デンマーク館 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

オーストラリアの家の隣にあるデンマーク館に入りました。

 

 デンマークで有名なのが人魚姫の像。1913年、エドガー・エリクセンによって創られた像です。余談ですが、アンデルセンの童話はディズニー映画の原作になったものもあります。「人魚姫」→「リトル・マーメイド」、「雪の女王」→「アナと雪の女王」など。

 

  アンデルセンは1805年オーゼンセに生まれ、貧しい少年時代を過ごしました。演劇への情熱に駆られ、14歳でコペンハーゲンに出ます。端役として王立劇場に出たりしましたが、基礎教育が必要と判断され、人々の好意を受けて学校に入りました。

 

 

 23歳で詩作を始めます。25歳で初恋を経験して愛の詩が生まれますが、その恋は実らず思い出は童話に生かされました。28歳で国王の奨学金を得て外遊し、30歳で童話集を出版します。以降70歳で亡くなるまで童話を書き続けます。生涯独身だったそうで国葬されました。

 

 デンマークは「デーン人の国」という意味で、デーン人はゲルマン民族の一派であるノルマン族に属します。ノルマン族は、デーン人、ゴート人、ノルウェー人、スウェーデン人の4つのグループに分かれ、ダンス・タング(旧デンマーク語)を話していました。ヨーロッパ大陸一帯に広がったローマ文化に対して独特の文化を守り続け、主に農牧業、漁業、狩猟で生活の糧を得ました。また、フィヨルドと無数の島々で構成された地形のおかげで、高度な造船技術と船乗りの技術を持つようになりました。

 

 ノルマン族は8世紀後半から11世紀後半にかけて、肥沃な土地を求めて欧米へ進出しました。スウェーデン人は東のバルティック諸国、ロシアの川を下って黒海とカスピ海へ。ノルウェー人は北大西洋を航海してアイスランド、グリーンランド、北アメリカへ。デーン人は西ヨーロッパの海岸沿いに南下しました。

 

 彼らの行為は海賊そのものだったため、「バイキング」と呼ばれています。デンマーク王家が960年頃にデーン人をキリスト教に改宗したため、バイキングは略奪した土地に定住するようになりました。

 

 バイキングといえば、多数の料理から自分の好みの物を皿に取り分ける行為が真っ先に思い浮かびますが、日本独自の言葉であり、海外では「ビッフェ」と呼びます。

 バイキング料理のルーツは燻製や酢漬けの魚、肉料理、サラダ、パンなど、様々な料理をテーブルに並べた「スモーガスボード」というスウェーデンの料理形式で、1700年代から続く形式だそうです。

 1957年、当時の帝国ホテルレストラン支配人が、旅先のデンマークで、「スモーガスボード」という北欧の食べ放題料理スタイルに感銘を受けたのがきっかけで、翌年、帝国ホテル内にこの様式を導入した日本初のレストラン「インペリアル・バイキング・サール」を開業し、以降「食べ放題」の代名詞になりました。