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サポートライター みけ の独り言

電子書籍のはなし、文章のはなし、ことばのはなし、書く事、話すこと、ゆめのたねで喋っていることなど、言葉にまつわるいろいろなことを中心に、書いてみたいと思っています。

 

今回も棚卸しの話ですが、前回が知識の棚卸しの話でしたので今回は技術の棚卸しを考えてみたいと思います。技術と書きましたが、能力と置き換えても良いと思います。つまりは「何が出来るか、出来ないか、出来なくなったか」といった内容になります。

現役の頃は分析を中心とした技術的な仕事を多く受け持っていましたので、「何の分析が出来るか」は重要な話でした。作業の手順を統一するために作業マニュアルを一応作っていた事もありましたが、今振り返ってみると、あまり使用されてはいなかったんじゃないかと思います。なぜなら、普段は忙しくていちいち手順をマニュアルと照らし合わせながら作業を行ってはいませんでしたから。毎日のことなので、作業手順は身体が覚えてしまうというのでしょうか、自然にマニュアル通りの手順で作業が流れていました。

ただ、時々立ち止まって確認はしていたようですね。といっても、業務時間内に作業の手を止める事は出来ませんので、夜勤の時間帯であったり業務終了後だったりしたようですが。

夜勤に入るためには、緊急で行う分析や技術的な作業、それに対する知識などが必要になってきます。そのため、誰でも夜勤が出来るわけではありません。また、分析したデータの確認作業や必要に応じての再分析、依頼元への問い合わせなども出来なければなりません。電子カルテのシステムを使用していましたので、それを使った各種作業の為の操作も必要です。

個人の能力としての棚卸しということであれば話は各自の中で完結するのですが、組織としての能力という事になると違った側面が出て来ます。

本来、技術の棚卸しという言葉が示す内容は、組織が持つ技術やノウハウのような知識を言語化して、分かりやすくしたうえで評価するというものです。組織が持つ技術という事になると、各技術者がもつ技術の総合力ということにもなります。また、言語化が難しいかもしれませんが、技術者間の協力体制や日頃からのコミュニケーションにより、さらに拡大する事もあるでしょう。

技術的な棚卸しを行なう目的は、組織としての技術力を個人の範囲の収めず、また個人間の力量のバラツキを補い合う体制によって、組織としての総力で「何が、どこまで出来るか」を明確にすることにあります。それがその組織の強みになるんですね。また、弱みも同時に分かるでしょうから、その部分を補強することでさらに強みが増すということも可能になります。

現役の頃に私が籍を置いていたのは医療機関の検査部門でしたので、あまり部署としての強みを考える機会は少なかったように感じます。それよりも、診療部門などの要望に応える方向で能力を伸ばす事の方が多かったような気もします。

異動の都合で他県の系列病院に勤務していた時は、それまでの勤務の仕方とはずいぶん違う事になりました。院内での分析業務が中心の仕事をしてきたのに、異動先の場所では患者さんに対する直接的な検査(心電図検査や脳波検査など)は院内で行っていましたが、通常の検査室が行うような分析業務は外部委託をしていました。こんな場合は、心電図検査や脳波検査などの場合の技術的な事は各自で学ぶのが原則になります。また、分析に関する技術力の話は出て来ません。そうなると、自分は何が出来るかという根本的なところにまで立ち戻って考え直さなければなりません。

また、このような検査室では何が必要になるか、何を求められるか、自分で考えて答えを導かなければなりません。これは結構大変でした。それまでは検査室からのサービスがほぼ無い状態でしたので、何を求められているのかがこちらには分かりませんし、問い合わせたとしてもなかなか返答がありません。結局のところ、いろいろと考えて(一部開き直りのようなところもありましたが)2年ほどかかって、やっとのことで自分なりの答えを出したという記憶があります。

これは「部署の仕事をつくる」ような作業だったのかもしれませんが、その内容はどうやら評価してもらえていたようでした。私なりに出した答えはハズレではなかったようです。どんなことをしたかというと、依頼があった検査の結果を依頼元に返却する際に、必要に応じてコメントを付けておくとか、すぐに対応した方が良いかもしれないと思うような検査結果があればそれだけ先に依頼元に届けるとか、臨床検査や関連する知識を出来るだけオープンにして他のスタッフに利用してもらう、何か問い合わせが有れば電話で済まそうとせずに、すぐにその部署に行って直接やり取りをしてその場で解決するなど、振り返ってみればさほど難しいことはしていないのですが、こういった活動は好評だったようですね。

毎年秋ごろには保健所による立ち入り調査が恒例の行事のように行われていました。これはどの医療機関も毎年必ず行われるものなのですが、現場の様子を視察に来たある保健所関係の方から、一度だけ小声で「普段はわりにヒマが多いんじゃない?」と言われたことがありました。しかし、その時は「この人が知っている医療機関の検査部門の人って、あまり仕事していないんじゃないのか?」等と考えてしまったことを覚えています。もちろん、声に出して言うわけにはいきませんので、笑ってごまかしたのですが・・・。

