毘沙門堂 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 久しぶりに京都観光。JR京都駅の一駅東にある山科(やましな)駅で下車。20分ほど歩いて毘沙門堂に着きました。本尊に毘沙門天を祀っているので毘沙門堂。天台宗の門跡寺院の一つです。

 

 知る人ぞ知る紅葉の名所ですが、知名度も上がり、そこそこ人がいました。これは11月15日(水)時点の紅葉。色づき始めでした。

 

 大宝3年(703年)文武天皇の勅願で、行基によって創建されました。当初は出雲路(京都御所の北)にあったことから、護法山出雲寺と呼ばれました。

 

 その後、度重なる戦乱を経て、寛文5年(1665年)公海大僧正が、師・天海大僧正の遺志を受け継いで山科に再建。後西天皇の皇子、公弁法親王が入寺してから門跡寺院になりました。

 

 門跡寺院とは、皇族や公家の子弟が歴代住職をつとめた格式の高いお寺のことです。

 

 本尊の毘沙門天は、天台宗の宗祖で比叡山を開いた伝教大師の自作で、延暦寺根本中堂の本尊、薬師如来の余った木で刻まれたと伝えられています。商売繁盛・家内安全などにご利益があります。

 

 霊殿には、江戸時代中期の絵師、狩野永叔(かのうえいしゅく)が描いた天井龍があります。龍の眼を見ながら、部屋を一周すると、眼の向きや顔が、見る角度によって変わるのが不思議でした。

 

 霊殿から見える、弁才天の紅葉がとても綺麗でした。

 

 宸殿は宸殿は、門跡寺院特有の建物で、「宸」という字は、天皇を意味しています。この宸殿に江戸時代前期の絵師、狩野益信(かのうますのぶ)が描いた襖絵があります。見る角度によって絵が変わるのは、斜めの技法と逆遠近法の仕業だそうです。

 

 こちらの宸殿には、円山応挙の鯉図がありました。鯉図は狩野益信の絵を学んでこの寺で描いた絵らしく、動くと鯉がついて来るように見えました。

 

 宸殿の庭に、江戸時代初期の回遊式庭園がありました。「心字」の裏文字を形取った池に、亀石、千鳥石、座禅石などが配置された名園で、「晩翠園」と呼ばれています。

 

 庭に出ました。

 

 太閤秀吉の大政所・高台尼が大阪城内に祀っていたものを、庶民福楽を願ってこの寺に移したため、この建物は「高台弁才天」と呼ばれています。

 

 宸殿前に枝垂れ桜の木があります。今は枯れ木ですが、ここは桜の名所でもあります。

 

 毘沙門堂を出ました。