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サポートライター みけ の独り言

電子書籍のはなし、文章のはなし、ことばのはなし、書く事、話すこと、ゆめのたねで喋っていることなど、言葉にまつわるいろいろなことを中心に、書いてみたいと思っています。

 

昔から「長所と短所は表裏一体」といった意味の言葉がありましたので、今回はそれについて考えてみたいと思います。物事を悲観的に捉える傾向が強い人や自己肯定感が低いと感じる人の中には、自分や他人(場合によっては事物)の欠点や短所ばかりに目が行ってしまうと言う人がいます。特に、自分の事であれば都合の悪い面にばかり目が行ってしまって、それでまた落ち込んでしまうことにもなりかねません。

その対策として、欠点を言い換えてみるという方法が出てきたようですね。たとえ「欠点」「短所」であっても、別の角度から見れば「長所」になるんじゃないか、そこまで行かなくても別に問題にしなくてもいいレベルの話になるかもしれません。そのためにも、「欠点を言い換える」という方法が出てきたのでしょう。

今から40年以上昔の話になりますが、当時私が勤務していた検査室で、ある分析装置の製造販売を行っている企業の営業担当者が自社の装置のプレゼンテーションを行ってくれたことがありました。その当時、分析装置を新たに1台導入しようという事になって、数社に声をかけていたためです。その時の例なのですが、営業の担当者は、当然ですが売り込むことが目的です。少しでも都合の悪いことは言わずに済むような工夫をしてくるでしょう。そんな状況で装置の説明が始まりました。

1時間ほどかけて装置の一通りのスペックや特徴などの説明が終わり、質問をして答えていただく時間も取って終了したのですが、最後にその営業担当者がある一言を残して帰りました。その企業の装置は他社のモノに比べると接地面性が少し広く要するものでしたので、これは明らかに不利なポイントになります。コンパクトで高スペックなものが求められる時世に他社のモノよりも少しとはいえサイズが大きいというのは、欠点でしかありません。しかしその営業担当者の一言は「当社の装置でスペースで想定していただければ、他社のどの機種でも設置できます」というものでした。

正直に言って、驚きました。おそらく、サイズが大きいという事だけをとっても、最初の段階でふるい落とされる可能性が高いでしょう。それを逆手にとって、最後まで選に残すようなコメントだったんですね。びっくりするような発想の転換をして言い換えたコメントでした。

私の生涯に残るようなコメントでしたが、言い換えが出来るってこんなにすごいことなんですね。これを自分や他人のもつ短所・欠点に応用すれば、前向きの気持ちにもできるんじゃないでしょうか。

ヒトは色々な面を持ちますが、このような言い換えをしていくと必ずしも欠点が欠点ではなくなってきます。中には「こじつけ」のような例もありますが、それでも欠点ではなくなるよう工夫はしておく必要があると思いませんか。言い換えの例としていくつかの例を挙げているサイトがあるようですね、参考にしていただければよいと思います。

例えば「優柔不断」や「心配性」な一面があるとすると、決定までに時間がかかるという事ですから「慎重」と言い換えることも出来ますし、なかなか決められないという点で捉えるなら「広い視野で分析している」と言えるかもしれません。リスクの面で表現することも出来るでしょうし、責任感として考えることも可能です。

「せっかち」という一面も、「行動力が有る」とか「すぐに動く」とか、捉え方によってはポジティブな一面にもなります。「せっかち」に伴うケアレスミスがあったとしても、「勇み足」のように考えれば「仕方がないところもある」に変わるかもしれません。まあ、叱られる前にご自分でも気を付けることをお勧めしますが・・・。

その他にもたくさん例が記載されているサイトがありますので、ご自分でも調べてみてはいかがでしょうか。

欠点や短所は言い換える際にいくつかのポイントがあるようです。「〇〇すぎる」といった欠点を言い換える場合、「〇〇な面がある」という表現に変換できるようです。そして、その後に具体的な良いコメントを続けると、長所らしくなります。特に、その短所がうまく前向きに発揮できたような例があれば、それをコメントとして続けるとより良くなるでしょう。

