小野小町は小野篁(たかむら)の孫にあたり、出羽の国司を務めた良家の娘であるとされてきました。生年不詳ですが、815年頃生まれたと推測されています。
第54代天皇である仁明(にんみょう)天皇に仕えました。美人で和歌が上手い小町は寵愛を一身に受けたそうです。
850年に仁明天皇が崩御。その後小町は小野の里に引きこもり、この地で晩年を余生を送ったと伝えられています。
小野小町化粧井戸。小野小町の屋敷跡に残る井戸で、朝夕水を鏡代わりに化粧を行ったそうです。
庭には一般の方が詠んだ和歌がずらりと並んでいます。
小野小町の庭に入りました。
庭の一角に、清滝権現(せいりゅうごんげん)が祀られています。清滝権現とは、インド神話に登場する八大竜王の一、沙掲羅(シャカラ)の第3王女である善女龍王です。
この地に語り伝えられている最も有名な話は、「深草少将百夜通(ももよがよい)」です。小町を慕って小野の里に、雨の日の夜も雪の日の夜も通い続けたが、降る雪と発病により、最後の一夜を前に世を去った話です。
文塚。深草少将をはじめ、当時の貴公子たちから小町に寄せられた千束の文を埋めた所。
隣に供養塔。深草少将のものと思われます。
随心院を開基した仁海僧正の供養塔。後ろに生えているのは榧(かや)の大木です。深草少将の百夜通いの折、小町は榧の実を糸に綴って数をとり、後にその実をこの地に播いたもので、かつては99本あったと伝えられています。
隋心院を出ました。次に続きます。