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サポートライター みけ の独り言

電子書籍のはなし、文章のはなし、ことばのはなし、書く事、話すこと、ゆめのたねで喋っていることなど、言葉にまつわるいろいろなことを中心に、書いてみたいと思っています。

 

今回からしばらく習慣の話題を続けて取り上げようと思います。その初回ということで、今回は「習慣を考える」というタイトルにしました。

まずは「習慣とは何ぞや」という事から話を始めたいと思います。習慣(英語では Habitと称しますが)とは、「定期的に繰り返され、無意識に発生する傾向のある行動のルーティンである」と言えます。もう少し突っ込んだ表現をすると、「繰り返し行うことで無意識のうちに定着し、少ない心的努力で実行できるようになる固定された行動パターン」と言えるでしょう。一度習慣が身につくと、「さあ、やるぞ」といった意気込みや決意(?)をしなくても勝手に身体が動いて、一定の行動をごく自然に開始する一連の流れとでも考えればよいと思います。日常的な例を挙げると、歯磨きや通勤時などでは別の事を考えていてもごく自然に道も間違わずに行動していますよね。このような個人的なものだと分かりやすいと思います。

広く捉えると、地域や社会全体で行われる「慣習」までも含まれるという考え方もあるようですね。このように、幅広いところで私たちの日々の生活に大きな影響を与え、それによって自分の人生の質を高めるポジティブなものが思い浮かぶと思います。ただし、中には改善が必要な習慣(悪しき習慣と呼ばれたりしますが)も含むことになります。

一度習慣化が出来上がると、その都度意識しなくても勝手にその行動を始めますので、毎回のスタート時に労力をかけなくて済むというメリットがありますが、そもそも「その行動」を習慣化させるところまでが大変だったりしませんか。

どうせ習慣を身につけるなら、どんな習慣を身につけたら今よりも良い状態になるかを考えて、身につけたい習慣を選んでみませんか。おそらく、身につくまでの努力(?)はさほど変わらないと思います。また、自分にとって都合の悪い習慣が身についてしまっているならば、それを止めてしまうという事も「あり」だと思いますが、どうでしょう。実際のところは習慣を身につけるのも大変、一度身についた習慣を止めるのも大変、そんなところかもしれませんが・・・。

習慣について調べていると、「小学校に入るまでに身に付けておくべき5つの基本的な生活習慣」というものがありました。大人ならば全員が当たり前のようにできている事なのですが、ここに挙げておきます。

その5つの基本的な生活習慣とは、「食事・睡眠・排泄・清潔・衣服の着脱」の5つでした。確かに、小学校に入学するまでに身につけておかないと、クラスの中でも手のかかる子供とみられてしまうでしょうね。しかし、ちょっと待ってください。いくら大人でも、中には一部の基本的な習慣を守れていない人がいませんか? 人気のない場所があるとおもむろに路上で立ち〇〇(男性です、女性は見たことがありません)、汚部屋の住人、1か月以上も同じ衣服を着ているぐーたらニート、効率を下げてでも寝かせずに長時間働かせるブラック〇〇などなど、小さな子供が身につけようと頑張っている一方で、それを片っ端から・・・な大人達。これでは示しがつきませんね。

どうせなら習慣も選びましょう。良い習慣という意味では、ビジネスの世界では世界的にベストセラーになった本もありました、ちょっと分厚い本ですが。考え方や物事の捉え方、仕事を進めるうえでの手順なども、何度も繰り返すうちに身についた動作でしょうから、習慣のような捉え方をしてもいいんじゃないでしょうか。ベテランの技術職の人の動作など、無駄な動作がまったくなくて、道具類も全部自分の動きに合わせて配置しています。そんな状況を実際に目にすると、いろいろと考えさせられる事も多いんじゃないでしょうか。

組織の中で仕事をしている人にとっては、その組織の文化とでもいうような雰囲気や仕事の進め方、物事の考え方や手順など、いろいろなルールがあると思います。明文化されているものもあれば、暗黙の了解で成り立っているものもあるでしょう。他社の人から見ればヘンなルールでも、毎日それに接していると当たり前になってしまいます。最初の頃に感じた違和感もいつの間にか消えてしまって今は同僚と全く同じように動いている、そんな人も珍しくはありません。

