サポートライター みけ の独り言 -26ページ目

サポートライター みけ の独り言

電子書籍のはなし、文章のはなし、ことばのはなし、書く事、話すこと、ゆめのたねで喋っていることなど、言葉にまつわるいろいろなことを中心に、書いてみたいと思っています。

 

今回は「錯覚」について取り上げようと思います。錯覚と聞くと「勘違い」というような言葉を思い浮かべる人が多いと思いますが、錯覚が必ずしも悪いわけではないと思っています。今回は錯覚もうまく利用して自分に役立てる事は出来ないかという観点で考えてみることにします。

錯覚って、結構よくヤラカス失敗の一つじゃないかと思いますが、皆さんはどうでしょうか。錯覚は聞こえた音声や見えた物などの対象をそのものとしてではなくて別のモノに認識してしまう事を指します。そのため、その後の反応や言動が本来とは違った物になってしまう可能性が出て来ます。それで「勘違い」が起きるわけですね。

そんな失敗も、笑って済む程度の他愛もない軽い失敗の場合もあれば、いろいろな人や団体に迷惑をかけてしまったり事故に繋がったりするような大きな失敗の場合もあるでしょう。そんな大事にでもなってしまうと、錯覚をした当人は悔やんでも悔やみきれないでしょうね、なぜあの時にもっとしっかりと確かめておかなかったのか等と自分を責め続けるかもしれません。

ただ、今回は錯覚を如何に利用して役立てるかをテーマにしようと思っていますので、やや自分本位に物事を捉えるきらいも出て来るんじゃないかと思います。

錯覚は事物の捉え方が本来の事物と違った物として受け止めたことによりますが、それによって勘違いが生じることになります。また、受け止めたその人自身のこだわりの強さなどによっては、訂正が難しい事もあるでしょう。一般的に、勘違いを指摘された場合は素直に「間違った」として訂正をすればよいのですが、中には意地になって訂正を拒む人もいます。また、思い込みが激しい人の場合では、自分は絶対に錯覚などしないと最初から決めてかかっている場合があるようです。こんな人の場合も同様に、訂正は難しいでしょう。

結局のところ、元の錯覚がなぜ起きたのかを考えてみると、そのように見えたとか聞こえたとか、そのような理由に行き着くんじゃないでしょうか。視覚や聴覚の問題というよりも、感じて受け止めたそれを解釈する「脳」の問題なんじゃないかと思います。脳が誤ってそのように捉えたというのであれば、自分で錯覚だった事に気付くか誰かに指摘してもらうまで訂正は出来そうにありませんね。

これを自分に役立てようという事になるとなんとも難しそうな話ですが、じつを言うと意外なほど身近なところで毎日のように錯覚に出会っているんです。例えば手品の場合がそうですね。観客を視覚的に、あるいは心理的に錯覚するように誘導していくので皆それにつられてしまいますが、じつは別のところに仕掛けておいたタネを使って観客の期待を裏切って楽しませるというものですね。

手品の場合は錯覚や思い込みなどの心理的なテクニックを上手く使って、自分の手品の芸を成功させるわけですが、心理的な錯覚と言う事で言えば広告関連の記事や表現などが該当すると思います。

たとえば、数字を用いることで具体的な表現をしようとするときに、その単位を操作して数値を大きくするといった表現は、まさに錯覚を利用している例でしょう。量で表すなら0.5グラムも500ミリグラムも同じ量ですが、用いる数値が多い500ミリグラムと表現した方が多いように感じる人が多いと思います。広さを表現するなら〇〇ヘクタールと数字を使うよりも東京ドーム〇個分の方がイメージがしやすいでしょう。何かを表現する時に身近なものを用いて比較することで、イメージとして想像しやすくしているんですね。といっても、じつは比較に使った身近なものの正確な量や大きさなどのサイズをどこまで皆が把握しているかとなると、こちらもイメージのようですが・・・。

インターネットで錯覚について調べていたところ、面白い記事を見つけました。クッキーを食べている人にチョコレートの映像を一緒に見せて、しかもチョコレートの匂いをかがせながらにすると、食べているクッキーにチョコレートの味を感じる例が多いのだそうです。また、手に持っている食物が大きく見えたり小さく見えたりする違いを作って見せると、もとのサイズは同じであったとしても、少し食べただけで満腹になったり、いつもよりたくさん食べられたりするという実験結果の記載もありました。記事によると、これをうまく利用すればダイエットにも効果が期待できるんじゃないかとの記載までありました。

