高松市美術館 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

先日の続き。

 

 今回四国へ行ったのは、高松市美術館で開催中の特別展「きたれ!バウハウス」を見るため。

 

 

 新型コロナ騒ぎ前夜の祝日でしたが、館内は空いていました。やはりバウハウスの知名度によるものでしょう。

 

 

 昨年秋、西宮大谷記念館を巡回していたとは知らず、見逃しました。

 

 

 というわけで、はるばる四国まで足を運んだのですが。バウハウスの教育がよく分かり、とても良い展覧会でした。

 

 

 特別展の目玉は、当時の授業を再現した体験コーナー。こちらは、ルートヴィッヒ・ヒルシュフェルト=マックの授業より「回転混色」。

 

 

 回転こまを回すとどんな風に見えるのか?予想し、実際に回してみる授業です。

 

 

 難しかったのは、円・扇・四角の3つ図形を組み合わせて文字を作るヨゼフ・アルバースの授業。

 

 

 モホイ=ナジの授業は、身の周りにある様々な素材を集めて触角板を作り、柔・堅・滑・粗・乾・湿の程度を折れ線グラフで表し、他の人と同じ線になるか比較するといったもの。

 

 

 鉛筆や歯ブラシまで素材になるとは驚き。

 

 

 面白かったのが、ヨハネス・イッテンの授業で「色のある影」。白い物体に赤い光線を当てると、緑の影が生じ、黄の光線では紫の影が生じるというもの。

 

 

 こちらはマッチ棒4本でさまざまな形を作るというヨハネス・イッテンの授業。SPI試験にも出てきそうな課題です。

 

 

 これらの授業は、ヨハネス・イッテンが主導する予備教育過程で、美術に関する先入観や既成概念を捨て、自由な創造力と造形の基本的な知識・技能を身につけるためのものでした。

 

 

 カリキュラムは、形態教育(基本)とクラフト教育(実技)の2つのコースで構成されており、基本と実技を分けて学ぶことで、理論と実技の両面から造形について追及。

 

 

 体験の後は、基礎教育から発展した、様々な工房(金属、陶器、織物、家具、印刷・広告、舞台など)の作品や資料を見ました。

 

 

 最後にバウハウスへ留学した日本人の作品と資料を見ました。

 

 

 1人目の留学生は、昭和2年(1927)から2年間在籍した水谷武彦(1898-1969)です。帰国後は、東京美術学校建築科で「構成原理」の授業を行い、川喜田煉七郎(1902-1975)の新建築工芸学院の講師を務めました。

 

 

 戦後も東京都立大学で図学講師を務めるなど、講師歴多数。著書に「THE BAUHAUS-A JAPANESE PERSPECTIVE-日本人の見たバウハウス」があります。

 

 

 2人目の留学生は、昭和5年(1930)から2年間在籍した山脇巌(1898-1987)。バウハウスで建築やフォトモンタージュなどを修得。帰国後、フォトコラージュ作品「バウハウスへの打撃」を発表。彼も新建築工芸学院の講師を務めました。

 

 

 山脇巌は、昭和22年(1947)から30年間、日本大学の教授を務め、日大芸術学部デザイン学科の基礎を築いた人物。著書に「バウハウスの人々 近代建築家(第7)」があります。

 

 

 3人目は夫と同時期に在籍し、織物を専攻した山脇道子(1910-2000)。帰国後、彼女も新建築工芸学院の講師に就任。裏千家の娘で、著書に「バウハウスと茶の湯」があります。

 

 

 4人目の留学生は大野玉枝。ドイツ文学者の夫と共に留学。昭和8年(1933)4月から5ヶ月間、ベルリン校に在籍。衣装のデザインや織物を学びました。

 

 

 帰国後、バウハウスの教育を受けた日本人女性として「住宅(1934年11〜12月号)」や「NIPPON(1937年3月号)」で紹介されました。戦前の文展で2回、戦後の日展に6回入選しています。

 

 

 1919年ドイツ・ワイマールに設立し、1933年ナチスの弾圧により閉校したバウハウス。わずか14年という短い期間でしたが、その実験的・挑戦的な試みにより、近代デザイン成立の上で大きな役割を果たしました。

 

 

 100年経っても新鮮さを失わない、バウハウスで生まれたデザインの数々。シンプルで合理的なデザインを志向するバウハウスの思想は、現代の住宅やインテリアにも受け継がれています。

 

 

 展示物は300点と盛りだくさんで、全て見るのに3時間かかりました。

 

 

 美術館を出た後、丸亀町商店街を歩きました。

 

 

 商店街に観光客向けの売店が無く、探し回りました。お土産はようやく見つけた「丸一」で購入。

 

 

 釜かけうどんにざるうどん。付属の出汁がとても辛く、西日本なのに意外でした。

 

 

 商店街から県道への道に、菊池寛(1888-1948)の戯曲「父帰る(1917)」のブロンズ像があります。

 

 

 戯曲の説明はこちら。この戯曲は2代目市川猿之助(1888-1963)らによって上演され、菊池寛の代表作になった作品です。

 

 

 予約のバスに乗り、神戸に帰りました。新型コロナによる外出自粛令が出る前で、ホントに良かったです。