Viva Video!久保田成子展④ | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

先日の続き。最終回。以下の本文、国立国際美術館の展示パネルから一部引用しています。

 

 

6.芸術と人生

 

1996年に夫のパイクが脳梗塞で倒れたことで、久保田の作家としての歩みにブレーキがかかりました。夫のサポートを優先した久保田ですが、療養生活を主題にユーモアと愛に溢れた作品を発表します。

 

 

こちらは夫パイクが成子に宛てたある日の手紙。なんだか楽しそう。この文面から、夫婦の日常会話は英語だった事が分かります。

 

 

ここに来て初めて夫パイクの作品を見ました。《鳥籠の中のケージ(1994)》で、現代音楽家のジョン・ケージ(1912-1992)と鳥籠の「Cageケージ」をかけた作品。久保田のヴィデオ彫刻作品に似ています。

 

 

 

2006年のバイク没後は、久保田自身も病と闘いつつ、人生を振り返り、パイクとの歩みを綴った「私の愛、ナムジュン・パイク」を著し、2015年にニューヨークでその生涯を終えました。

 

 

以下、ショーケースの中の資料です。筆マメで日本にいる人達とのつながりを大切にしていた事が分かります。

 

ドローイング[Berlin Video Diary](1979)

 

 

雑誌『Art in America(1984年2月号)』

久保田のヴィデオ彫刻作品《河》が、雑誌の表紙に採用されている。

 

 

個展での写真とスライド(1976)

翌夏に開催されるベルリン国際美術展への出品作に関する説明。母への手紙に添えられた。

 

 

久保田成子から母への手紙(1976)

手紙には、ヴィデオ彫刻家としての自負、世界的アーティストとして認められた喜びが記されている。

 

 

写真家・安齋あんざい重男(1939-2020)が撮影した久保田家の写真

1981年8月1日 軽井沢・高輪美術館にて

 

 

スケッチブックより

「Videoは時間のARTである(1995)」

 

 

久保田成子から島敦彦への手紙、ファックス、ポストカード(1987,1992,2014)

島敦彦(1956-)はキューレーター。1980年より富山県立近代美術館に勤務し、1992年より国立国際美術館に移る。2021年同美術館の館長に就任した。

 

 

他、美術家・吉原悠博ゆきひろ(1960-)制作の映像作品を見ました。久保田とパイクが30年余りを過ごしたソーホーのロフトを題材に、久保田と交流のあった人たちにインタビューした映像です。

 

 

その中で、久保田とパイクのアシスタントを務めたアーティストのポール・ギャリン(1957-)は、「久保田の作品はすべて彼女の日記である」と述べています。

 

 

シングルチャンネル作品(1つのヴィデオを1つの映像機器を通して1つのディスプレイで上映すること)をまとめた久保田の「ブロークン・ダイアリー(1985)」も、その一例と言えるでしょう。

 

 

最後に吉原の日記を読みました。

 

1983年11月、ニューヨークの個展で褒められたこと、2004年7月、実家(新潟県新発田しばた市)の写真館に電話をかけてきたこと、2007年1月、ナムジュンの一回忌で、映像《吉原家の140年》を見せたことなど、日記には久保田との想い出が綴られています。

 

 

そして2021年3月。この展覧会開幕の前日に、1983年の個展の芳名帳のあるページに久保田成子の名前が記されているのをじっと見つめたという話で、吉原のダイアリーは締めくくられました。

 

 

「Viva Video!久保田成子展」は、新潟県立近代美術館→国立国際美術館と巡回し、11月13日(土)から、東京都現代美術館にて始まります。関東圏の方、必見の価値アリ。2時間ほどかかります。

 

 

私の場合、同時開催中の「鷹野隆大 毎日写真1999-2021」も見て、国立国際美術館に4時間ほど滞在しました。

 

 

入館した時は晴れていたのに、退館した時は雨。真夏(7月31日)の天気、あるあるです。

 

 

傘を持っていなかったので、新福島駅までの10分は雨との戦いになりました。

 

 

おわり