動作や仕草は習慣として分かりやすいのですが、物事の考え方や傾向になると、あまり習慣という意識になりません。ひょっとしたら、その辺りが落とし穴かもしれませんね。始めの頃の違和感も消えて、いつの間にか「朱に交われば赤くなる」状態に染まってしまうのは、とても残念な事です。

職場などでは、新人が入職して配属された時や、異動で他部署や他地域から人が来た時は、大きなチャンスだと考えています。作業手順やマニュアルの確認、現場での仕事の進め方、その部署では当たり前のように行なっていることが、その理由や経緯を新人にきちんと説明できるかなど、見直しの機会として活用できる一番のチャンスなんです。新人の側も、先輩の説明にきちんと聞く姿勢が無いといけませんが。

このように考えると、良い習慣は個人の責任でどうにでもなりますが、おかしな習慣があるとすれば個人の責任ばかりでは無いかもしれません。集団で仕事や勉強に取り組む場合は、どうしてもラクな方に気持ちが流れてしまいます。いわゆる「手抜き」が発生しやすくなるんですね。また、人によって手順がバラバラになっている事もあります。時には何かの機会を利用してでも、見直しが必要になるでしょう。考え方も同様です。その人個人の傾向(ポジティブな傾向、楽観的、悲観的、ネガティブな思考が多いなど)も、意識をすれば習慣として変える事が出来ると思います。

マナーや所作も一朝一夕に出来るものではありませんので、捉え方によっては、長い時間をかけて培ってきた習慣として、優雅な振る舞いや仕草が身についたものなのかもしれませんね。
 

 

今回はタイトルのようなテーマにしました。「出る杭は打たれる」という言葉はよく耳にしますよね。そのうえで、「出過ぎた杭は打たれない」という言葉も時々耳にします。出る杭というのは、組織の中でいろいろな意味で少し目立つ存在の人を指しているようですね。お調子者のような人がいて、大事な時や皆が真剣に取り組んでいる時に周囲の人を茶化して水を差してみたり、悪ふざけをして皆を困らせるような悪戯をする、そんな人物がいれば、皆が迷惑をします。こんな人を誰かが叱りつけるのは分かるのですが、出る杭といった場合は少し事情が違うようです。

優秀で成績が良いとか、人望がある、人気がある、評価が高い、そんな人に対する周囲の人たちの妬みや嫉妬というところでしょうか、仕事の邪魔をしたり陰でいじめたりと、足を引っ張られる状況に陥る事が頻繁に起きるようです。こんな状況を指して「出る杭は打たれる」と表現しているようですね。

ところが、その優秀さや才能、実力などが抜きんでて来ると、もはや周囲の人たちは妬んでいる場合ではなくなります。組織などではそんな人の足を引っ張るよりも利用して全体の成績を上げる方が、メリットが大きいことになります。そんなレベルまで評価が高まった人物に対して、ジャマなんてしていれば自分たちが損になる、そんな理由もあるのでしょう。優秀な人が足を引っ張られたり仕事の邪魔をされたりという事が無くなってくるんですよね。この状態が「出過ぎた杭は打たれない」と言うのでしょう。

出過ぎた杭に例えられるくらいの人物になると、実力や才能は周囲の人と比べても圧倒的に優位なレベルにあると思います。そんな人を相手に競争しても、勝つことはムリでしょうね。むしろ「自分は自分、あいつはアイツ」というくらいに開き直った方が賢いという判断になります。周囲の人たちがこのように評価したうえでもう手を出してこなくなるという組織は、比較的まともな組織じゃないでしょうか。周囲の人たちも諦めモードとでもいうか、足も引っ張らずに互いに淡々と仕事をこなしていくわけですから、決して悪い人たちではないのだと思います。

ただ、組織にもよりますが、 世の中にはびっくりするほどヘンな考えを持つ人がいるのも事実です。彼の評価が上がる、それはつまり自分の評価を下げることだと思い込む人もいるんです。たとえ、担当している仕事が全くの別の分野だったとしてもです。「自分の評価を下げるわけにはいかないから、彼の評価を下げなければ自分の身が危うい」、そんな考え方に凝り固まっている人も実際にいるんです。

