遺骸を覆うための布を手にしています。背景では3人の小さなアモルが、悲劇を招いたイノシシを矢で痛めつけています。人物の大胆なポーズやダイナミックな構図には、16世紀ヴェネツィアの巨匠ティントレットの影響がうかがえます。

 

 

  第2章 キリスト教の神のもとに

 

シャルル・メラン(1597~1647?)

《ローマの慈愛》、または《キモンとペロ》1628~30年頃

 

17世紀の画家シャルル・メランは、ロレーヌ公国(現フランス北東部)の首都ナンシーの出身でしたが、当時の芸術の中心地であったローマで主に活動しました。

 

私たちはこの絵をふと目にした時、白髪の老人が若い娘の乳房を吸う情景にびっくりするかもしれません。しかし、描かれているのは親孝行の行いで、古代ローマの著述家ウァレリウス・マクシムスの『著名言行録(1世紀)』における、父キモンと娘ペロの教訓的な逸話に基づいています。

 

年老いたキモンは牢獄で処刑を待つ身で、食物を与えられずにいました。ペロは獄中の老父を訪れ、ひそかに授乳して栄養を与えます。この場面は孝心(子が親を寄せる愛)の規範として古代美術に表されたのち、16世紀ルネサンス以降の美術で再び取り上げられ、キリスト教の慈悲の行いを表す図像の原型にもなりました。

 

 

サッソフェラート(1609~1685)

《眠る幼子イエス》1640~85年頃

 

幼子イエスを優しく胸に抱き、清らかな寝顔をそっと見つめる聖母マリア。ほのかに憂いを帯びたその表情は、いずれ人類の罪をあがなうために十字架にかけられ、命を落とすことになる我が子の運命に想いを馳せているように見えます。眠る幼子を抱く聖母像は、キリストの受難の暗示として、ルネサンス以降頻繁に描かれるようになりました。

 

17世紀イタリアの画家サッソフェラートはこの画題で人気を博し、サイズや構図の細部を変化させながら、多くの作例を残しています。見る者は、優しい感情を呼び起こすサッソフェラートの聖母子像に親子愛や人間愛の手本を見いだし、信心を強くしたことでしょう。

 

 

ウスターシュ・ル・シュウール(1617~1655)

《キリストの十字架降架》1651年頃

 

神は我が子キリストに、人類の罪をあがなうために十字架にかけられ、犠牲の死を遂げる過酷な運命を与えました。その意味で、キリストの磔刑たっけいは、人間に対する神の愛の表れとみなすことができます。

 

この作品には、磔刑の直後、キリストの遺骸いがいを十字架から降ろす場面が描かれています。聖書の記述に従い、3人の男性(右からアリマタヤのヨセフ、聖ヨハネ、ニコデモ)がキリストの遺骸を運び、その足にマグダラのマリアが口づけしています。画面右の女性たちのなかには、我が子に向かって片腕を伸ばす聖母マリアの姿が見えます。

 

作者のル・シュウールは17世紀のフランスの画家で、整然とした構図、明確な輪郭線、明快な配色を特徴とする古典主義様式を極めました。青と茶の対比に基づく落ち着いた色調と抑制された感情表現が、人々の深い悲しみを見事に伝えています。

 

 

それにしても、愛の表現って色々あるんですね。今日はここまで。次に続きます。