西陣織会館 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 堀川通の桜並木も枯木のままで、西陣の神社や寺の桜も期待外れに終わりそうだったので、西陣織会館に寄りました。


西陣織会館


西陣織の発展について次のような説明がありました。


 西陣織の起源は、701年大宝令制定で織部司を置き、錦・綾・羅・紬を製織した事から始まります。


 1467年に始まった応仁の乱は、東軍と西軍に分かれた戦で11年続きました。この戦乱で、朝廷の織物を司っていた工人たちは、堺や山口などに逃れました。

 そこで中国大陸の進んだ織技術を習得し、応仁の乱後、西軍の大将、山名宗全が陣を構えていた陣跡一帯に居を構え、織物を盛んに織り出しました。西陣という地名の起源です。


 以降、西陣織は政権者の庇護もあって、1703年西陣織屋は百六十余町の大機業地に発展。桃山文化や元禄文化の開花にも大きな役割を果たしました。


 しかし、明治時代、東京遷都と服飾の改革によって衰退。

 そこで、1872年にフランスのリヨンへ留学生を送り、ジャカードなど洋式の織物技術を導入しました。他の産地に先がけて、新技術を導入したことによって、西陣織は急速に生まれ変わり、第二次世界大戦の一時期を除いて発展しました。



 西陣織は、染めた糸を使って紋様を織り出す織物ですが、色糸が機(はた)にかけられ、織物となるまでに、複雑な工程を経ます。


1.デザイン

  ↓

2.企画製紋工程 組織を決めて紋紙を作る

  ↓

3.原料準備工程 織物に必要な太さと色のタテ糸とヨコ糸を準備する

  ↓

4.機準備工程 ジャカード、綜絖(そうこう)、筬(おさ)、抒(ひ)など機の部品を用意する

  ↓

5.製織工程

  ↓

6.整理加工工程 蒸気などを通して独特の風合を出す



 効率良く作業を進めるため通常は力織機(りきしょっき)を使いますが、力織機では出来ない細かい作業は手織をするそうです。手織に使う機が展示されていました。



幻の機「空引機(そらひきばた)」

 空引機は中国から伝えられたもので、ジャカード機が導入される前に能装束など、模様のある美しい織物を創作するために使われていました。

 2人で共同して紋様を作り上げる手織機で、1人が機の上に上がり、柄に合わせてタテ糸を引き上げ、その調子に合わせてもう1人が下で踏機を踏んでヨコ糸を通します。


空引機


手機(てばた)

 足元の踏木を踏むと、機(はた)の上に据え付けられたジャカードにセットされた紋紙というパンチカードの指令で必要なタテ糸を引き上げ、そこへ抒(ひ)や竹ベラを使ってヨコ糸や箔を通して織っていきます。


手織


抒(ひ) 織物を製織する時、ヨコ糸をつけた管を抒に装置し、タテ糸にヨコ糸を組む用具。


杼


管(くだ) 織機用の杼に入れるヨコ糸を巻く芯管。


管


史料室やショップで作品を見た後、きものショーを見ました。


きものショー2   きものショー1


たまたま立ち寄った所ですが、とても良い物を見れました。