他にも、レッテルを張られてしまったような欠点があったとしても、それを別の言葉で表現する事が出来れば、また違った印象を与えることになります。特に、行動や結果に繋がる表現が出来れば尚良いと思います。例えば「小心者」と言われれば悲しくなりますが、その実態は「あれこれ考えているうちに判断が難しくなった」というのであれば、「周囲の状況を細かく把握し、慎重に行動できる」と言い換えることが出来ます。

あともう一点、欠点や短所であれば、自分でも気が付いていて「直した方が良い」と考えていることも少なくはないでしょうから、それをいつも気にかけていることを一緒にアピールしておくことも大事です。「(欠点を)改善するために〇〇をしています」と付け加えておけば、これは「直そう」とする主体的な姿勢を示すことになりますので、評価してもらえる機会も増えるんじゃないでしょうか。

初対面のような相手に自分の事を理解してもらいたい場合では、あまりネガティブな事を言うのは良いことではありません。特に異業種交流会のような場では自分の今後の仕事にも関わってきます。できるだけ好印象を持っていただくためにも、言い換えや改善の姿勢も示すことは大切です。短所は長所の裏返しであることを信じて利用することも含めて、自己認識と成長意欲も示しましょう。

言葉って、人の気持ちを揺さぶる強いパワーを持つものですね。こんなパワーがあるから「言霊」と呼ばれるのでしょう。言葉の力、どんどん利用しませんか。


 

 

日本人なら誰でも知っているんじゃないかと思うような言葉の一つに「原因と結果の法則」というものがあります。原因の「因」と結果の「果」で「因果の法則」と言ったりすることもありますが、昔から知られている事ですよね。「原因があるから、それに相応の結果が出て来る」という意味で、当たり前の事として受け止められていると思います。ただ、そう簡単に割り切ってしまえるものでもないようですね。詳しく見ていくことにします。

まず、私たちがよく知っている原因と結果の法則を考えてみます。この言葉の場合は「原因となる出来事」があって、それが形を変えて「結果」となって現れるというものですね。原因が形を変えて結果に繋がるという事は、例えがふさわしいかどうか分かりませんが「化学反応」のような変化を起こしていることになるのかもしれないと思います。

仮にそう考えたとすると、「A → B」のように言い換える事が出来ます。「A(原因)」が「B(結果)」に形を変えたわけですね。「B」が現れた時、もう「A」の姿はどこにもありません。「B」は「A」の変形ですから「A」=「B(形を変えたA)」ということですね。ですから、「A」の形としてはもう消えてしまっていることになります。これがもしも都合の悪い出来事だったとすると、「A(宿題を忘れた自分)」→「B(見つかって叱られた自分)」、場合によっては「+C(しばらく立たされた)」というような副産物(?)が追加されるかもしれません。

また、矢印の上に「X(きっかけ)」がある事が多いと思います。上記の例なら「X(当てられても答えられなかった)」などの「きっかけや縁」に当たるものが来るかもしれませんね。もしも、これに当たる出来事が無かったとすれば、この例であれば当てられずに済んでそのままになります。そうなると、この反応式の矢印から右の部分は出て来ません。無かったことになります。そして「A」だけが残り続けます。

さて、時間が経てば人は心身ともに成長しますので、この式でいう「B」の部分も違った内容になるでしょう。その人の成長に応じて変わってくるんじゃないかな。「A」がそのまま残っていたとすると、後日の試験問題にその部分が出たが答えられなかったという事になるかもしれません。そうすると「B」が「解答できなかった」になり、「C」として「成績や評価が下がった」となるでしょう。「X(縁)」は「試験問題に出た」ということ。後になるほどツケは大きくなるんですよね。

これなら、立たされた方がマシだったってなりませんか? 原因と結果の法則を変形させてしまいましたが、後のフォローは自分でしなければなりません。フォローの方法は色々あると思いますが、もしもフォローじゃなくて執着になったとすれば、今度はそのことが「原因A」になってしまいます。都合の悪いことは出来るだけ早く、どこかのポイントで断ち切るようにした方が良さそうです。反対に、これが善いことであれば、どんどん「原因A」を増やしていくことで「結果B」も増えていきます。原因と結果の法則をこのように考えると、もっともっと活用できそうですね。

