妙心寺(境内) | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 JR花園駅から東へ歩いて徒歩5分。妙心寺に着きました。

 

 花園天皇が、1337年に離宮を改めて禅寺にし、大徳寺の開山大燈国師の法嗣である関山慧玄(せきやまえげん)を招いたのが、妙心寺の始まりです。

 

 三門は現在使われておらず、周辺に策が張られていました。

 

 仏殿には、蓮華をつまんだお釈迦様が祀られていました。お釈迦様はこの姿で弟子たちの前に現れ、弟子たちは皆茫然としていましたが、一人だけにっこりと笑った者がいて、その者に蓮華の花をあげた、という話があります。この話から「拈華微笑(ねんげみしょう)。仏教の真理が無言で伝わる事。」という四字熟語が生まれました。

 

 大方丈は檀家の祖先を祀り供養を行ったり、説教や講演を聞いたり、会合を行う場所です。

 

  中庭には、縁起担ぎ・厄除け・魔除けのため、盛り塩がされていました。

 

  法堂で講義や儀式を行う時、控室として使われる寝堂。

 

 

 寝堂の向かい側に法堂があります。

 

 法堂の天井画は狩野探幽作の雲龍図です。天井画は地上で天井板に下絵を描き、その後足場を組んで塗り、完成まで8年かかったと言われています。

 建物の中心に龍の眼があり、眼を見つめながら一巡すると、見る角度によって龍の動きや表情が変わるため、「八方睨みの龍」と呼ばれています。

 

 国宝の妙心寺鐘は、50年前まで鐘楼に吊るされていましたが、保護のため法堂に移されました。

 698年に造られた日本最古の鐘で、吉田兼好の徒然草には、「黄鐘調(おうしきちょう)の音」と記されています。黄鐘調とは430Hzの「ラ」を主音とする雅楽の調のことです。CDで聞いた音は、とても低く鈍い音でした。

 

 浴室は、1587年に密宗和尚が明智光秀の菩提を弔うために創建したもので、「明智風呂」と呼ばれ、昭和初期まで使われていました。風呂は蒸風呂で、簀子板敷の隙間から蒸気を出していたそうです。僧が薄い布を着て入浴した事から「浴衣」という言葉が生まれました。

 

 経堂には大量の経典が保管されています。浴衣を着て入浴したため、体を乾かしている間も経典を読み、勉強していたそうです。