書写山圓教寺紅葉と伽藍 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 坂道を下り、紅葉の綺麗な所に出ました。開山の性空上人は、この地で金剛薩埵(さった)から密教の印を授かったと言われています。

 

 元は普賢院という塔頭の持仏堂だった金剛堂。現存の建物は室町時代のもので、本尊の金剛薩埵像は食堂(じきどう)に安置されています。

 

 展望公園に出て、播磨灘の景色を眺めました。

 

 四国や小豆島が見えるということですが。視界が悪く、家島群島が辛うじて見えました。

 

 榊原家は江戸時代の前期(1649-1667)と中期(1704-1741)の2回にわたって姫路城主になりました。ここには前期2代目の政房と中期2代目の政祐(まさすけ)の墓碑があります。墓碑は政祐の養子政岑(まさみね)により、1734(享保19)年に建てられました。

 

 薬師堂は天竺様式(大仏様の手法)を取り入れた鎌倉時代の建物で、圓教寺に現存する最古の建物です。

 

 法華堂は985(寛和3)年に播磨国司藤原季孝によって建立されました。現在の建物は江戸時代のもので、普賢菩薩が祀られています。

 

 徳川家康の孫の松平直基(なおもと)は、1648(慶安元)年に姫路城主に任命されました。しかし山形から姫路への大名替えの途中で亡くなり、相模国の最乗寺に葬られたそうです。後に子の直矩が姫路城主になり、1670(寛文10)年に分骨してここに墓所を造りました。

 

 鐘楼は1332(元弘2)年に再建された兵庫県下最古の遺構で、鐘は1324(元亨4)年に再鋳された姫路市内最古のつり鐘です。

 

 摩尼殿までの道は下り坂が続きました。

 

 途中大黒天を祀った堂があり、その向かいに瑞光院があります。

 

 瑞光院は圓教寺の塔頭の一つで、紅葉の名所として知られています。

 

 私のイチオシは摩尼殿前の紅葉。

 

 赤・黄・オレンジ。カラフルで華やかでした。