じつはこの法則、もう一つ別の捉え方があるようです。先に挙げたような小さな対象ではなく、もっと大きなものとして考える捉え方のようです。

どういう捉え方かというと、「自分を取り巻く環境は『結果』であり、自分の思いが『原因』となって作り出したものである」とする考え方です。この場合、環境としては様々な事が含まれてきます。例えば、自分の身の回りに起きる出来事や、自分とそれを取り巻く人間関係なども含めて、全部が自分の思いの結果だとするわけですね。ここまでくるといささか宗教じみたものに感じますが、「原因」と「結果」は明確になっています。

このことを言い換えると、自分の思いが形に表れたものが自分を取り巻く環境だということになります。そして、決して結果が先で原因に当たるものが後に来ることは無いともいえるようですね。つまり、環境が先で自分の思いは後からついてくる、そんなことはあり得ないという事のようです。

これには反発する意見もあるでしょう。実際に、環境が悪いために人の心が荒んでしまうような場所と言われる地域も存在します。それが証拠に、その地域から他所に引っ越しをしたことでその人の心も良い方向に変化したという例もたくさん存在します。「孟母三遷」という言葉がありますが、これもその例の一つと考えられませんか。

こう考えてみてはどうでしょうか。

前回この場所で「類は友を呼ぶ」という言葉を取り上げました。この時は人のタイプを例にして、似た者同士が自然に集まってきてグループのようなモノを作るということを書きましたが、人のタイプや性格のところを「思い」に変えてみたらどうなるでしょうか。性格も考えようによっては「思い」に通じるところが多々ありますが、似たような思いを持つ人が自然に集まってくる、その集まってくるものが「人」でなくて「物事、出来事、状況」などになれば、原因と結果の法則がそのまま当てはまることになります。

ちょっと無理がありますか? では、「類は友を呼ぶ」という考え方と「原因と結果の法則」との間に「引き寄せの法則」というものを挟んでみたら、どうなるでしょうか。「引き寄せの法則」といえば、「望む事の実現を願う」ものですよね。願う対象は「人物」のこともあれば、「状態」の事もあるでしょう。「環境や境遇」を願う人もいると思います。「類は友を呼ぶ」場合は自然にそうなるわけですが、「引き寄せの法則」の場合は自らの意思でそれを願って実現させようとするものです。

ただし、願っているだけでは何も実現しません。自分から何かの行動を起こさなければ何も変わりませんし、何も始まりません。しかし、願うものに自分が近づいていけば実現もしやすくなります。その際、行動するためには思いを起こさなければなりませんね。何も考えずに適切な行動を取ることなど出来ません。その思いが「原因」となって行動を起こし、それによって願うものが引き寄せられて来る「結果」になると考えれば、原因と結果の法則に通じるモノが有るんじゃないかと思うのです。

そう考えると、孟母三遷はどうなるんだという事になるのですが、この話に出て来る幼い子供は、後の孟子ですよね。これほどの人物であっても子供の頃は周囲の影響を受けやすかったのでしょう。子供なら無理もありません。しかし、母親の方は「環境に左右されるなら、環境を変えれば人間も変わるだろう」と考えて実行したのでしょう。そして、見事に子供は偉人になったわけです。この話、親はともかく子供の方はまだ「自分とその思い」が確立していなかった時期なのでしょうね。

原因と結果の法則には、スケールが全然違いますが二つの考え方、捉え方があったんですね。ここまで詳しいことは私も知りませんでした。時間はかかるかもしれませんが、環境は自分の思いで変える事も出来ない相談じゃない、そういう事になりました。

だとすれば、今の自分の環境は・・・

 

 

今回のタイトルは、昔から言われてきた言葉の一つである「類は友を呼ぶ」としました。自然に出来たグループの場合、何故かいつも同じような性格の人が集まってくる傾向がありますよね。大人しい人のグループは皆さん大人しいし、物静かな人のグループは行動的でもあまりしゃべらない人が集まっています。活発な人のグループは皆さん元気で行動的ですよね。このように、同じようなタイプの人たちが集まると居心地が良いのでしょうか、どんな理由があるのか分かりませんが、いつも自然に集まってきていませんか。何故なんでしょう。

経験則のようにも感じますが、「類は友を呼ぶ」という状態は「似た者同士が自然に集まって仲間になる」という事を指しています。似ている点と言えば、性格や趣味、考え方、行動パターンなどが挙げられると思いますが、だからといって常に同じ顔触れのメンバーで同じグループという事でも無さそうです。