こんな人は「出過ぎた杭は打たれない」のではなくて、「出過ぎた杭には届かない」という表現の方がピッタリする捉え方だと思います。出過ぎているから叩きたいけれども届かないというだけなのですから、いつでも、どこでも、隙あらば必ず襲撃してきます。出過ぎて高すぎて届かなかったとしても、はしごをかけたり脚立を持ってくる才覚さえ働けば、まちがいなく足を引っ張りに来ます。

優秀な人にとって、そんな人を相手にしているヒマなんてありません。だから、どうしても無防備になってしまうんですね。襲撃する側の人は、おそらく視野狭窄なのでしょう。いずれ手段と目的を混同することになります。彼を潰せるなら多少の犠牲はやむを得ない、私も実際にそんな出来事を目の当たりにしたこともあります。結果として、組織全体での評価が下がってしまいましたが・・・。

もう一つ、出過ぎた杭についての言葉がありました、「ありました」というよりも「見つけました」という事のようですが・・・。それは、「出過ぎた杭は引き抜かれる」というもの。先に挙げた私が感じた言葉「出過ぎた杭は届かない」とは少し違うようです。

「引き抜かれる」という意味には二通りあるようなのですが、どちらにも共通していることは「その組織からいなくなる」ということでした。出過ぎると評価されるくらいの優秀な人物の場合、周囲の人たちが放っておくはずがありません。必ずちょっかいを出してきては仕事の邪魔をするでしょう。それが高じて、嫌がらせをしたり有る事無い事のうわさをバラまいたりもされると思います。周囲からもどんどん孤立していき、排斥され、その組織の中にいることが苦痛になったりメンタルの面がおかしくなったりして、最終的にその組織から出てしまう、いなくなってしまうというのが一つ目の意味です。この時、周囲の人たちは手を叩いで喜ぶでしょうね。しかも、辞めたあとからでもずっとその人の事を悪く言い続けると思います。本人がその場にいませんので、好きなだけ悪口が言えるわけですね。

もう一つの理由は、出過ぎたと評価されるくらいの優秀な人物だと、その組織の人はともかくとして、取引先や同業者が放っておかないでしょう。他所に引き抜かれて転職してしまうので組織の中からいなくなる、そういうことなんですね。こんな時の周囲の人たちの反応はどうでしょう。唖然とするか、悔しがるか、いずれにしても自分でなかったことに残念がるんじゃないかと思います。

実際に、最初に挙げた理由で組織からいなくなった人物の実例を私は知っていますが、定員の設定されている組織の場合、辞めさせたのはよいけれども定員割れになって上層部から責任者が詰められる場合があります。だからこそ当人がいないにも関わらず悪口が延々と何年も続くのでしょう、こんな場合は追い出した側の自業自得だと思うのですが、どうでしょうか。

人が集まってできた組織なら、構成する人達は様々でしょう。考え方も、仕事の仕方も、皆バラバラでしょから、統一するために最初は社員教育が必要になるのだと思いますが、抜きんでた人物がいなくなるのは組織にとって大きな損失になるんじゃないでしょうか。ただ、それよりも自分の立場や保身を優先する人がいると、本当なら大きなマイナス要素を抱え込んでいることに、上層部の人も気が付いて欲しいと思います。


 

 

前回は日記を使った振り返りの話でしたが、振り返りってとても大事な事だと思います。けれども、日記を付けている人ってどれくらい居るのでしょうか。キチンとした調査の報告などは見かけませんが、傾向としては若い年代の人は多めのようですね。といっても20~30歳代の女性で約2割といった所のようです。男性はもっと少なくて1割前後、年代が上がるにつれて少なくなる傾向もみられるようだという事です。書きたいけれども続かないといった悩みを抱えている人も多いようですね。

日記があれば分かりやすいと思いますが、自分の事を振り返って考えてみようと思っても日記をつけていなければたいていの出来事は忘れてしまっています。あれこれ考えて思い出すという事も出来るでしょうけれども、そんなに時間があるわけじゃないと言う人が多いでしょう。そういう事になると、手帳にタスクと一緒にメモをしておけば、それが資料になるかもしれません。

