サポートライター みけ の独り言

サポートライター みけ の独り言

電子書籍のはなし、文章のはなし、ことばのはなし、書く事、話すこと、ゆめのたねで喋っていることなど、言葉にまつわるいろいろなことを中心に、書いてみたいと思っています。

 

最近は人工知能を使った文章作成などが大流行ですね。そういう私もこのような文章を書く時には資料を集めて調べたりしますが、それを人工知能を使って手伝わせていますからあまりヘンなことは言えませんが・・・。

個人的な感覚なのですが、最近は以前に比べるとイノベーションというような言葉を聞く機会が少し減ったような気がします。個人向けの案内が減って企業向けの案件が増えたからでしょうか。どんどんアイデアを出せというようなコメントが減った気がするのですが、あまり見かけなくなっただけで企業の中ではむしろ増えているのかもしれませんね。

イノベーションに限りませんが、何事も自分で考えてみるという事は絶対に必要です。もちろん、分からないことがあれば上司や先輩、友人、先達などに尋ねて教えを乞う事は必要です。ただ、相手を間違えると後々面倒なことになったりするかもしれませんので、自分で調べたうえで答え合わせのつもりで尋ねてみる方が無難かもしれませんが・・・。

それはともかく、一昔前までの「頭がいい」と判断する基準が、今の時代は変化してきているようです。昔は、とにかく知識を詰め込んでおいて「何でも知っている」状態が重宝されました。しかし、今は知っているだけではあまり意味がありません。複数の知識や情報をつないだり関連付けたりして、新たなものを生み出すヒントにつなげる必要が出て来ました。といっても、今の時代を牛耳っている(?)人の多くは昭和世代の考え方がまだ残っているかもしれません。アイデアを出せと言いつつ、出せば非難されるのが世の常ではないでしょうか。ただ、それではもう世の中も企業も立ち往生するしかなくなってしまう、そんな時代になってしまっています。

もし、今求められる能力を一つ上げるとすれば、とにかくまず「自分の頭で考える」という事ではないか、そう思うようになってきました。少し意味がズレるかもしれませんが、私が医療機関に就職して仕事を始めた頃、同僚に何人かの中年の人たちがいました(男女などの詳細は伏せます)。その人たちの中に、何でもかんでも人に尋ねて教えてもらってお終いという人がいました。せっかく教えてもらったのですから、それを役立てればよいと思うのですが、当人にそんな気はまったくありません。くる日も来る日も、毎日同じことを尋ねては教えてもらい、それで仕事を次のステップに進める、そんな事を繰り返しているので、教えてもらったことは一時凌ぎでまったく覚えておこうともしない人がいました。教えてもらう内容はごく単純な事なので、この人に自分で考える日は来るのかと非常に疑問を感じていた、そんな記憶があります。

そんな人にだけはなりたくありませんよね。もしリストラでもされる事態になったら、真っ先に「不要な人リスト」に名前が載ってしまうかもしれません。訊かれる方も、毎日その都度仕事の手が止まるので困ります。ビジネスの場に、そんな人はいませんか。もし居たら、周囲の人が大変です。

これは極端な例かもしれませんが、自分の頭で考えるという事は非常に重要です。数年前でもトイレットペーパーの事件がありましたよね。少し考えればある程度の事は分かるのですが、状況を冷静に考えたり分析したりした人は少なかったようです。これでは世の中全体が泥船に乗っている乗客のような状態だと思いませんか。ニュースからご近所のウワサ話などに至るまで、事の真相が分からないような情報を何も考えずに鵜呑みにして騒いだりパニックになったりしても仕方がありません。自分なりに考えて結論を出して、それに応じて行動するといったことは、誰もが感じている必要な事ですね。

自分では何も考えず、世の中の変化や身近な出来事に一喜一憂する生活を繰りかえしていると、人工知能に駆逐されてしまうかもしれませんよ。


 

 

前回は「できる思考とできない思考」という、できるとかできないとかいった考え方について取り上げました。今回はその中でも「できる思考」、言い換えると「可能思考」について考えてみたいと思います。「できる」という思いを持つところからのスタートになる思考の形式なので、やり遂げて成功する確率が高くなるというような話なんだろうなと想像がつきませんか。できる思考と似た感じなので、おそらく同じ内容なんだろうなと考えています。

念のために調べてみました。

「できる思考とは」、そんなキーワードで調べようと思ったのですが、出てくる話のほとんどが「可能思考」の話でした。つまりは同じものですね。では、「可能思考」とはどの様なものなんでしょうか。ある記事に書かれていたことは、「『可能思考』とは『考え方』を『できるという考え方』にしていくことです」というものでした。一つの出来事をポジティブに捉えるのか、それともネガティブに捉えるのかで結果が変わってくるということは、多くの人が経験済みでしょう。

それでは、どうすれば可能思考になれるかというところが疑問として出て来ます。どんなトレーニングをすればよいのか、あるいは鍛え方などがあるのか、そんな疑問ですね。じつは、それについても記載した記事がありました。それによると、人が出来ることはすべて能力の一部であるといった考え方のようでした。能力なら、何らかの方法でトレーニングすれば鍛えることもできそうですね。問題は、可能思考は直接訓練することが出来るものなのかという事。思いつくことと言えば、常にそのように物事を捉えるように意識することではないかと思うのですが、これはちょっとツラそうですね。

