電卓の歴史 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 電子式卓上計算機を略して「電卓」と呼びます。世界初の電卓は、1963年にイギリスで開発された真空管式の電卓「アニタマーク8」だと言われています。初期の電卓は大きさ40cm程度、重さ20kg程度。机の上に置く大きさでした。

 1964年に早川電機(現シャープ)が世界初のトランジスタ式の電卓「CS-10A」を発売しました。価格は535,000円。大卒初任給が21,500円という時代、電卓はとても高価な物でした。

 

 「演算通りの数式を入れれば答えが出る」電卓を最初に作ったのはソニーです。1967年に「SOBAX(ソバックス) ICC-500」を260,000円で発売しました。ソバックスは、「SOLID STATE ABACUS(固体回路のそろばん)」の略で、「そろばんのように手軽に使え、しかも複雑な演算をスピーディーにこなせる計算機」という意味です。持ち運び用の取っ手付きで、本体の後ろに充電池を搭載できるので、電源の無い場所に持ち運んで使用することもできました。

 

 シャープは小さくて安い電卓を作るため、部品点数を減らすことを考えました。そこで誕生したのが、LSIを使った電卓「QT-8D」です。1969年に99,800円で発売しました。

 

 日本計算機販売(1970年ビジコン社に改名)は、各社から注文された特注品の電卓を販売していました。当時の電卓は、各社の要求ごとに専用のLSIを設計する必要があり、開発が面倒でした。そこで、電卓の動作に必要な機能を持つ小さなコンピュータを作り、プログラムを変更するだけで各社の要求に応えられないかと考え、半導体の新興メーカーだったインテルと共同でマイクロプロセッサを開発しました。こうして、1971年に「インテル4004」を組み込んだプリンタ付き電卓「141-PF」が、159,800円で発売されました。

 

 開発中にマイクロプロセッサの可能性に気づいたインテルは、ビジコン社から受け取った開発費を返す代わりに4004の独占販売権を手にし、販売を開始しました。マイクロプロセッサは、電卓だけでなく、家電製品や工業機器の制御にも使われ、インテルは莫大な利益を得ました。一方ビジコン社は、 電卓の熾烈な価格競争と、 オイルショックによる円高で輸出が激減したことなどにより、 1974 年に倒産しました。

 

 1972年当時、電卓の標準価格は30,000円まで下がりましたが、大卒初任給は52,700円。電卓は会社の業務で使用する物でした。

 そこでカシオは、一般人でも電卓が使えるように、価格を1万円にしようと目標を立てました。そのために機能も最小限に絞って開発されたのが、 6 桁電卓 「カシオミニ」 です。1972年に12,800円で発売され、大ヒットしました。

 

 一方、シャープは薄型電卓への道を探っていました。当時の電卓の表示素子は蛍光表示管や LED が使われていました。いずれも消費電力が大きいために単三乾電池が使われていて、薄型化の制約となっていました。

 

 シャープが省電力化を図るために目をつけたのが液晶でした。液晶は材料の選択や配合が難しく、寿命も短いため実用化は望めないと考えられていましたが、電卓用液晶ディスプレイの開発に成功し、1973年に「EL-805」が発売されました。26,800円と低価格ではないのですが、単三乾電池一本で 100 時間使えるため、大ヒットしました。

 

 「EL-805」は厚さ20mm。その後もシャープは薄型の電卓を開発しました。1976年に太陽電池を搭載した電卓「EL-8026」を24,800円で発売し、1977年にボタンを持たないタッチキータイプの電卓「EL-8130」を8,500円で発売しました。「EL-8026」は厚さ9.5mm、「EL-8130」は5mmと電卓の薄型化が進みました。

 

 電卓の小型軽量化、低価格化競争はますます激しくなり、1978年にカシオが名刺サイズで厚さ 3.9mmの電卓「LC-78」を6,500円で発売します。当時の大卒初任給は105,500円。もはや電卓は手軽に所有できる物になっていました。

 

 1983年、ついにカシオは世界で最も薄い、厚さ0.8mmのカード電卓「SL-800」を5,900円で発売しました。液晶表示装置、太陽電池など、全ての部品を薄いフィルム状にし、それを重ね合わせて0.8mmの厚さを実現しました。薄すぎても持ち運びに神経を使います。さらに薄い電卓を作るメリットは何も無く、薄型化競争は終焉を迎えました。