性格が似た人が集まっているグループで何かを楽しむことは有ると思いますが、それぞれが同じ趣味を持っているとは限りません。趣味は趣味でまた別のグループになります。行動パターンでも同様ですし、考え方が似た人達だけで集まるグループもあるでしょう。ある一人の人物を考えたとしても、その人は性格、趣味、思考、行動パターンなどで、同時にいくつものグループやコミュニティの人と仲良くなっているのが普通じゃないでしょうか。

こういったグループが自然に形成されるということですが、それが良いか悪いかは別問題ですね。

人は誰でも居心地の良い場所でのんびりとしたいものです。無意識のうちに「心地よさ」や「安心感」のようなモノを求めます。ツラかったり気持ちがざわつくような環境を選ぶ人は少ないでしょう。似たようなタイプの人が自然に集まるというのは、このような心地よい環境で安心して過ごしたいという欲求の表れじゃないかと思います。こういう環境なら確かに安心感が得られますよね。

類は友を呼ぶといった現象は社会心理学や行動科学においても「類似性の法則」や「ホモフィリー(類似性の引力)」と呼んで、よく知られているものだそうです。

類似性の法則というのは、「自分と共通点が多い人に対して、親近感や好感を抱きやすくなる」という心理現象のことです。ホモフィリーとは、「同じような属性や価値観を持つ人とつながろうとする人間の傾向」という意味の言葉だそうですね。社会的な事で言えば、同郷の人同士だと初対面にも関わらず、たちまち打ち解けて親しくなれるといったような例をよく見かけます。どんなことでもよいのですが、何か共通点があるとそれを通じて親近感や安心感を生み出しやすくなります。反面、同じタイプの人ばかりになるため、集団としての多様性が失われやすくなる点がデメリットとして指摘されています。

似たタイプの人が自然に集まるということを心理的な側面と社会的な側面との二つの面から考えてみたいと思います。

先ずは心理的な側面から。

ここで得られるのは「安心感」や「自己肯定感」といったものでしょう。例えば、他人とコミュニケーションを取る場合を考えてみると、自分と似たタイプの人となら話もしやすいでしょう、これは容易に想像がつきますよね。互いの共通点を中心にして、両者の会話の内容や感情が理解しやすくなるでしょうから、意思の疎通もスムーズに進めることができます。共通の話題も多いでしょう、親近感がわきやすいでしょうね。

また、自分と似たタイプの人と一緒にいると互いに相手を理解しやすいでしょうから、否定される心配は少ないと思います。そのため、心理的なストレスを感じることが少なくなり、安心感や快適さを感じやすくなります。

さらに、自分と同じであったり似た考えを持つ相手がいることで、「自分の考えていることは間違いじゃない、正しい」という理由付けが出来ます。それによって、自分の考えている事や価値観が認められたと感じらるなら、これは自己肯定感を高めることにもつながります。

加えて、自分との共通点が多い人に対しては、「この人は自分と似ているから信頼できる」と無意識のうちに感じやすく、良好な人間関係を早く築くことができます。

もう一方の社会的、あるいは環境的な側面を考えてみると、ここで得られるのは「機会」や「効率」という事になります。

例えば同郷の人がいたとします。同じ学校、職場、地域、趣味のサークルなどにそんな人がいると、その人と自分との生活スタイルや活動のタイミングが似ている事も多いでしょうから、自然と集まる機会が増えて親しさも深まりやすくなります。

また、価値観やスキルレベルが似ている人同士が集まると、目標が共有しやすくなります。すると、協力体制や行動のタイミング合わせなどがやり易いでしょう。結果として、チーム全体の効率が高まる傾向が出て来ます。

類や友を呼ぶ状態は、心理的な意味でも社会的な意味で考えても、他の人とのつながりを築きやすく、心地よく過ごせる傾向があります。しかし、同質的な面の人たちが集まるわけですから、多様性という事を考えると話は別です。自分と異なるタイプの人との交流は心理的にはストレスがあるかもしれませんが、それを通して自分には無かった視点や目の付け所、考え方などを知る機会にもなります。また、新しい発見や学びを得られることもありますので、自分の成長につながるという側面がある事も忘れてはいけません。