「可能思考」を「できるという考え方をすること」だと捉えたときに必要となる能力はというと、「考える力」はもちろんなのですが、キチンと仕事を仕上げるための「仕事力」も必要ですね。それを肯定的に捉えるために、ある記事では「人間力」となっていました。これらは仕事などを通して発揮するわけですから、顧客の身になって、顧客の立場になって考える必要もあります。「感謝力」という名前になっていました。まとめると、
 
「考える力」は状況を把握し、問題を発見する能力
「人間力」は肯定的に解釈する力。
「仕事力」はお客様の喜ぶような仕事をする力
「感謝力」はお客様に心から感謝する力

このようになるとのことでした。どのように前向きに捉えることが出来るか、それによって作り出される結果が変わってくるわけですから、始まりはその人の捉え方であり、考え方になると言えます。言い換えれば、考え方ですべてが決まる、そういう事ですね。これは、ある意味で怖い話かもしれません。なぜって、全部の結果を自分が、自分の思いで決めることになりますから。これって、全部が自分の責任ってことじゃない?

この辺りは「覚悟」といったところなのでしょう、あまり深く掘り下げない事にしますが、それでも自分の思いで結果が決まるのであれば、いい結果を出せるかどうかは自分の考え方にかかっているということになります。それなら「できる」と思った方が絶対いい。

「全ては考え方で決まる」、根拠がどうのこうの、そんな事は後付けでも構わないでしょう。肝に銘じておくことにしましょう。

 

 

今回取り上げるテーマは「できる思考とできない思考」というタイトルにしました。仕事でも趣味の活動であっても、何らかの出来事に対して「できる」と思って取り組む場合と、「できない」と思って取り組んだ時とを比べてみると、明らかに前者の方が上手くいく確率が高くなるようです。自分の気持ちをどのように持つかというだけで結果が随分と違ったものになるようなんですね。私自身も現役の頃には、最初に「どうやって解決しようか」と方法を考える時と、「できない理由を探し出した時」とでは、結果が正反対だったことは何度も経験しています。

できない理由を考えてしまう時を振り返ってみると、その気持ちの根底には「やりたくない」というような感情が蠢いているような気がします。もちろん、全ての事例でそうだとは言えませんが、「やりたくない」、「取り組みたくない」、「面倒だからできないことにしよう」、そんな気持ちになっていることが多いんですね。ですから、「無理難題を吹っ掛けられて迷惑」だから、できない事を正当化するための理由付けがしたいんじゃないかと思います。できないという事は、しなくて構わないという事でもありますから。

そんな時って、当人はあまり深く考えてはいないようですね。とにかく拒否という姿勢でしかありません。ただ、これはとても損な考え方なんじゃないでしょうか。なぜなら、自分や自分が所属するチームなどの「可能性」をゼロにしてしまうからです。しかも「できない事」が前提ですからモチベーションが上がりません、すぐに諦めてしまいがちです。

理由としては、知識がない、能力がない、自信が無いなどの現状があるかもしれません。つまるところ「不安」が先行しているのかもしれないのですが、知識も能力も自信も全部行動しながら少しずつ身に付いていくものでもあると思います。最初から自信に満ちていたりする人って、むしろ怖い・・・。

「できない」とか「ムリ」とか、そういった気持ちからスタートする場合は、自分でハードルを上げているのかもしれません。ハードルという表現が適切でなければ障害物と言い換えでも構いませんが、それをより大きく強固なものにしてしまっているような気がするんです。できないって思ったら、それ以上前に進もうという気持ちが失せてしまいませんか。それを奮い立たせたうえで、改めて決意して取り組まなければならなくなりますから、余計に負担が増えるんじゃないかと心配になります。

どうすればクリアできるか、ゲーム感覚で取り組むのも一つの方法でしょう。そんなことを考えているヒマはないと言われるかもしれませんが、気持ちに余裕が無ければ、しなくてよい失敗を仕出かしてしまうかもしれません。それは嫌ですよね。

私が現役の頃に出会った人たちの中には、面倒だからできないという事にしておこうといった姿勢の人が少なからず存在していました。自分の仕事が増えることを極端に嫌って、自分がする仕事の量をできるだけ少なくすることに必死になっている人って、組織の中では結構問題が多い人でもあるようです。協力的ではなかったり、周囲が意気消沈するような言動を繰り返したり、なんとかして取り組もうとする人の足を引っ張ったり。酷い例になると、ある事無い事いろいろとでっち上げて、頑張っている人の評価を下げようとしたりすることもありました。そのような人が一人でもいると、そのグループはどうしても雰囲気が悪くなっていきます。グループ全体の処理能力も下がっていくでしょうし、評価を高めることが出来なくなります。

その人の心や物の考え方の傾向、そういってしまえば単純ですが、それを変えない限り解決はしないんじゃないでしょうか。ただ、他人を変えるのは難しいことですが、自分を分析して少しずつ変えていくことは、案外難しくないのかもしれませんよ。ちょっと自分の言動に注意をすれば、少しずつでも改善は望めます。一気に変更してしまう事は出来なくても、頑張っている人の近くに自分を持っていって、その人の影響を受けやすくするとかその人の言動を真似してみるとか、いくつかの方法が思い浮かぶようになります。そんな訓練を自分に課せば、できない思考は少しずつ変わっていきます。

できる思考にかわる事、嫌ですか?