祇園祭(山鉾巡行) | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

烏丸御池で下車しました。最初の鉾が11時20分に来る予定です。

 1時間早く行って場所取りをしました。刻々と人が増え、人ごみに流されて確保した場所をキープするのも大変です。

 

 祇園祭は八坂神社の祭礼で、7月1日~31日まで1ヶ月に渡り、何らかの神事が行われます。17日の山鉾巡行は前祭(さきまつり)のクライマックス。後祭(あとまつり)の山鉾巡行は24日です。
 古くは、「祇園御霊会(ごりょうえ)」と呼ばれ、869年に日本各地に疫病が流行した時、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことに始まるそうです。

 

 巡行の先頭は、長刀鉾(なぎなたほこ)。鉾頭の大長刀は、天皇の住まいである御所や本神である八坂神社を向かないよう、刃先を南向きにしているそうです。

 

他はくじ順で決まります。来た順に撮影しました。

 

山伏山(やまぶしやま) と 白楽天山(はくらくてんやま)

  

 

孟宗山(もうそうやま) と 函谷鉾(かんこぼこ)

  

 

流れが止まりました。

 私がいる所は終点だったようで、函谷鉾のメンバーが写真撮影をしていました。

 巡行した山鉾はすぐに各鉾町に戻り、戻り次第解体されます。山鉾が街中を巡行すると厄を集め、その後解体すると、集めた厄を留めてしまうという言い伝えがあるそうです。

 

 青信号になるたびに大勢の人や車が横断歩道を渡り、警察官が横断歩道で立ち止まって遠くにいる山鉾を撮影しようとする人や、渡った後そのまま最前列で立ち止まる人を取り締まっていました。ずるい人、結構います。

 

遠くで止まっていた集団がようやく動き出しました。

 

太子山(たいしやま) と 四条傘鉾(しじょうかさぼこ)

  

 

占出山(うらでやま) と 月鉾(つきほこ)

  

 

 月鉾のように柄の長い鉾は安定が悪く、ゆらゆらと揺れていました。10人ぐらいの人が長い綱を引いて鉾を進めています。車輪にへらを突っ込んで方向転換を図る人もいました。下の方は重労働です。

 遠くから見るとゆっくり動いているように見えるのですが、意外と動きが速く、山鉾は一瞬で通り過ぎました。

 

芦刈山(あしかりやま) と 螳螂山(とうろうやま)

 写真では分かりにくいのですが、螳螂山の上の方に、カマキリがいます。

  

 

保昌山(ほうしょうやま) と 鶏鉾(とりほこ)

  

 

伯牙山(はくがやま) と 綾傘鉾(あやかさほこ)

  

 

霰天神山(あられてんじんやま) と 菊水鉾(きくすいほこ)

  

 

木賊山(とくさやま) と 郭巨山(かっきょやま)

  

 

油天神山(あぶらてんじんやま) と 放下鉾(ほうかぼこ)

  

 

 岩戸山(いわとやま)と船鉾(ふなほこ)の間で、再び休憩がありました。もうすぐ13時になろうとしています。

 終わったと思ったのか帰る人もいて、急に人が少なくなりましたが、何の合図も無く終わることは無いと思い、いつ来るか分からない山鉾を待ちました。

  

 

船鉾の後にパトカーが来て、ようやく山鉾巡行が終了しました。全部で23基でした。

 お腹が空いて頭が働かなかったので、まず近くのコンビニで腹ごしらえ。街中の地図を見ながらどういう順番で回ろうか、考えました。