恐竜図鑑② | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

今回は、兵庫県立美術館で見た「恐竜図鑑ー失われた世界の想像/創造ー」より第2章を振り返ります。

 

 

  第2章ー古典的恐竜像の確立と大衆化

 

1878年から80年にかけて、ベルギーのベル二サール炭鉱で30体以上のイグアノドンの化石が発掘されました。このことによって、従来の復元は大きく修正を迫られることとなります。恐竜イメージの新しい時代の幕開けです。

 

 

イグアノドンは鼻の頭に三角の角を置いた四足歩行の動物から、前肢に鋭い親指を持った二足歩行の動物へと変貌を遂げました。

 

 

その後、恐竜の発掘や研究の主要な舞台は北アメリカ大陸に移ります。この地では、1870年代から90年代にかけて、エドワード・ドリンカー・コープ(1840~1897)とオスニエル・チャールズ・マーシュ(1831~1899)というふたりの古生物学者が恐竜化石の発見を巡って争奪戦を繰り広げる、いわゆる「化石戦争」が勃発しました。

 

 

結果、おびただしい種類の恐竜が次々と発見され、中生代に生息した動物の多様性がしだいに明らかになりました。この新たな恐竜たちの姿をビジュアル化し、一般に普及させた最大の功労者が、アメリカの動物画家チャールズ・R・ナイト(1874~1953)です。

 

 

ニューヨークのアメリカ自然史博物館やシカゴのフィールド自然史博物館などのために彼が描いた復元画は、恐竜イメージの規範として、20世紀を通じて大きな影響を保ち続けました。

 

 

ナイト以後の世代の画家として最も重要な存在が、チェコスロバキアのズデニェク・ブリアン(1905~1981)です。

 

 

彼が古生物を描いた一連の作品は、『前世紀の生物(1956)』をはじめとする大判の書籍によって世界中に拡散し、数多くの模倣を生み出しながら、20世紀中盤以降の恐竜イメージの確立に決定的な役割を演じました。

 

 

また、ブリアンと同時代に活動したイギリスのニーヴ・パーカー(1910~1961)がロンドン自然史博物館のために描いた一連の作品も、古典的な恐竜像の傑作として広く一般に流布しました。

 

 

第2章で見た作品です。画像が多いので、本文に登場した画家たちの作品に絞りました。

 

 

チャールズ・R・ナイト(1874~1953)

 

《ドリプトサウルス(飛び跳ねるラエラプス)》1897年

 

《アガタウマス・スフェノケルス(モノクロニウス)》1897年

 

《ステゴサウルス》1901年

 

《ぺルム紀―テキサス》1931年

 

《三畳紀ー南アフリカ》制作年不詳

 

《ジュラ紀ーユタ》制作年不詳

 

《ジュラ紀ードイツ》制作年不詳

 

《ジュラ紀ーコロラド》1931年

 

《ジュラ紀ーイングランド》制作年不詳

 

《白亜紀ーモンゴル》制作年不詳

 

《白亜紀ーアルバータ》1931年

 

《白亜紀ーモンタナ》1928年

 

《白亜紀ーカンザス》1921年

 

 

ズデニェク・ブリアン(1905~1981)

 

《シルル紀の海の生き物》1951年

 

《ダンクルオステウスとクラドセラケ》1967年

 

《ディメトロドン・リンバドゥス》1965年

 

《プレシオサウルス・ブラキプテリギウス》1964年

 

《ステノプテリギウス・クアドリスキッスス》1964年

 

《アパトサウルス・エクセルスス》1950年

 

《アントロデムス・バレンスとステゴサウルス・ステノプス》1950年

 

《コンプソグナトゥス・ロンギぺスとアーケオプテリクス・リトグラフィカ》1950年

 

《プテロダクティルス・エレガンス》1967年

 

《イグアノドン・ベルニサルテンシス》1950年

 

《プテラノドン・インゲンス(海上の群れ)》1960年

 

《ティロサウルス・ディスペロルとエラスモサウルス・プラティウルス》1963年

 

《トリケラトプス・プロルスス》1962年

 

《タルボサウルス・バタール》1970年

 

《マストドンサウルス・ギガンテウス》1955年

 

《ユーリノサウルス・ロンギロストリス》1941年

 

《ディプロドクス・カネルギィ》1941年

 

《ランフォリンクス・ロンギカウドゥス》1941年

 

 

ニーヴ・パーカー(1910~1961)

 

《メガロサウルス》1950年代

 

《イグアノドン》1950年代

 

《ヒプシロフォドン》1950年代

 

《ティラノサウルス・レックス》1950年代

 

 

教科書や図鑑で見たおなじみの絵。古生物美術パレオアートという視点で、絵そのものを鑑賞するのは初めてでした。

 

 

つづく