有馬道 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

関西は新緑の季節を迎えました。

 桜ネタを先に投稿したので、しばらく投稿しそびれた記事が続きます。

 

3月20日は乾邸の特別公開に行ってきました。

 乾邸はJR住吉駅から歩いて30分ほどかかるので、観光がてらに有馬道を歩きました。

 

JR住吉駅より少し南側にある有馬道の碑からスタート。

 昔の人はここから北へ進み、有馬温泉に向かっていたそうです。かなり遠い道のりで、何日もかけて行ったことと思われます。

 

 途中、道しるべがありました。今でこそ不要ですが、舗装された道路が無かった時代は、心強い標識だったことでしょう。

 

さらに北へ歩くと、庚申塚がありました。

 この塚は、前方後円墳の後円部分であったと言われています。なお、庚申信仰とは、60日に一度回ってくる庚申の日に夜を寝ずに過ごす信仰のことです。

 

この日はお彼岸の中日で、墓地はお墓詣りの人で賑わっていました。

 ここに文禄三年の石仏があります。もしも本当に文禄三年(1594年)の作だとしたら、区内最古の遺跡になります。

 

さらに北へ歩くと、水車のモニュメントがありました。

 手前の大きい方は山田太郎車、小さい方は山田次郎車と呼ばれています。

 

 江戸時代には、住吉川流域に88基もの水車が廻り、灯油の油搾り、製粉、酒米の精米など、水車産業として灘の酒造りを支えていました。

 水車を利用して作られた菜種油や酒は大変良い物で、そのほとんどが江戸に送られ「灘目油、酒」として武家を中心にもてはやされていました。

 

 有馬道は、石材の積出しや水車へ往復する牛車が頻繁で、特に雨降りにはぬかるみ、往来に困難を極めていました。見かねた山田在住の植田庄兵衛翁が有馬道の西側の田園を全て買い上げ、道路用地として住吉村に寄贈し、1888年に村道第1号が山田呉田に新設されたそうです。

 

さらに北へ歩くと山田公園があり、道を隔てた所にお地蔵さんが立っています。

 切り出した御影石や水車場からの米を積んだ牛車が行き来していた頃、交通安全を祈って立てられたもので、側に柿の木が繁っているところから「柿の木地蔵」と名付けられました。

 

有馬道にこんなにたくさんの歴史がつまっているとは、知りませんでした。

 

ようやく乾邸に着きました。普段、入口は閉まっています。

予約時間の13時まで1時間半ほどあったので、近くの白鶴美術館に立ち寄りました。