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サポートライター みけ の独り言

電子書籍のはなし、文章のはなし、ことばのはなし、書く事、話すこと、ゆめのたねで喋っていることなど、言葉にまつわるいろいろなことを中心に、書いてみたいと思っています。

 

今回は、日記で振り返りというタイトルで考えてみたいと思います。皆さんは日記を書いていますか? 私はあまり真面目に書いてはいませんが、出来れば毎日でも書いておきたい、残しておきたい自分の記録だと思っています。自分の足跡のようなモノですから、そこにはその時に自分が何を考えて、どのように行動したか、どんなことを感じたかを記したものにしています。だれに見せるものでもなく、自分のホンネが書き残されている記録にしています。ですから、書き方にもよりますが自分の記録なんです。

ただ、せっかく書いた自分の記録ですから、これを活用しない手はありません。誰も知らない、ひょっとしたら自分でも知らなかった自分の姿が見えてくることがあります。後になって、振り返りのつもりで読んでみてびっくりする事もあるんです。当時はこんなことを考えていたんだ~っていうことが分かると、反省材料になる時もあれば、むしろ当時の自分を褒めてやりたい気持ちになる事もあります。「それに比べて今は・・・」と考えると落ち込みそうになる事もありますが・・・。

自由に書いて良いと思います。自分がその時に思った事や感じたことを、何があってそう考えたのか、思ったのか、感じたのかが分かればよいわけですから、箇条書きでも言葉の羅列でも構いませんが、私は2つの事に注意して書くようにしています。

一つ目、その時の自分の主観で構わないのでなるべく正直に、ありのまま書くようにしています。つまり、自分の側から見た捉え方や感じ方、それに対する判断等をホンネで書いておくわけですね。

二つ目、書く言葉に気を付けています。いくら自分の感情が高ぶったり興奮したりしたからといっても、過激な表現や言葉使いは良いものではありません。そこは別の表現で書くようにしているんです。後で読み返せば、自分がどんな気持ちだったかは思い出せますから。

取り繕っていては自分の記録として使えなくなります。自分の成長のために書き残すのが目的ですから、タテマエは必要ありません。そんなことをすれば、後で読み返したときに当時の思いなどが分からなくなります。

主観で構わないのでなるべく正確に感じたことを書いておく理由は、客観的に見ればどうかとか、他人の意見や立場まで気を配っていたかどうか、こんなことまで書いていたら時間がいくらあっても足りません。これでは書く事が目的になってしまって、自分の記録ではなくなってしまいます。それでは困るので、主観でいいからとにかく書いて残そうという事ですね。一通り書き残した後であれば、客観的に見ればどうだったかもしれないとか、相手の言い分のどの部分なら理解できるとか、書き足しておくこともできるでしょう。

いろいろと調べてみると、日記の書き方自体にも様々なスタイルがあるようですね。それぞれに特徴がありますので、日記を書こうという場の参考になると思います。様々な書き方のスタイルがある中で、私が使っている手法はどうやら「感情日記」に近いタイプのようでした。

参考までに、感情日記の基本的な書き方を紹介しておきます。

まず、感情日記とは「感情や思いを自由に書き出す」スタイルの日記です。感情や思っていることをノートに書き出してしまうことで、頭の中を整理します。そうすることで気持ちの整理が出来るので、溜まっているストレスも減らす事が出来ます。つまり、感情日記は自分の心を落ち着かせるために行うセルフケアの方法とも言えるようです。

その書き方は、まず「出来事と感情を書き出す」ところから始まります。自分の感情が大きくざわついた時、例えば嬉しかったことやイライラしたことなど、心が動いた出来事を一つ選んで、その時の「感じた事(感情)」「思った事」「その時の気持ち」などをそのまま、何も取り繕わずに出来るだけ全部を書き出します。

感情や思いを書き出したら、今度はそういった気持ちがなぜ沸き起こったか、その理由を考えてみます。深掘りするするわけですね。そのための情報として、背景にある考えやその時の状況も書き添えます。オーソドックスな書き方では、これを第三者の視点で客観的に見ることがポイントになっていました。

今度は、自分の中で湧き上がった感情や自分の状態を把握するために、感情の数値化を行います。これは自分の感情の強さを冷静に、客観的に自分で判断するためですね。最大値を100%とすると分かりやすいでしょう。10段階でも構いません。数値化する事によって自分の状態を自分自身でも把握しやすくなります。

