花のお江戸ライフ⑥ | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

神戸ファッション美術館で見た「花のお江戸ライフ」最終回。第5章から第7章まで、さっと流していきます。以下の文章は、展示室のパネルから引用しました。

 

 

  Ⅴ 粋なガーデニング

 

巨大都市江戸において、園芸は植物を通して季節や自然を身近に感じることのできる趣味でした。大名屋敷には贅をつくした池泉庭園が造られ、立派な松の木や四季折々の草花が植えられました。大商人も郊外に別荘を建て、風雅な庭園をしつらえて、文人墨客の集いの場としました。中には一般に開放して、人々の行楽地となった庭園もあります。

 

歌川国貞(1786~1865)

《春宵梅ノ宴》嘉永2~4年(1849~51)頃

 

二代歌川国盛(生没年不詳)

《品川にてとうもろこし鶏に化したる図》弘化2年(1845)

 

 

庶民もまた、園芸を楽しみました。広い庭を持たない住民は、坪庭に木や花を植え、大事に手入れしました。江戸時代中期に植木鉢が普及すると、鉢植えの植物がブームとなります。鉢植えは室内に置くことが可能であるので、インテリアとして生活に彩りを添えました。

 

歌川国貞(1786~1865)

《勝景鏡 観音》文政(1818~30)前期

 

歌川国芳(1798~1861)

《見立て五行 土 とこなつ》弘化4~5年(1851~52)頃

 

 

また、鉢植えは縁日の露店や行商人から買う事もでき、園芸はますます身近なものとなっていきます。人気があったのは、菊・朝顔・梅・福寿草・万年青おもとなど。品種改良も盛んに行われ、品評会が開催されるほどでした。

 

歌川国貞(1786~1865)

《松竹梅残屋台》嘉永4年(1851)

 

歌川国貞(1786~1865)

《四季くらべの内 秋》嘉永6年(1853)

 

 

特に江戸の人々が好んだのは菊です。秋には花の美しさを競う「菊合わせ」が流行しました。また、菊職人が菊で作った細工物が植木屋の庭園に展示され、これを見に多くの見物客が足を運びました。梅や福寿草の鉢植えは、新春を祝う縁起物として正月に売り出されました。

 

歌川国芳(1798~1861)

《百種接分菊》弘化2年(1845)頃

 

歌川芳虎(生没年不詳)

《流行菊花揃 染井植木屋金五郎》弘化元年(1844)

 

 

  Ⅵ 季節の彩

 

年中行事の多くは中国から影響を受け、日本独自の風土の中で消化され、展開していきました。古くは宮中などで行われていましたが、これが武家に伝わり、庶民にも浸透していきました。

 

 

現在、民間行事として知られる五節句は、江戸時代においては幕府の公式行事でもありました。江陰陽五行説における奇数を陽とする思想に基づき、人日(1/7)、上巳(3/3)、端午(5/5)、七夕(7/7)、重陽(9/9)には、節日として季節ごとの食物を備えて祝いました。

 

歌川国貞(1786~1865)

《三ツ会姫ひゐな遊びノ図》文久元年(1861)

 

楊洲周延(1838~1912)

《江戸砂子年中行事 端午之図》明治18年(1885)

 

二代歌川国貞(1823~1880)

《梅蝶源氏 色紫五節句 初秋野風 七夕まつり》安政5年(1858)

 

 

五節句のほかにも、様々な季節の行事がありました。春の花見は単に花を愛でるだけでなく、物見遊山も兼ねた行楽でありました。同じく春の行楽である潮干狩りは3月から4月が良いとされ、正午頃に汐が引いてくると砂地に出てきた貝を拾って楽しみました。

 

歌川国芳(1798~1861)

《築地御門跡之図 桜》嘉永6年(1853)

 

歌川国貞(1786~1865)

《汐千景》文政(1818~30)後期

 

二代歌川国貞(1823~1880)

《春色蜃気楼》文久2年(1862)

 

 

夏は川開きで、隅田川では陰暦5月28日から3ヶ月間夕涼みが許可されました。初日、両国では盛大に花火が打ち上げられ、川面には納涼船がひしめきました。餅つきは一年を締めくくる師走に行われます。12月26日、27日には餅まきが開催されるため、その時節は各家庭で餅つきをしました。

 

歌川国貞(1786~1865)

《両国納涼大花火》嘉永2~4年(1849~51)頃

 

歌川国貞(1786~1865)

《十二月之内 師走 餅つき》安政元年(1854)

 

 

人々が四季折々の行事や行楽を楽しむ姿は日常にはない「ハレ」の華やかさがあり、浮世絵の恰好の題材となりました。また、現代の我々にとっては、貴重な史料として当時の風俗習慣を今に伝える手段にもなっています。

 

 

  Ⅶ 肉筆画

 

江戸時代の庶民の姿を描いた浮世絵には「肉筆画」と「版画」があります。江戸時代初期には「肉筆画」のみでした。その後、大量生産が可能な「版画」が生み出されました。そして、彫りと摺りに工夫を凝らした多色摺り版画の「錦絵」が誕生します。

 


「肉筆画」と「版画」の違いは、「肉筆画」は、絵師が筆で直接、紙や絹に描いたもので、形状は、屏風や掛軸、巻物、色紙、扇などがあります。「版画」は、絵師が絵を描き、彫師が板に彫って、摺師がそれを摺りあげて作られるものを言います。

 

 

次に第7章で見た作品です。生前知名度が低かったようで、生没年不詳の浮世絵師が多いです。一部、解説がありました。

 

元廣(生没年不詳)か?

《美人と猫》天保期(1830~44)

 

三畠みはた上龍じょうりゅう(生没年不詳)

《美人と狗》天保期(1830~44)

 

一徳斎隆寧(生没年不詳)

《女三宮》制作年不詳

 

磯野文斎ぶんさい(生没年不詳)

《歯を磨く女性》天保期(1830~44)頃

 

寺崎広業こうぎょう(1866~1919)

《二美人と二匹の猫》制作年不詳

 

初代歌川豊国(1769~1825)

《金魚鉢を持つ女》文化(1804~18)後期

杜若が描かれた団扇を顎に挟みながら金魚を眺め、微笑む美人。鹿津部しかつべの真顔まがお(1753~1829)による賛は、「すきとおる はまべの空のの めでたしに 水の底の 肴とかそみる」と書かれている。

 

玄珠斎げんじゅうさい栄京えいぎょう

《雪中傘美人》文政期(1818~30)

 

歌川国宗(生没年不詳)

《美艶仙女香の看板》文政期(1818~30)

 

菊川英山えいざん(1787~1867)

《犬を抱いた子ども》文化(1804~18)中期

姉弟とおぼしき二人が、犬とともに歩いている。娘は髷の根を高く結う。奴島田に結っており、下唇に笹紅を施している。笹に雪を配した模様の着物に、鯉の鱗を文様化した華やかな帯をしめている。男の子も絞りの高価な着物を着ている。

 

藤磨ふじまろ(生没年不詳)

《松茸狩り》文政期(1818~30)

 

 

画質を落としているので、肉筆画ならではの美しさが伝わらなかったかもしれませんね。9月に入ってから浮世絵の話ばかりですみません。最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

 

おわり