苦労するのが嫌で頑張っているフリをして、実際にはテキトーに手を抜いて苦労を避けているという人をよく見聞きします。しかし、こういった人は後になってとんでもないツケを払わされることになるかもしれません。ご注意を。


 

 

かつて私が就いていた職業では、時折り「自分の棚卸し」のような事をする機会がありました。「棚卸し」と言えば、普通は「企業や店舗が保管する商品や原材料などの在庫を調査して、その数量や品質ごとにどれくらい保有しているかを調べて確認する作業」と、一般的にはこのように理解されていることでしょう。主に決算の時に行いますが、企業によって、あるいは店舗によるのかもしれませんが、もっと頻繁にこの作業を行うところもあるようです。その目的は「現状を正確に知る」ということですね。これによって、利益を正確に知るための計算をしたり、帳簿上の在庫と実際の在庫のズレを特定したりするために欠かせない作業です。また、発注と出荷や消費とのバランスと今後の予想を立てるためにこのデータを利用することもあります。

では、今回のタイトルのように「自分の棚卸し」といった場合は、どんなことを指すのでしょうか。現役の頃に私が就いていたのは医療機関の中の検査部門でした。ここは患者さんについての様々な臨床検査を行う部署でしたので、全ての病棟や処置を行う部署からの検査依頼を受けています。担当する技師も皆専門知識を持っていますので何も心配する必要はないのですが、ただ、時には「?」という事が出て来ます。「?」の内容は多岐にわたりますが、コミュニケーション上の問題ということもあります。しかし、中にはとても深く突っ込んだ内容という事があり、担当者もその場ですぐには返答できないような例も出て来ます。大急ぎで調べて折り返し連絡を入れるという例もあるんですね。

多くの人は大人になるとあまり勉強しなくなる傾向があるみたいですね。研究職の人や向上心が強い人はともかくとしても、一般論で言えば勉強する機会を作ってでもしようと言う人は少ないようです。そうなると、いくら真剣に時間をかけて学んだことでも忘れてしまいます。うろ覚えになっていたり、キレイに忘れて言葉が出て来なくなることもあります。

そうならないように、私がいた職場の大勢の技師の結構な人数の人がそれぞれのやり方で、普段仕事で携わっている分野に限らず、業務範囲全体に対してどの程度知識が残っているか、あるいはアップデートできているかを自分で確かめるために、時折り試験のようなモノを自分に課すということをしていました。

そうやって自分の知識がちゃんと使える状態になっているか、知っているかどうか、アップデートできているか等を定期的に確認していたんです。とは言っても、各自が個人で行なっていましたので、他の技師がどんな方法で行っていたか、どれくらいの成績を取っているかなどについての情報は、互いに持ち合わせていませんでした。

このように、自分の現状を知って、もし知識に穴が有るようならば自分でそれを塞ぐようにしないと、「知らない」ということは出来なかったんですね。そのために、皆が様々な学会や団体に入って勉強する機会を設けていましたし、各自が気に入った専門雑誌を毎月定期的に購入して読んでいたりするのが当たり前だったようです。ただし、仕事中にそんなことをしているヒマはありませんので、自宅で時間を作って勉強していたようです。

世の中には、自分から探していけばいろいろと勉強する機会を見つける事が出来るようです。他の医療機関に勤める知人に教えてもらったり、自分で探して見つけては周囲の人に声をかけて知らせたりしていました。定期的なものもあれば不定期のモノもあります。学術団体や職能団体が主催するものもあれば、有志でサークルを立ち上げて行っている会もあるようです。勤務していた医療機関でも、毎月のように何かの講座を行っているところもあれば、規模が小さくても頑張って隔月開催という医療機関も有ったようです。

一方で、何も学ぼうとしない技師もいないわけではありません。「この仕事、この範囲のことだけやっていればいいからラクで好い」として、手が空いた時間は居眠り(?)と言う人も見たことがあります。「この人、前途多難になるだろうな」といった印象で見ていた記憶が残っている人もいます。

棚卸しというこの方法が正しいのかどうかと訊かれたら、分からないとしか答えようがありません。しかし、何もしないよりはマシじゃないかと思います。

自分の知識の棚卸しをしようと思えば、必然的に自分の履歴について振り返って考える事も必要になってきます。知識の量だけを考えて自分自身に対して評価するだけであれば履歴まで一緒に考える必要はありませんが、今自分が持ち合わせている知識や情報は、いつ、どこで、誰から、あるいはどんな機会に取り入れたものなのを考えると、自分の行動の履歴も見えてきます。あの頃は何を考えて行動していたのか等、振り返ると自分の貴重な体験が思い出されてきます。気持ちの上でのリフレッシュになるかもしれません。

そのうえで、自分の知識の穴や弱点を見つけたら補強することになりますね。また、前向きに考えるなら、関心の強い分野が見つかるかもしれません。あるいは、以前はあまり興味が無かったけれども、あれからいろいろと内容が発展していったので現在では非常に興味深いものになっているという例だって出て来るでしょう。そういった分野を自分で新たに掘り下げて学んでいく機会を作る事だって、出来ない相談ではありません。