では、自分事で考えてみるとどんなことをすれば自分が有利になるかを考えてみたいと思います。誰かと比較して有利になろうと思えば、錯覚を生じさせるよりも、相手を追い越すだけの努力の方が必要になりますね。ですが、有利かどうかは別としても、今以上に自分に自信をつける方法ならあるかもしれません。根拠はあまり重要視しないことになりますが・・・。

例えば何かの下調べをしてプレゼンテーションに臨むような場合、自分がその当事者だったとすれば誰だって緊張するでしょう。成功させたいと思うでしょうし、少なくとも失敗だけは避けたいと思うんじゃないでしょうか。当然ですが、何度も練習して準備を整えて本番に臨む事と思いますが、それでも不安を完全に消すことは難しいかもしれません。

それじゃ、どうするかですね。たとえば 事前に下調べをしてまとめ上げたら、追加情報なども含めて清書することが多いと思います。そのうえで、本番でトチらないようにひたすら何度も繰り返して読む練習をすると思いますが、その時にどのようなところに注意して読む練習をするでしょうか。手書きにせよプリントしたものにせよ、本番では手元に何かの資料を用意する事にもなるでしょう。多くの場合で、それが清書したものになります。

私の場合、その原稿をただ読み上げるのではなくて、話し言葉としてふさわしいか、書き言葉のような堅苦しい表現になっていないか、あるいはこの言葉使いで言わんとすることが伝わりそうか、内容の続き具合と言葉としての接続詞が上手く合っているかなど、加えてタイムコースなども一緒にチェックします。当然、書き込みが何か所にも及びます。書き込むときはインクの色を黒にせず、青か緑にしているのですが、本番ではたくさんの書き込みをしたものを使うようにしています。その書き込みが事前に準備を頑張ったことの証拠ですし、それだけ準備したのだから大丈夫という自信に繋がるので、そのままの状態で本番に臨むことにしているわけです。

これも、錯覚と言えば錯覚でしょう。ですが、本番で失敗しなければ良いのですから、持ち込む資料が多少グズグズで書き込みが多くても、問題は無いと思います。

こんな錯覚の使い方も、有っていいんじゃないでしょうか。

 

 

今回は上記のようなテーマにしました。もちろん、睡眠中に見る夢ではなくて、覚醒時に見る方の夢の話ですよ。ということで、起きているときの夢について考えてみたいと思います。

まず、夢とは何でしょうか。睡眠中の夢であれば「夢を見る」という表現になりますね。それに対して、起きているときの夢は「夢を見る」という表現も出来ますが、それよりも「夢を持つ」、あるいは「夢を描く」と言った方が分かりやすそうです。意味するところは「将来実現させたい自分の願望、現実とはまた別の空想や楽しい考えなど」のように、様々な意味を含むことがあります。ただ、起きているときの夢に対してどのような捉え方をするかで、将来における実現の可能性は変わってくるかもしれません。

例えば、白昼夢のように空想に耽ってしまうだけでは、夢をどれだけありありと描けたとしても実現性は乏しいでしょう。それに対して、夢を将来の自分が成りたい姿、実現したい姿で成功した状態などを思い描いたイメージとして捉えるならば、それは目標として捉える事が出来ませんか。実現の可能性が一気に高くなると思いますが、どうでしょうか。

このように夢を空想の産物として考えるなら実現はしませんし、神頼みのように神仏に祈ったとしてもそれだけでは実現は難しいでしょう。「夢=目標」と捉えて目標に向けて行動を行った時に、はじめてその夢が現実味を帯びてくるのだと思います。

さて、実際に(将来の)夢を持つことについて、そのメリットを考えてみたいと思います。もしも自分が思い描いた未来の姿が実現するとすれば、それが分かっているとすればモチベーションはもの凄く高くなりそうですね。実際には「分かっている」というよりも「可能性が高くなる」という事でしょうから、不確定要素はいくらでも出て来そうですが、それでも「実現できそう、できるんじゃない?」と自分で思えるようになっていけば、それにつれてモチベーションもどんどん上がっていくことが想像できます。

当然ですが、夢を実現させるためには行動が必要になってきます。そして、その中から必要なスキルや成功に向けた考え方なども身に付いていくでしょう。自分自身も成長することが期待できます。これも大きなメリットですね。

