3月20日(日)の散策は、椿寺からスタート。
椿が入った所にあり、一般的な見頃を迎えていました。
五色八重の散椿。薄桃色や白に咲き分ける五色の八重椿で、花ごと落ちず、花びらが1枚ずつ散るのが特徴です。
満開で見頃なのか散り始めで見頃なのか、よく分からない変わった品種。
咲き分け(1本の木から色の違う花が咲くこと)は特に見られず、向かいの椿は別物でした。
足元にお地蔵さん。
「椿寺」は愛称で、正しくは昆陽山地蔵院という浄土宗の寺。神亀3(726)年、行基が聖武天皇の勅願によって摂津国の昆陽池のほとりに建立したのが始まりと伝えられています。
平安時代に衣笠山麓に移され、室町時代初期に戦災で焼失しましたが、足利義満が金閣寺建立の余財をもって再建し、地蔵菩薩を奉安。天正17(1589)年、豊臣秀吉の命によって現在地に移されました。
地蔵院に安置する地蔵菩薩は、行基作のものと伝えられ、地蔵堂背後の板扉は、もと北野天満宮にあった多宝塔の遺構とされています。
安産の御利益があり、参拝者によるよだれかけの奉納がありました。
隣は観音堂。
中央に十一面観世音立像を、脇仏に雨宝童子と春日龍神を安置。観世音立像は5尺3寸の一木造で、慈覚大師の作と伝えられています。
お堂の前に「びんづるさん」。自分の患っている個所と同じ部分を撫でると病気が治ると言われています。
目を撫でてみましたが、近視は病気じゃないので、治らないかな?
奥に進みました。
こちらはまだ椿がちらほら咲き。
観音堂と本堂の間に末社があり、椿大神など三神が祀られています。
本堂裏にも、五色八重の散椿がありました。
北野大茶湯の縁により、秀吉からこの寺に寄進されたといわれる「五色八重散椿」。惜しくも枯死し、現在は樹齢約120年の二世が花を咲かせています。
その隣に、忠臣蔵で有名な天野屋利兵衛(1661-1733)のものといわれる墓。
曲がり角にキリシタンの墓。
地蔵堂の裏に、参拝者が奉納したお地蔵さん。
地蔵堂の前に、世継地蔵尊。
スヌーピーのよだれかけをしていました。
その近くに、与謝蕪村の師に当たる夜半亭巴人(1676-1742)の墓があります。
もともと八宗兼学の寺院であった地蔵院。寛文11(1671)年に善曳和尚によって浄土宗寺院となり、知恩院の末寺になったそう。
本尊は善導大師作で重源上人が招来したとされる五却思惟阿弥陀如来。アフロヘアとは意外です。
最後に散椿を見納め。
蕾も多いので、花期はまだまだ続きそう。
白い椿は終盤。
門前に空高く、赤い椿が咲き誇っていました。
枝垂れ桜はこれから。タイミングが良ければ、椿とのコラボも見れるそう。
椿寺を出て、次の目的地に向かいました。
つづく
































