今回は、美術館えきKYOTOで見た「安野先生のふしぎな学校」の話です。
画家・安野光雅について
安野光雅は大正15年(1926)、島根県津和野町で旅館を営む家に生まれました。自然豊かな里山で育ち、絵描きになる事を夢見た少年時代。高校卒業後の19歳で陸軍船舶兵として召集されるも、同年8月に終戦を迎えました。
その後、臨時教員として働き、24歳で上京。正規の美術教員として小学校で図画工作などを教えていましたが、35歳で教員を辞め、画家として独立します。
教え子の父であり、福音館書店に勤務していた松居直との出会いをきっかけに、 42歳で絵本作家としてデビューを果たしました。
その後の活躍は目覚ましく、第25回芸術選奨・文部大臣新人賞(1974)、ボローニャ国際児童図書展グラフィック大賞(1978/80/82)、国際アンデルセン賞画家賞(1984)などを受賞。
その創作活動は装丁デザインや執筆活動にまで及び、86歳で文化功労賞(2012)を受賞。令和2年(2020)末に94歳で亡くなるまで、精力的に創作活動を続けました。
安野先生のふしぎな学校
なんでも独学で取り組み、「自分で考えてみることの大切さ」を教えてくれた安野先生。本展は、津和野町立安野光雅美術館の所蔵品により多彩なジャンルの作品を授業の科目に見立てて紹介する展覧会です。
合言葉は「インタレスト!」。安野先生のふしぎな学校に入学した気分で、さまざまな不思議を感じ、考え楽しみながらご覧下さいとの事。
授業は「こくご」から始まりました。
こくご
「光の国/影の国」『かげぼうし』より(1976)
国語というより道徳。物語ごとに教訓がありました。感想を述べるだけなく、作者が意図する事を考え、議論する授業だったのではないでしょうか?
さんすう
「ふしぎなのり」『はじめてであうすうがくの絵本1』より(1982)
画像は数字の10を表現したページ。他、逆戻りナシで迷路を抜けるという手強い問題もありました。
おんがく
「春が来た」『歌の絵本―日本の唱歌より―』表紙(1977)
歌詞から思い浮かぶ情景を描いた曲集。これなら気持ちを込めて歌えそうです
しゃかい
「伯林 ベルリン」『西洋古都』より(1981)
地名の丸暗記でなく、街の雰囲気を味わい、土地柄を理解する授業だったよう。子供なら絵を見ただけで海外旅行に行った気分になれるかも
りか
「マッチの種」『空想工房の絵本』より(2014)
植物の成長を表した絵だと思いきや、果たして?マッチがこういう風に育つと面白いと思ったのでしょうか?
えいご
「キツネとブドウ」『きつねがひろったイソップものがたり1』より(1987)
英文から情景を思い浮かべるトレーニングだと思いきや!日本語訳から教訓を読み取る、こくごによく似た授業でした。
安野光雅が教員をしていた頃は決まったカリキュラムがなく、授業内容は全て先生に委ねられていたそう。それはそれで大変です。
展示室の外に安野先生へメッセージを書くコーナーがあり、3月20日のお誕生日を祝うメッセージがたくさん集まっていました。
安野先生の授業が手強く、美術館「えき」に2時間ほど滞在。
午後7時半、閉館の音楽とともに退館しました。