そのうえで、「ネガティブな感情を自分の中から消してしまう」ようにします。ある記事ではこれを「成仏させる」と表現されていました。ネガティブな感情は心の中に持たない方がよいので、「これで(ネガティブな感情が)消える」と意識すると、ストレスの軽減できますし、なによりもポジティブな気持ちに転換しやすくなります。

最後の「成仏(?)させる」というところでは、ずいぶん昔の話になりますが、その時の嫌な思いを書きなぐった紙を灰皿において、火をつけて燃やしてしまうという手法があった事を思い出しました。文字通り「消して」しまうわけですね。これは心理学的に有効だとして、視覚的にも気分的にも「消滅した」と捉えやすい方法だと紹介されていました。ただし、火の取り扱いに注意が必要なことは言うまでもありません。消火用の水を用意しておくなど、充分に気を付けてください。

個人的には、最初に感情や思いを書き出すところは自分の主観で書いていますが、口汚い言葉や誰かを罵るような言葉は控えるようにしています。同じ意味で別の表現にすることで自分を冷静に保つための策ですね。さらに、二番目の「なぜと深掘りする」ところは別の日に行なっています。その場で感情を書き出す事と一緒に行なうと、どうしても客観的になることが難しいと思うからです。再度わざわざイヤな感情を思い出さなくてもいいだろうという判断ですね。

その代わり、後日の振り返りでは二番目の「なぜと深掘りする」ところを重点的に行って、主観的に書いたことを振り返りながら、「この件を客観的に捉えるならどう考えたらよいだろうか」とか、「相手の都合や事情、立場だと自分ならどんな受け答えをするだろうか」とか、いろいろと振り返りながら考えてみるようにしています。そうすると、ほとんどの場合で何か新しい発見が出て来るんです。

私は「その気付きが自分を成長させる」、そう考えるからこその日記としています。同時に、「あの時の私の対応はマズかったな」と反省の材料になることがありますし、「アイツはこんな傾向があるのか」という人物観察にもなります。相手が分かればそれに応じた態度を取ることで、お互いにストレスの少ない付き合い方も出来ますから。

ただ、毎日こんなことを書いていたら気持ちが草臥れてしまうので、普段は当たり障りのない、出来れば楽しいことなども書いておけばよいと思います。日記をつけることでストレスを軽減出来るなら、やって損は無いようですね。


 

 

こんな法則の名前はお聞きになった事がありますか? 運動の第3法則という事で知られている、物理の世界で出て来る法則の名前です。これは「作用・反作用の法則」を指しているもので、「物体Aが物体Bに力を加えると、物体Bも物体Aに同じ大きさで逆向きの力を加える」という話です。何かを押したらそれと同じ力で押し返されるという、ごく当たり前のように私たちが捉えている話ですね。

じつは心の世界でもこれと同じような事が起きるという話がありますが、ご存じでしょうか。以前にここで「類は友を呼ぶ」という話や「原因と結果の法則」の話を取り上げたことがありましたが、これらと同じような意味合いで語られることがあるものです。ただ、普段はあまり聞く事のない話かもしれません。

「類は友を呼ぶ」という話では「似た者同士の人たちが集まってくる」といった意味合いでしたが、これが時間の流れで考えるなら「原因と結果の法則」が当てはまり、行動や行為の面で捉えるなら「同・反動の法則」といった意味合いになるようです。自分が押せば相手が押し返してくるという話ですので、「類は友を呼ぶ」と同じように「似たような行動を取る人たちが集まって、互いに同じような行為を相手に対して行っている状況」といった所でしょう。

この「同・反動の法則」もまた心の在り方を示す指標になりそうなものだと思いますが、どうでしょう。もしも自分に何か願う事があるとするならば、先ず自分から行動を起こさないと何も始まらないことが分かります。なぜなら、自分と似たようなタイプの人、自分と同じような行動をする人などが自然に身近に集まってくるわけですから。

この文章を書いていて気が付いたのですが、願う事がもしあるならば自分がそれにふさわしい人物になるのも必要な事のように感じました。自分の身の丈に合った時に願う事が一番成就しやすいように思えたので、そう感じたのでしょう。つまり、自分と似たようなサイズということなのでしょう。フィット感が大事なんでしょうか?

