石清水八幡宮 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 石清水八幡宮に着きました。

 

 4月3日(火)は社殿に八幡大神を鎮座した日で、ちょうど奉祝祭が行われていました。

 

 時は平安時代初期、859年。南都大安寺の僧・行教(ぎょうきょう)和尚は、豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮に籠って日夜熱心に祈り、八幡大神のお告げにより、男山の麓に神霊を奉安したのが始まりです。そして翌年、清和天皇の命により、社殿が造営されました。

 

 平将門・藤原純友の乱(935-941)では、八幡大神の神威により平定され、以来国家鎮護の宮として皇室の崇敬を集めました。本殿は国宝で、神功(じんぐう)皇后、応神(おうじん)天皇、比咩(ひめ)大神が祀られています。

 

  古くから丑寅(東北)の方角は鬼門とされてきました。この本殿も鬼門を封じるために、石垣を斜めに切り取っています。

 

 重要文化財に指定されている摂社が幾つかあります。まず、宇治稚郎子命が祀られている水若宮社。

 

 隣に仁徳天皇が祀られている若水社と、応神天皇の皇女が祀られている若水殿社。どちらも応神天皇の子で、男性は若水社を、女性は若水殿社を参ることになっています。

 

 それから、表筒男命、中筒男命、底筒男命の3神が祀られている住吉社。

 

 最後に宝物を納める倉庫、校倉(あぜくら)。

 

 境内の周りを囲んでいる築地塀。瓦と土を重ねた塀で、鉄砲の銃撃による耐震性や耐火性に優れ、織田信長が好んだそうです。

 

 築地塀の外に植えられた楠は、1334年、楠正成が必勝祈願参拝の際に奉納したと伝えられています。樹齢700年に迫る御神木で、京都市の天然記念物に指定されています。

 

 ここの桜は散りかけでした。