行動して自分自身が動いていれば、その中で学びもあればちょっとした成功も失敗も体験するでしょう。知らなかったことが知識が増えることで理解できるようになったり、小さな成功体験に思わず喜んだりすることも体験していくと思います。これらを通して、自分に対して「やるじゃないの」といった気持になることも出て来るでしょう。これこそ自己肯定感ですよね、これも次第に上がっていくことでしょう。

日々の努力や学び、行動が夢の実現に一歩一歩近づいていくことを実感できるようになると、自分自身のあらゆることで生きがいや充実感を味わえるようになります。明確な目標(目指すもの)があるほど、この気持ちは強くなるでしょう。気持ちが前向きになっていますので、ちょっとした失敗も「ドンマイ」くらいの感覚になって落ち込むことが無くなるかもしれません。失敗に囚われてしまうと自分自身が動けなくなります。前に進めなくなると、どんどん失敗したという気持ちが強くなっていきますが、失敗に囚われている心境でなければ、自分のフォーカスが未来に向いているわけですから、すぐに再度チャレンジできるようになります。

こうなってくると、ちょっとしたストレスなど全く気にならなくなります。ムリはいけませんが、自己肯定感が上がって気持ちが前向きの状態で安定していけば、ストレスの耐性も高くなるでしょう。その人の姿勢に多くの人が共感を持ってくれるのではないでしょうか。そこから、今度は色々な人とのつながりが生まれてくることも予想が出来ます。同じ価値観を持つ人同士であればあまりストレスは溜まらないでしょう。お互いの関係も良好な状態が続きます。

こう考えると、夢を持つことのメリットはプラスしかありませんね。実際にはデメリットも無いわけではありません。たとえば、誰か蹴落として実現しようような夢の場合は、周囲との争いが絶えないでしょうから、自分もどんどんすり減っていくでしょう。人間関係にも摩擦が生じて苦しむことになりかねませんね。

また、夢にこだわりを持ち過ぎると融通が利かなくなって、現実とのギャップに苦しんだり挫折感を持ったりする事も出て来るでしょう。

さらに、夢を叶えるためとは言っても、時間的な余裕が作れない時にのめり込んでみたり、労力をかけすぎて疲弊してしまうかもしれません。これはなにも労力や時間だけの問題ではなくて、経済的にも負担になる可能性が出て来ます。

総じて、デメリットの場合は結構ムリをして負担になるケースが多そうですね。そのような事が起きないように、事前に計画を立てて行動に臨む事も必要でしょう。

夢を持ってそれを実現させようとする場合は、ムリなことはせずにメリハリのある行動を行いつつ、なるべく負担にならないような工夫が求められると思います。

 

 

今回取り上げるテーマは「イメージの力」としました。イメージと聞くと少し高尚な感覚になるかもしれませんが、いわゆる「イメージ力」といったところでしょうか、それよりもむしろ、想像力や妄想なども含めて「どのようなイメージが描けるか」として考えてみたいと思います。

妄想と聞くと、「なにやら良からぬ想像を頭の中に描いているな、コイツ!」のような反応になると思いますが、もともとの妄想という言葉には三つほどの意味があるそうです。辞書によると


 ①、根拠もなく、あれこれと想像する事
 ②、仏教的に言う顛倒妄想(てんどうもうぞう)、妄念、邪念
 ③、根拠のない、ありえない内容に確信をもってしまい、
  事実や論理によって訂正することができない主観的な信念


3番目は精神科領域で対象となることが多く、誇大妄想や被害妄想などが含まれます。

今回のテーマで言えば、①に相当するようですね。ただ、自分はこうなりたいという目指す姿として描く場合は、目的があるので「妄想」というよりも「大成功した自分の具体的なイメージ」として区別しようと思います。

話を戻して、イメージの力という事なので単純に「イメージ力」は含みます。ただ、ニュアンスとして「イメージを持つことが物事の実現に向けて行動するときに働きかける影響」といった意味合いを含めて、今回は考えてみたいと思います。例を挙げると、アスリートの方々が行う「イメージトレーニング」のような意味合いになるでしょうか。

