以下、パンフレットの文章です。
醍醐寺の塔頭の一つである三宝院は、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正が、1115年に創建したもので、その後、鳥羽法皇の御願寺になりました。
室町時代には足利義満の猶子(ゆうし。兄弟・親類や他人の子を自分の子にすること)である満済准后(醍醐寺第73代座主)が、三宝院を醍醐寺の中心的な役割を担う本坊にしました。
応仁の乱(1467-1477)で建物が倒壊し、その後130年以上復興が無かったのですが、
1598年豊臣秀吉によって催された「醍醐の花見」を機に、義遠准后(醍醐寺第80世座主)が、醍醐寺の復興を秀吉に願い出た事をきっかけに復興しました。
三宝院の入口も人でいっぱいでした。
葵祭の風景画や長谷川等伯一派が描いた襖絵「秋の七草」や「竹林花鳥図」を見て、庭園を眺めました。庭園は特別名勝・特別史跡に指定されています。
三宝院の外には、国宝の勅使門があります。
三宝院は醍醐寺の中で一番美しい所でした。