サポートライター みけ の独り言

サポートライター みけ の独り言

電子書籍のはなし、文章のはなし、ことばのはなし、書く事、話すこと、ゆめのたねで喋っていることなど、言葉にまつわるいろいろなことを中心に、書いてみたいと思っています。

 

今回はタイトルのようなテーマにしました。「出る杭は打たれる」という言葉はよく耳にしますよね。そのうえで、「出過ぎた杭は打たれない」という言葉も時々耳にします。出る杭というのは、組織の中でいろいろな意味で少し目立つ存在の人を指しているようですね。お調子者のような人がいて、大事な時や皆が真剣に取り組んでいる時に周囲の人を茶化して水を差してみたり、悪ふざけをして皆を困らせるような悪戯をする、そんな人物がいれば、皆が迷惑をします。こんな人を誰かが叱りつけるのは分かるのですが、出る杭といった場合は少し事情が違うようです。

優秀で成績が良いとか、人望がある、人気がある、評価が高い、そんな人に対する周囲の人たちの妬みや嫉妬というところでしょうか、仕事の邪魔をしたり陰でいじめたりと、足を引っ張られる状況に陥る事が頻繁に起きるようです。こんな状況を指して「出る杭は打たれる」と表現しているようですね。

ところが、その優秀さや才能、実力などが抜きんでて来ると、もはや周囲の人たちは妬んでいる場合ではなくなります。組織などではそんな人の足を引っ張るよりも利用して全体の成績を上げる方が、メリットが大きいことになります。そんなレベルまで評価が高まった人物に対して、ジャマなんてしていれば自分たちが損になる、そんな理由もあるのでしょう。優秀な人が足を引っ張られたり仕事の邪魔をされたりという事が無くなってくるんですよね。この状態が「出過ぎた杭は打たれない」と言うのでしょう。

出過ぎた杭に例えられるくらいの人物になると、実力や才能は周囲の人と比べても圧倒的に優位なレベルにあると思います。そんな人を相手に競争しても、勝つことはムリでしょうね。むしろ「自分は自分、あいつはアイツ」というくらいに開き直った方が賢いという判断になります。周囲の人たちがこのように評価したうえでもう手を出してこなくなるという組織は、比較的まともな組織じゃないでしょうか。周囲の人たちも諦めモードとでもいうか、足も引っ張らずに互いに淡々と仕事をこなしていくわけですから、決して悪い人たちではないのだと思います。

ただ、組織にもよりますが、 世の中にはびっくりするほどヘンな考えを持つ人がいるのも事実です。彼の評価が上がる、それはつまり自分の評価を下げることだと思い込む人もいるんです。たとえ、担当している仕事が全くの別の分野だったとしてもです。「自分の評価を下げるわけにはいかないから、彼の評価を下げなければ自分の身が危うい」、そんな考え方に凝り固まっている人も実際にいるんです。

こんな人は「出過ぎた杭は打たれない」のではなくて、「出過ぎた杭には届かない」という表現の方がピッタリする捉え方だと思います。出過ぎているから叩きたいけれども届かないというだけなのですから、いつでも、どこでも、隙あらば必ず襲撃してきます。出過ぎて高すぎて届かなかったとしても、はしごをかけたり脚立を持ってくる才覚さえ働けば、まちがいなく足を引っ張りに来ます。

優秀な人にとって、そんな人を相手にしているヒマなんてありません。だから、どうしても無防備になってしまうんですね。襲撃する側の人は、おそらく視野狭窄なのでしょう。いずれ手段と目的を混同することになります。彼を潰せるなら多少の犠牲はやむを得ない、私も実際にそんな出来事を目の当たりにしたこともあります。結果として、組織全体での評価が下がってしまいましたが・・・。

もう一つ、出過ぎた杭についての言葉がありました、「ありました」というよりも「見つけました」という事のようですが・・・。それは、「出過ぎた杭は引き抜かれる」というもの。先に挙げた私が感じた言葉「出過ぎた杭は届かない」とは少し違うようです。

「引き抜かれる」という意味には二通りあるようなのですが、どちらにも共通していることは「その組織からいなくなる」ということでした。出過ぎると評価されるくらいの優秀な人物の場合、周囲の人たちが放っておくはずがありません。必ずちょっかいを出してきては仕事の邪魔をするでしょう。それが高じて、嫌がらせをしたり有る事無い事のうわさをバラまいたりもされると思います。周囲からもどんどん孤立していき、排斥され、その組織の中にいることが苦痛になったりメンタルの面がおかしくなったりして、最終的にその組織から出てしまう、いなくなってしまうというのが一つ目の意味です。この時、周囲の人たちは手を叩いで喜ぶでしょうね。しかも、辞めたあとからでもずっとその人の事を悪く言い続けると思います。本人がその場にいませんので、好きなだけ悪口が言えるわけですね。

