インポッシブル・アーキテクチャー | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 大阪中之島の国立国際美術館開催中の特別展「インポッシブル・アーキテクチャー」が2月末で打ち切られると聞き、急遽行って来ました。

 

 

 インポッシブル・アーキテクチャーとは、無理難題な建築物ではなく、何らかの原因で実現に至らなかった建築物です。以下、印象に残った建物を原因別に挙げてみました。

 

 

 

社会的な条件や制約などによって建てられなかった建築物

 


 ウラジーミル・タトリン(1885-1953)によって、1919年に構想された「第3インターナショナル記念塔」

 

 

 

 ダンテの神曲をモチーフに、ジュゼッペ・テラーニ(1904-1943)が構想した「ダンテウム(1938)」

 

 

 

 エア・ドームによる空気膜構造の第一人者として注目を集めていた村田豊(1917-1988)が、ソビエト政府からの依頼で設計した「ソビエト青少年スポーツ施設(1972)」

 

 

 

 セルビアの首都、ベオグラードの商業・展示スペースを複合した施設「べトンハラ・ウォーターフロント」のコンペで、2011年に一等を獲得した藤本壮介(1971-)のプロジェクト案。

 

 

 

 2014〜15年にかけて行われた建築国際コンペでマーク・フォスター・ゲージが提案した「ヘルシンキ・グッゲンハイム美術館」

 

 

 

 予算の都合上白紙に戻された、ザハ・ハディド(1950-2016)の「新国立競技場(2015)」。昨年11月末に完成した国立競技場は、隈健吾(1954-)案によるものです。



 

コンペに落選した建築物、依頼主の意図に沿わなかった建築物

 


 ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)による「ベルリン、フリードリヒ通り駅の摩天楼のコンペ案(1922)」。ガラス張りの高層建築が当時のベルリンでは斬新すぎたようです。

 

 

 

 川喜田煉七郎(1902-1975)による「ウクライナ劇場国際設計コンペの模型(1930)」。川喜田氏はこのコンペで4位に入選し、日本人建築家として国際的に有名になりました。

 

 

 

 ナチス政党に追われて日本に滞在していたブルーノ・タウト(1880-1938)が、大阪電気軌道(近鉄の前身)の依頼により作成した「生駒山嶺小都市計画(1933)」。残念ながら、依頼主が思い描いていたものと違ったようです。

 

 

 

 1985~86年にかけて開催された都庁舎のコンペで、磯崎新(1931-)が提出した案。市民のための大広間にシンボル性を持たせた良い案でしたが、コンペに求められた超高層2棟を満たしておらず、落選。このコンペで採用されたのは、磯崎氏の師匠、丹下健三(1913-2005)の案でした。

 

 

 

未来に向けて夢想した建築物


 

 荒川修作(1936-2010)とその妻マドリン・ギンズ(1941-2014)による「問われているプロセス/天命反転の橋(1973-89)」


 

 

 安藤忠雄(1941-)が創案した、大阪中之島にある中央公会堂の再生案「中之島プロジェクトⅡ-アーバンエッグ(1988)」


 

 


既存の制度に対して批評精神を打ち出す点に主眼を置いた提案(その1)

 


 1960年に東京で開催された世界デザイン会議。丹下健三(1913-2005)研究室のメンバーによって、マニフェスト「METABOLISM/1960都市への提案」が発表されました。


 

 

 黒川紀章(1934-2007)は「東京計画1961-Helix計画」で、杭基礎によって建築されるDNAの二重螺旋構造をもったメガストラクチャーを発表。


 

 

 菊竹清訓(1928-)は、「海上都市1963」で新たな海上地盤で構想された都市計画を発表。高度成長期の日本の大きな問題であった、土地不足と人口増加の解決案として考えられました。


 

 

 丹下健三は「東京計画1960」で、高度成長期の急激な人口増加に対し、従来の都市構造が耐えきれなくなるとして、新たに都心から東京湾を超えて木更津方面へと延びる都市構造を提案しましたが、彼らの計画は実現される事なく終わりました。


 

 


既存の制度に対して批評精神を打ち出す点に主眼を置いた提案(その2)

 


 

 会田誠(1965-)が提案した「東京都庁はこうだったほうが良かったのでは?(2018)」の図。雲を突き抜ける巨大なガラスの城は、現都庁より1.5倍は高いイメージ。アイデアスケッチには、石垣部分には青っぽいミラーガラス、枠はアルミなど素材まで指定されています。


 

 

 現代美術家・会田氏の依頼を受けて、画家の山口晃(1969-)が清書した「都庁本案図(2018)」。もしもこの案が実現していたなら、江戸時代からタイムスリップしたかのようです。


 

 

 最後の1点は、会田氏提案の「シン日本橋(2018-19)」。日本橋の上に走る高速道路のさらに上に太鼓橋を架けるという、ありえない案。


 

 

 会田氏のプランを引き継いだ山口氏の「新東都名所 東海道中 日本橋 改(2018)」。想像力を要する難しい展示物が多い中、建築家でない彼らの絵は、唯一息抜きになりました。