これに関連した話ですが、とある人のブログを読んでいたところ、成功した例と失敗に終わった例について行動面とご自分のその時の様子や思いとを併せて振り返った、そんな内容が書かれているものを見つけました。しかも、それを分析をしてその人なりの結論までが書かれていたのですが、とても興味深い内容のものでした。

頑張ったにも関わらず成功しなかったとか、芳しくない成績に終わったとか、そんな事例はだれもが経験していると思います、私だって何度も経験しています。また、頑張ってうまく成功に辿り着けたという経験も、誰もが持っていると思います。自分の事になりますが、ある程度までは反省してみたり振り返ってみたりしつつ成功や失敗の理由を考えてみた経験はありますが、それをさらに細かく分析までして次に生かそうというところまではしていなかったようです。

ブログに書かれていた分析結果の内容を私なりに考えてみると、成功した時は「楽しんで取り組めている」「余計な事を考えずに繰り返し取り組んでいる」「自分に関わる事や自分が知っていることの延長線上にあることに取り組んでいる」というものでした。反対に失敗した事例の場合は「見栄えや周囲の人の目を気にしていた」「身の丈に合わない高望みをしていた」「誰かと比べていた」ということでした。

まとめると「夢中になって楽しんでいた」時は成功に至り、「周囲の目を気にした」時は失敗に終わったというのが結論のようですね。このブログで取り上げていたのは「自分がどのように頑張ったか」という事でしたので、相手を必要としない自分一人の世界で完結するような内容でした。

このブログは反動形成という心理の意味合いの検索時にヒットしたのですが、書いたご本人は自分の事を「あまのじゃくな人物」として捉えているようでした。反動形成というのは心理学的な捉え方で出てくる言葉で、一種の防御反応だという事でした。相手に対して受け入れがたい思いや反応として取る行動のことだそうです。今回取り上げている話題とは少し違うような気もしますが、受け入れがたいであろう言動(動)に対する相手の反応(反動)と考えるなら、納得できます。もし相手がいい大人だったとしたら、まぁ傍から見ればどちらも素直じゃないねと映るかもしれません。

この例はふさわしくないかもしれませんが、相手が防御反応するような言動をしたことが原因であるならば、動・反動の法則として良いかもしれないとも感じます(行動面で考えれば動・反動の法則と感じますが、この例に限れば原因と結果の法則で考えた方が分かりやすいかもしれませんね)。

相手がモノであれば物理的な反応しか得る事は出来ませんが、人が相手ならば何かを求める事も出来るんじゃないでしょうか。そうだとすれば、求める行動を相手から引き出すためにも、先ず自分から動くことが必要だということが「動・反動の法則」として表現されているのでしょう。

 

相手への影響ということろまで踏み込んで考えれば「返報性」といった言葉も出て来ますが、相手が好まないことをすれば「返報性」ではなく「報復」が返ってくると言う事も分かります。まぁ、「返報性」という言葉を使う場合は相手の行動に何か(見返り)を期待してするでしょうから、ちょっと話が逸れてしまうと思いますが・・・。「動・反動の法則」は相手のためにすることで、「返報性」という言葉が出て来る場合は相手の行動が自分のためにする、大雑把にいえばそんな分け方もできるかと思います。
 

 

数回にわたって自信についての話を書いていますが、今回は「根拠のない自信」について考えてみたいと思います。そもそも、自信にいちいち根拠が要るのかという事なのですが、本当のところはどうなんでしょう。根拠というよりも、何か気持ちの中で湧きあがるようなものが有るとか、何かの知識やスキルに長けている事が自分の自信の根底にあるとか、人一倍自負心が強いとか、自信といった時にはその源として何か理由になりそうなものがあるような気がします。本当ならばそれがあるのかもしれませんが、無ければどうなるんだという事が気になったものですから、こんなテーマを考えてみようとなったわけです。

自信には2種類あるようですね。それまで頑張ってきて大小さまざまな成功を収めてきた人が「今度も大丈夫だ」と自信を示す場合と、特に実績があるわけではないにもかかわらず「今回は出来そうな気がする」と前向きな姿勢を示す場合、この二つのパターンです。前者は過去の実績が自信の根拠でしょう。後者の場合は自負心になるのかもしれません。少し深掘りしてみたいと思います。

