東福寺方丈庭園 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

先日の続き。

 

 通天橋を出た後は、方丈庭園を拝観しました。

 

 

 東福寺の方丈庭園は、近代日本を代表する作庭家・重森三玲しげもりみれい(1896-1975)によるもので、昭和14年(1939)に完成。方丈を囲む四庭に配された「蓬莱・方丈・瀛洲えいじゅう壷梁こりょう・八海・五山・井田市松せいでんいちまつ・北斗七星」の8つを、八相成道はっそうじょうどう(釈迦の生涯における8つの重要な出来事)に因んで「八相の庭」と命名したのだそう。

 

 

 ちなみに八相成道は、降兜率ごうとそつ(兜率天から下る)→託胎(母胎に入る)→降誕(母胎から出生する)→出家→降魔ごうま(菩提樹下で悪魔を降伏させる)→成道(悟りを得る)→転法輪てんぽうりん(説法・教化する)・入滅(涅槃に入る)のが一般的。庭に宗教的な意味があるのは分かりますが、あまり関係ないような。

 

 

 庫裡を抜けて真っ先に目に入ってきたのが、南庭の石組。

 

 

 古代中国の蓬莱思想に基づく庭で、石組は仙人が住む島。渦巻く砂紋は八海。そして五山になぞらえた築山。島には仙薬財宝があると信じられたとか。

 

 

 午後4時前の庭園はとても静か。のんびり寛ぐのにうってつけの場所でした。

 

 

 西庭は、さつきの刈り込みと砂地とをかずら石で方形に区切り、大きく市松模様に図案化したとの事。井の字に等分した古代中国の田制「井田せいでん」に因み、「井田市松せいでんいちまつ」と呼ぶのだとか。

 

 

 通天台から洗玉澗せんぎょくかんを一望できました。通天橋もだいぶ人が減っています。

 

 

   方丈の裏側は北庭。ウマスギゴケの緑との対比も色鮮やかな市松模様の敷石は、もと恩賜門(南庭の唐門)に使われていたもの。

 

 

 背景の赤いモミジと聖一国師が宋より持ち込んだという唐楓「通天モミジ」の黄金色とが織りなす色彩感あふれる空間が素敵ピンクハート

 

 

 方丈を一周して東庭へ。

 

 

 雲文様地割に円柱の石で北斗七星を構成し、「北斗の庭」と呼ばれる東庭。北斗七星に見立てた石は、もと東司(重要文化財、旧便所)の柱石の余った石を利用したのだそう。

 

 

 後方には天の川を表わした生垣が配され、夜空が足元に広がるかのような小宇宙を造り出しているとか。

 

 

 方丈庭園拝観の後は、伽藍を拝観しました。こちらは貞和3年(1347)に再建された禅堂。我が国最古最大、中世から遺る唯一の座禅道場。重要文化財です。

 

 

 そして国宝の三門。天竺様を思わせる室町初期の再建。楼上内部には諸仏が並び、天井や柱には明兆みんちょう(1352-1431)と弟子による極彩画が描かれているとか。

 

 

 三門の向かいに法堂はっとう。立ち止まって覗き見する人が後を絶たず。何かいいものがありそう。

 

 

 中を覗くと、本尊の釈迦如来立像と迦葉かしょう阿難あなん尊者が。いずれも重要文化財で普段は非公開。

 

 

 そして天井には堂本印象(1891-1975)筆の「雲龍図」。コロナ対策のため、特別に外の扉を開けたのだそう。拝観料1,000円のものをタダで見れて得した気分。

 

 

 ほとんどの人が帰る中、向かっている人がいますが、夜のライトアップ目当てでしょうか?

 

 

 入った時は綺麗だと思った禅堂前の紅葉。通天門を渡った後は色あせて見えました。

 

 

 行きは混雑していた道路も帰りは空いています。

 

 

 臥雲橋で立ち止まって写真を撮る人がちらほら。

 

 

 臥雲橋は、東福寺のモミジをタダで見れる穴場スポットです。

 

 

 「ちりめん山椒いかがですか~。」の声になびかれて立ち寄った伍八山椒堂の臨時店舗。うすくち、こいくち、しょうが味の3種類を味見しました。

 

 

 山椒がよく効いて口がヒリヒリ。二巡するともはや味は分からないでしょう。というわけで、うすくちを購入。ご飯が進みます爆笑

 

 

 最新の紅葉情報によると、もはや東福寺のモミジは散り始め。どうやら京都一のモミジをベストタイミングで見れたよう。その上、非公開の文化財をタダで見れて、とてもツイている一日でした!