阪神香櫨園駅から徒歩6分。西宮市大谷記念美術館に到着。予約時間までお庭を散策しました。
この美術館は、故大谷竹次郎氏(元昭和電機社長)が西宮市に寄贈したコレクションを広く一般に公開するため、昭和47年(1972)に開館した美術館です。
平成3年(1991)に増改築工事を行い、現在の建物になりました。ロビーからの眺めがとても素晴らしく、しばし見入ってしまいます。
以下、メスキータ展の内容です。
サミュエル・メスキータ(1868-1944)は、ユダヤ系オランダ人としてアムステルダムに生まれました。建築を学び、その後グラフィック・アーティストに転じます。
30代から美術学校でデザインや版画の指導者として教鞭をとる傍ら、さまざまな技法を用いて個性的な版画を数多く制作しました。
作品最大の特色は、木版画のシャープで簡潔な表現。モダン・デザインの興隆を背景に、日本の浮世絵版画の影響も受けたと評されています。
動植物の多くは、アムステルダムのアルティス動物園を取材しました。熱帯の植物やエキゾチックな動物など、オランダでは普段目にすることの無いモチーフが選ばれているのはそのためです。
版画では綿密に計算しながら制作を進めるメスキータですが、ドローイングは真逆で、心の赴くままに現実と空想が入り混じったような作品を数多く描きました。
また、長年「建築と友好」協会の会員として活動し、同協会の機関誌「ウェンディンゲン(1918-32)」の表紙デザインを9回担当しました。そのうちの2回は自作の特集を掲載しています。
高齢になっても精力的に活動を続けたメスキータですが、その晩年は暗黒の時代と重なってしまいます。1940年、ドイツがオランダを占領。ユダヤ人であるメスキータは家族もろとも逮捕され、1944年、強制収容所で75歳の生涯を閉じました。
師の悲報を聞いたマウリッツ・エッシャー(1898-1972)ら教え子達は、いち早くメスキータの作品を保護し、終戦後すぐに展覧会を開催しました。彼らの尽力が無ければ、メスキータ作品は今日まで残っていなかったことでしょう。
珍しいモノ見たさに行った展覧会。日本人には無い感性に触れ、斬新でした。