調べてみると後者の場合は「自己肯定感」や「挑戦意欲」があるようですね。根拠はないけれども「自分ならきっと出来る」という高い自己信頼があるようです。これがその人の自信の背景になっているのでしょう。これによってメンタルが安定しますし、行動を促すことにもつながります。ただ、過信に繋がる危険性もありますので注意が必要ですね。

「自分ならきっと出来る」という場合、その背景には強いメンタルが存在しているんじゃないでしょうか。「なんとかなる」とか、「自分なら出来る」というのは傍から見ていると随分楽観的な感覚のようにも感じます。楽観的なメンタルだからこそ「自分なら出来る」「なんとかなる」と思えるわけでしょうし、それが「やってみようか(挑戦してみようか)」といった意欲にも繋がるんじゃないでしょうか。

そう考えると、自己肯定感が強いと失敗してもそれを引きずりにくくなるのでしょうか。メンタルが強いというのか、へこたれないというのか、ずいぶん安定した状態を保っていられるようですね。ここに向上心が加わると、自分の成長のためにも経験しておきたいというような気持ちになりそうです。きっと、それが飛躍的な成長や新しい挑戦の原動力にもなるのでしょう。メンタルが恐ろしく強そうにも感じるのは、私だけでしょうか・・・。

詰まるところ、自分に対して当人がどのように評価しているかの裏返しなのかもしれませんね。こういう場合はどうしても評価が甘くなるとは思いますが、自己肯定感として捉えるなら自分への評価は甘くても良いと思います。また、ちょっと思い上がり気味で「自分は愛されている」という感覚を持っている場合でも、それが自己肯定感や自己信頼につながるのなら、それが自分の自信に影響するなら、そのままの自分を受け入れる安心感が基盤になると思います。

一般的に言われる「根拠」が無くても、メンタルが強くて自己信頼や自己肯定感が高い人であれば、誰かと自分を比べて落ち込むことは少ないでしょうし、「他人は他人、自分は自分」と割り切る事が出来るでしょうから、自分の意見をしっかりと伝えることも出来るでしょう。堂々とした態度で自分の意見を述べる人は、それだけでも周囲の人から信頼されやすくなります。意見の中身はしっかりとしたものにしておかねばなりませんが・・・。

そうなってくると自信の根拠はどうでもよくなってきませんか? 根拠があるならそれに越したことはありませんが、その根拠に基づいて行なったことで失敗や不具合が生じてしまったら、逆に落ち込んでしまいませんか? 「こんなはずじゃなかった」という気持ちになるかもしれません。自信の根拠さえアヤフヤなものになってしまいます。こんな事がきっかけになって気持ちが萎えてしまったら、それ以後はむしろネガティブな考え方になって自己肯定感も吹き飛んでしまいかねないことになります。

そう考えると、根拠なんてどうでも良くなってきませんか。実際に「自信に根拠なんて要らない」という意見も存在します。赤ん坊がじつは最強だとする意見もあるんですよ、興味を持ったら何に対してもすぐに動いて手に取って口に入れて・・・、大人なら口には入れないでしょうけれども、直ぐに行動に移すなんて大人になったらなかなか出来ませんよね。出来ないというよりも、しないのかもしれませんが。

こんな赤ん坊の行動って、未だほぼ何も経験していないわけですから、実績も根拠も全然関係の無い事だと分かります。つまり、外付けのモノではなくて内側から湧き上がってくるモノなんでしょう。大人になって周囲の世界が見えるようになって、自分のいくらかの経験を積むことで分かってきたことなどもあって、自分の外側に鎧のように実績や根拠を身にまとうようになっていったんじゃないかな。それに基づいて物事を考えるなら、その鎧が無ければ何も出来ないことになってしまいます。

本来の自信は、自己肯定感に基づくものなのでしょう。今の自分を「それで良し」と捉える事が出来ているなら、それが自信の源になるのでしょう。夏でもマスクを手放さない人や、一部(?)の芸能人のように虚勢を張っている(?)かのような態度も、じつはこの源に不安があるのかもしれません。それを見透かされないようにということもあるのでしょう。

自分をどこまで信頼できるか、このあたりが自信の本当の根拠なのかもしれません。