乾邸を出たのは14時半でした。帰りは住吉川に沿って南へ下りました。
阪急の鉄道より少し南に、住吉学園があり、その敷地内に「流石の碑」があります。
この碑は、1938年に起きた阪神大水害の惨状を後世に残すために作られました。
実際に水害で流れてきた巨石が使われていて、この台座の上までドロ水が来たそうです。
この災害がどれだけ大きかったか、想像できます。
山手幹線沿いに水道橋があります。
住吉川は天井川(砂礫の堆積により川底が周辺の平面地よりも高く なった川のこと。)で、生活排水が一切入っていない、きれいな川です。
細雪の碑。谷崎潤一郎の長編小説「細雪」は、この地で生まれました。
JR線より少し北側に、久原橋が架かっています。久原邸へ行くための橋です。
謎の建物、旧久原邸。
日立製作所、日産自動車、日立造船、日本鉱業などの創立の基盤となった久原財閥の総師である久原房之助(1869-1965)が、1908年に建てた大豪邸で、20年ほど住んでいました。
今はマンションが建っています。
私は12年間、この建物が見える場所で仕事をしていて、いろいろ噂を聞きます。プロ野球の野茂やイチローが住んでいた億ションだとか、1階に1皿6,000円するフランス料理店があるとか、部外者が入れないように厳重に警備されているとか、内庭がありそこに洗濯物を干しているとか、プール付きの部屋があるとか。価格が下落して今はマンションだとか。
本当に人が住んでいるのか?と思うぐらい生活臭が全く無いのです。
国道2号線から見た住吉川
国道2号線を渡り、さらに南へ行きました。
倚松庵(いしょうあん)。谷崎潤一郎が1936~1943年の7年間住んでいた家で、「細雪」の舞台になった場所です。
南へ行くと「村界の碑」が立っています。ここから北が住吉村、南が魚崎村だったそうです。
ここから南へ進むと、魚崎郷に入ります。この日は酒蔵巡りをせず、魚崎駅から帰路に就きました。