しかし、なぜ多くのアスリートがイメージトレーニングを行うのでしょうか。これにはちゃんと理由があるようですね。

まず、イメージについて考えてみます。イメージを浮かべるというのは「頭の中で物事を思い描く」ということですね。そして、どれだけ鮮明に、あるいは詳細にイメージできるか、あるいは漠然としているか、どこまでイメージを描く事が出来るかが「イメージ力」のことです。イメージはともかく、イメージ力になると単に映像を思い浮かべるだけに留まりません。自分が出会った過去の経験や知識をベースにして、現実には存在しないモノや未来の出来事を想像する力も含まれます。ここまで出来る人は「想像力が豊か」な人物でしょう。単なる画像ではなく、動画的な場合も出て来るはずです。

想像する事、イメージを描くこと、じつは物事の成就や成功には大きな影響力を持っているんです。だからこそイメージトレーニングを行なうわけなのですが、どういったメカニズムがあるのか知りたいですよね。調べてみたところ、脳がもつ特徴が大きく関係していることが分かりました。

脳は「実際に自分が体験したこと」と「鮮明にイメージしたこと」の区別が苦手なんです。脳の特徴として、多くの資料では苦手というよりもハッキリと「区別が出来ない」と書かれているほどなんです。ですから、厳しいトレーニングを行って得られた能力(自らが行った体験)とイメージトレーニング(厳しいトレーニングは体験していない)とを同等に「実際にトレーニングを行った」と捉えてしまって、区別しないんですね。これは、イメージしたことが脳内では実際に体験した行動と同じような形で処理されるからだとされています。その結果、神経活動や筋肉の微細な動きに影響を与えます。脳は実際にトレーニングしたと勘違いしていますので、身体の方がそれに合わせて結果を出すという事ですね。

こんな効果が期待できるのであれば、イメージトレーニングにも力が入ることでしょう。アスリートの方々はそれぞれの競技で結果を出せるように頑張るとして、何も身体を動かすことでなくても、事業や仕事上の成功なども同様に、イメージを鮮明に描く事が出来れば結果に繋がるという事になりませんか。

実際にイメージトレーニングを活用しているのはスポーツの分野だけではありません。学習の分野でも、その内容や手順をイメージすることで理解力や記憶力を高めるという事に活用されていますし、リハビリテーションの分野でも身体を動かす時のイメージを鮮明に描くことで運動機能の回復に効果を上げているとも聞きます。

さて、アスリートでない私たちでもイメージの力を使う事は重要な事として考えてみたいと思います。とくに仕事上や問題解決のうえで役に立つ手法ではないかと考えます。しかし、そのイメージの力を活用するためには、いくつかのルールのようなものがありますので、それを外さないようにしなければなりません。

まず、仕事でもプレゼンテーションを行う場合でも、成功するイメージを描くことが必要ですね。誰も失敗したいとは思わないでしょうけれども、せっかく成功するようにイメージトレーニングをして臨んでも、緊張のあまり本番前に不安になって「失敗してはいけない」なんてガチガチになってしまったら、イメージトレーニングの成果はどこかに吹き飛んでしまいます。成功するようなイメージを持つこと、そして自己肯定的な「出来るんだ」という強い気持ちで本番に臨むことが必要です。

また、事前に描く成功のイメージも、出来るだけ詳細なものほどうまくいくようですね。その時の雰囲気や参加者の衣服の色合い、会場の様子や参加者の話し声や拍手などもイメージ出来れば、より効果的でしょう。準備段階の時にそれらを本番まで毎日イメージを作って自分の中でそれを描くようにすれば、より成功に近づくことも期待できます。

実際に自分が何かをして成功したいわけですから、一人称「自分が~」といったイメージも必要です。誰かが行うのではありません、自分が行うわけですから、自分が成功するんだという気持ちが必要です。

こういったことを踏まえてイメージトレーニングを本番まで継続的に行うのですが、もちろんスキルを磨いて実際の練習も行なう事を忘れてはいけませんよ。練習はキツイ時もあるでしょうけれども、イメージトレーニングと並行して行なっているわけですよね。「これだけ練習して頑張ったんだから、成功して当たり前」くらいの気持ちになれたら、むしろ失敗の方が遠のくことになるでしょう。

一般論では、「イメージできないことは実現しにくい」とも言われています。成功のイメージなら自分の中でいくらでも描くことが出来ますので、ぜひそれぞれが、それぞれの目指すものに対して成功をイメージしてもらって、実際の成功を手に掴んでいただきたいと思います。