振り返るという事は(どれくらいの期間を考えるかにもよりますが)自分が今まで歩んできた歴史を思い出す事ですから有益なものではありますが、その一方で注意しておかなければならない点もあります。「あれは失敗だったな」だとか、「あれはもっと考えてから実行すればよかった」とか、反省や後悔ほど思い出しやすい人も多いでしょう。そうなると振り返りが落ち込む機会を作ってしまう事になります。これはいけません。

自分を振り返るという事は、そこから学びや気付きを得るためと割り切って考えてみてはどうでしょうか。だれだって過去に失敗して落ち込んだ経験の一つや二つはあるはずです。その失敗を思い出して後悔の念をいっしょに思い出すだけでは、何も得るモノがありません。振り返りは反省するためではなくて、同じ失敗を繰り返さないための学びを得るために行ないましょう。また、反省ではなくて振り返りです。しくじった事ばかり思いだすのではなく、良かった点も一緒に思い出して、なぜ好都合にいったのかを考えてみるのも必要な事なんです。

そのためには、やはり何かメモをして残しておくことが必要ですね。そうでないと、たいていの事は忘れてしまいます。時期や様々な出来事との関係、関係者、顛末など、うっかりすると全部忘れてしまっていることだってあるでしょう。かといって、その時はメモするヒマが無いかもしれません。そうなると、タスクの手帳などに殴り書きでもよいので簡単にでも記しておけば、あとで振り返る時の資料にできますよね。

こういった振り返りを定期的に行なっている人もいると聞きます。どれくらいの頻度だとか、どの程度前回と間を空けて行なうのかなど、詳細までは分かりませんが、気付きや学びは振り返りを行うほど増えて来るんじゃないでしょうか。

では、自分を振り返ることで得られるモノは具体的には何でしょうか。大きな失敗や成功はすぐに分かるかもしれませんが、小さな失敗や成功の場合だと、うっかりと見過ごしてしまうような小さな気付きが意外にも満載なのかもしれません。例えば小さなミス、どんな状況でやらかしやすいかを知ることができるでしょう。その原因がコミュニケーションの不足によるものなのか、準備不足の傾向があるためなのか、それとも詰めが甘いためか、理由が分かれば対策も立てやすくなります。そうすれば、次から同じ失敗を繰り返さなくて済むように出来るでしょう。

また、小さな成功体験だってじつはたくさん存在しているでしょうから、それを積み上げてよく観察してみれば、自分の成功パターンが分かるかもしれません。「ラッキー」と思ったことがじつは必然だったなんて言うことも、振り返りを行うから分かる場合も出て来ます。必然なら毎回意図的に何かをすれば、それが必ず起きるように出来ると思いますよ。

失敗にせよ成功にせよ、傾向が分かれば対策も予防策も立てておけるでしょうし、それが自分を含めた人間ウォッチにを通地ることにもなるでしょう。そして、人間の理解にもつながります。ムダに労力を注がなくてよくなる面も出て来るんじゃないでしょうか。

ここに挙げた以外にもメリットはたくさんあるようです。自分の成長につながる点や課題の発見が出来る点などが分かります。また、成功パターンが分かればモチベーションも上がるでしょうし、それに伴ってストレスも軽減できるんじゃないかな。

どこかでまとまった時間を作って、今までの自分の足跡を文章にしたものを作っておいてはどうでしょう。もちろん、最初から完成を目指して書く事は出来ませんので、思い出すにつれて書き足していく事が出来るようにしておくと好いと思います。同じ文章でも、読み返す時期が違えば自分の成長に伴って解釈も変わってくるでしょう。その変化も気付きですから、大事な事だと思います。

ただ、最初のうちは「思い出すのは失敗の話ばかり」という事になるかもしれません。そんな時は、出来るだけ冷静に客観的に、立場を変えて振り返ってみる事も大切な事だと思います。そのためにも、頭を冷やしておく必要があります。件の話が落ち着いて自分の頭も十分に冷えて冷静な状態になってから振り返る、これは客観的に俯瞰するためには大事な事ですね。

こういった事の積み重ねが振り返りをより良いものにしていきますし、それを通して自分も成長する事が出来ます。くれぐれも、自分に都合のよい観点でしか振り返る事が出来ないなんてことがないように、注意してください。