また、世の中の動向で関心を集めている分野があれば、自分でもそれを追いかけていくことも出来ます。自分が仕事で行っている内容が近い分野なら、自分の仕事の延長線上にそれを持ってきて学びに繋げる事も出来るでしょう。自分のキャリアアップに役立つかもしれません。

そんな事も考えていくと、自分の知識の棚卸しって「あまり触れたくない、見たくない」ばかりのモノでもなくなってくると思いますが、どう思いますか。
 

 

前回の投稿からかなり間が空いてしまいましたが、そろそろ続きを書いていこうと思います。今回のテーマは「時間を生かす」としました。以前にも「時間術・時短術」について取り上げたことがありますので似たような話になるかもしれませんが、時間術や時短術と言うと時間を効率よく使うといった意味合いが強く感じられるのですが、「時間を生かす」といった場合は「如何にしてその有意義に時間を過ごすか」といった意味が強くなると感じています。ということで、今回はこの視点で考えてみたいと思います。

有意義という言葉を使いましたが、私たちはひとり一人違う価値観を持っています。ですから「何が一番大切か」と問われると、その場の全員が違ったことを返答するでしょう。仕事の話を挙げる人もいれば、趣味の話題をしゃべり出す人もいると思います。また、価値観とまで大きく考えなくても、その時に一番時間を割きたいことを返答する人も出て来ると思います。他人からすれば重要でない話でも、当人にすればとても大事なことだってあるはずですから。

有意義という言葉を調べてみると、「価値ある時間を過ごす」「成長や気付きに繋がる事」「満足感や充実感」といった意味を含むことが分かりました。これらの意味を持つ時間の過ごし方を「有意義な時間を過ごす」として考えると、必ずしも仕事に関わる話ばかりではなさそうですね。仕事のスキルや知識というよりも、人としての成長に関わる意味の方がはるかに大きい言葉のようです。

ある記事によれば、「時間を生かす」とは、自分が巡り合った人や経験を通して学んだことを「智恵」にまで昇華して、学び取ったものを自分の人間としての成長に結び付けていくことだと書かれていました。

こう聞くと「どんな人と巡り合うか」という事にも注目が行きそうですが、その人と出会うまでの経緯(いきさつ)や別の人を介するなどで繋がった縁という事も含めての巡り合わせとも考えられます。縁は人が運ぶものという考え方もあります。出会いは運という見方も出来るでしょう。そんな出来事って、人生の上でどれくらいあるでしょうか。それを踏まえて、普段からどれだけ他人との縁を大事にしているかと振返ってみると、私には自信がありません。

巡り合った人や経験からの学びにしても、その時は案外何も気が付かないことが多いようです。相手の人からどれだけの名言を聞かされても、ピンと来ないことも多々あります。しかし、それから時間が経って自分でも忘れた頃になってから「フト」その名言を思い出すことがあるんですね。その時になって、はじめて「自分は貴重な体験をしていたんだ」という事に気が付くんです。巡り合った人や経験からの学びは、しっかりと私の中でタネとして播かれて根を張って育っていたわけですね。しかし、それに気が付くまでの間、言い換えれば分かるだけの力量に成長するまで自分でも気が付いていなかったという事のようです。そうなって初めて「あの時に気が付いていれば」と後悔するのですが、自分にそれだけのものがまだ備わっていなかったのですから仕方がありません。振り返った時に出来るだけ思い出すようにして、学んだことを思い起こしながら反芻して身に付けるようにしています。

この振り返って学びを思い起こす時間は、有意義な時間だと思います。もちろん、その場で貴重な学びの体験をしていることが分かるだけの人物にならなければなりません。こういった学びや智恵は、タイムマネジメントや時間術などでは決して身に付かないと思います。このことから、「効率よく」と「有意義に」は別の軸で考えなければならないことが分かりますよね。

ここで考えてみたいことが一つ出て来ました。有意義な時間を過ごすためには何が必要でしょうか。

「有意義な時間を過ごす」とは、単にその時を楽しく過ごせばよいという事ではありません。自分にとってその時間を過ごしたことによって「価値があった」と手ごたえを感じられる時間の過ごし方をしたということです。それだけ充実していたということです。具体的には、学びや成長、満足感、達成感などが得られる場合もあるでしょう。そういった、何らかのポジティブな結果につながったりした時間や体験を指します。つまり、生産性の高い時間を過ごしたという事ですね。精神面での成長の部分が大きいという意味ですよ。

そうなると体調不良な状態だといけませんね。例えば、受け取る側の自分の頭がぼんやりとした状態だと、キチンと成果を受け取る事が出来ません。体調を整えるなどして、心身が整った状態でないと受け取れるものも受け取れなくなります。睡眠不足で頭がピンボケ状態でもいけませんし、ノイズが多くて物事に集中できない環境下でもよくありません。草臥れてとにかく休みたいようならば、学びよりもむしろ休息の方が必要でしょう。

こうなると、その時々での行動の優先順位も臨機応変に変えていく柔軟な姿勢も必要ですね。学ぶということ、自身の成長という事を考えると、まず普段の生活を整えるところから始めなければならないのかもしれません。