ムーミン展後半。今回は第4章から第7章までを振り返ります。
第4章は絵本。
ムーミンシリーズ初の絵本は、1952年『それから どうなるの?』として出版されました。
1960年には、第2作目の『さびしがりやのクニット』が出版されています。
1977年出版の『ムーミン谷へのふしぎな旅』をもって、トーベが絵と文章を手掛けたムーミンシリーズは最後になりました。
1980年出版の『ムーミンやしきはひみつのにおい』は写真入りの絵本で、弟のペル・ウーロフ(1920-2019)が撮影したムーミン屋敷にトーベが文章を加えたものです。
第5章は、本の世界を飛び出したムーミン。
1950年、小説第3作『たのしいムーミン一家』がイギリスで翻訳されたのを機に、グッズや企業の広告、ポスターデザインなどトーベの活躍は世界へと広がっていきました。
1950年代に印刷されたイースターカードの原画
1957年に印刷されたスウェーデンの日刊紙「スヴェンスカ・ダーグブラーデット」の広告
1970年代に印刷された環境保全キャンペーンのポスターなど、ムーミンのキャラクターはあらゆる所に用いられました。
1987年には、フィンランドのタンペレ市図書館内にムーミン谷博物館がオープンしています。
この博物館は、2017年タンペレホールへ移転し、ムーミン美術館としてリニューアルオープンしました。
第6章は、舞台になったムーミン
舞台の世界に興味をもったトーベは、脚本だけでなく、舞台美術や衣装の制作にも携わりました。
1949年、ヘルシンキで上演された『ムーミントロールと彗星』が初のムーミン劇です。
1959年には、ムーミン初のテレビシリーズ『ムーミン一家』が西ドイツで放送されました。
本国スウェーデンでは、1973年にテレビシリーズ『ムーミン谷』が制作されます。
1974年には、ヘルシンキでムーミンオペラが上演されました。
パンフレットのデザインは、ムーミンママのハンドバッグをモチーフにしたとの事。
この公演のポスターはこちらです。
1978年、ポーランドで『ムーミン・パペット・アニメーション』の放送が始まりました。
その映像を再編集したのが、長編映画『ムーミン谷の夏まつり(2008)』『ムーミン谷の彗星(2014)』『ムーミン谷とウィンターワンダーランド(2017)』です。
そして1993年。アニメ『楽しいムーミン一家』に基づくテーマパーク「ムーミンワールド」がフィンランドのナーンタリにオープンしました。
第7章は、日本とトーベとムーミン
1969年、フジテレビでアニメ『ムーミン』の放送が始まります。1972年には続編も放送され、日本に第一次ムーミンブームが到来しました。
トーベはアニメを監修するため、1990年に来日しています。完成したアニメは、テレビ東京から『楽しいムーミン一家』として放送されました。
このシリーズは、『楽しいムーミン一家 冒険日記』を含む104話からなり、世界60ヵ国で繰り返し放送され、人気を博したとか。
ムーミン展で最も印象に残っているのが、原画と浮世絵の比較。『ムーミンパパ海へいく(1965)』の挿絵が、歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立(1857)」の浮世絵と似ていて、なんだか親近感が湧いてきました。
番外編
第7章の後は記念撮影。ハッピーエンドで終わらせたかったのか、ムーミン展には晩年以降の話が無かったので、公式サイトを参考にして補いました。
1991年、トーベは体力の衰えから77歳でクルーブ・ハルを引き上げますが、その後もヘルシンキのアトリエで執筆活動を続けます。
1998年、短篇集「伝言(未邦訳)」を発表。この小説が最後の作品になり、その3年後に86歳で天寿を全うしました。
2014年はトーベ・ヤンソン生誕100周年。記念事業として、映画『劇場版ムーミン 南の海で楽しいバカンス』が、フィンランドとフランスで共同制作され、翌年には、日本語吹替版が上演されています。
2015年には、フィンランド国立バレエ団による本格的なバレエ作品『ムーミン谷の彗星』が上演され、2017年には、新演目『たのしいムーミン一家』が日本で上演されました。
2019年、フィンランドとイギリスの合作による新作アニメシリーズ『ムーミン谷のなかまたち』の放送が始まり、第3のムーミンブームが到来。
同年3月、埼玉県飯能市にムーミンの世界観を体感できるテーマパーク「ムーミンバレーパーク」がオープン。新しい観光スポットが誕生しました