もう一つの理由は、出過ぎたと評価されるくらいの優秀な人物だと、その組織の人はともかくとして、取引先や同業者が放っておかないでしょう。他所に引き抜かれて転職してしまうので組織の中からいなくなる、そういうことなんですね。こんな時の周囲の人たちの反応はどうでしょう。唖然とするか、悔しがるか、いずれにしても自分でなかったことに残念がるんじゃないかと思います。

実際に、最初に挙げた理由で組織からいなくなった人物の実例を私は知っていますが、定員の設定されている組織の場合、辞めさせたのはよいけれども定員割れになって上層部から責任者が詰められる場合があります。だからこそ当人がいないにも関わらず悪口が延々と何年も続くのでしょう、こんな場合は追い出した側の自業自得だと思うのですが、どうでしょうか。

人が集まってできた組織なら、構成する人達は様々でしょう。考え方も、仕事の仕方も、皆バラバラでしょから、統一するために最初は社員教育が必要になるのだと思いますが、抜きんでた人物がいなくなるのは組織にとって大きな損失になるんじゃないでしょうか。ただ、それよりも自分の立場や保身を優先する人がいると、本当なら大きなマイナス要素を抱え込んでいることに、上層部の人も気が付いて欲しいと思います。


 

 

前回は日記を使った振り返りの話でしたが、振り返りってとても大事な事だと思います。けれども、日記を付けている人ってどれくらい居るのでしょうか。キチンとした調査の報告などは見かけませんが、傾向としては若い年代の人は多めのようですね。といっても20~30歳代の女性で約2割といった所のようです。男性はもっと少なくて1割前後、年代が上がるにつれて少なくなる傾向もみられるようだという事です。書きたいけれども続かないといった悩みを抱えている人も多いようですね。

日記があれば分かりやすいと思いますが、自分の事を振り返って考えてみようと思っても日記をつけていなければたいていの出来事は忘れてしまっています。あれこれ考えて思い出すという事も出来るでしょうけれども、そんなに時間があるわけじゃないと言う人が多いでしょう。そういう事になると、手帳にタスクと一緒にメモをしておけば、それが資料になるかもしれません。

振り返るという事は(どれくらいの期間を考えるかにもよりますが)自分が今まで歩んできた歴史を思い出す事ですから有益なものではありますが、その一方で注意しておかなければならない点もあります。「あれは失敗だったな」だとか、「あれはもっと考えてから実行すればよかった」とか、反省や後悔ほど思い出しやすい人も多いでしょう。そうなると振り返りが落ち込む機会を作ってしまう事になります。これはいけません。

自分を振り返るという事は、そこから学びや気付きを得るためと割り切って考えてみてはどうでしょうか。だれだって過去に失敗して落ち込んだ経験の一つや二つはあるはずです。その失敗を思い出して後悔の念をいっしょに思い出すだけでは、何も得るモノがありません。振り返りは反省するためではなくて、同じ失敗を繰り返さないための学びを得るために行ないましょう。また、反省ではなくて振り返りです。しくじった事ばかり思いだすのではなく、良かった点も一緒に思い出して、なぜ好都合にいったのかを考えてみるのも必要な事なんです。

そのためには、やはり何かメモをして残しておくことが必要ですね。そうでないと、たいていの事は忘れてしまいます。時期や様々な出来事との関係、関係者、顛末など、うっかりすると全部忘れてしまっていることだってあるでしょう。かといって、その時はメモするヒマが無いかもしれません。そうなると、タスクの手帳などに殴り書きでもよいので簡単にでも記しておけば、あとで振り返る時の資料にできますよね。

こういった振り返りを定期的に行なっている人もいると聞きます。どれくらいの頻度だとか、どの程度前回と間を空けて行なうのかなど、詳細までは分かりませんが、気付きや学びは振り返りを行うほど増えて来るんじゃないでしょうか。

では、自分を振り返ることで得られるモノは具体的には何でしょうか。大きな失敗や成功はすぐに分かるかもしれませんが、小さな失敗や成功の場合だと、うっかりと見過ごしてしまうような小さな気付きが意外にも満載なのかもしれません。例えば小さなミス、どんな状況でやらかしやすいかを知ることができるでしょう。その原因がコミュニケーションの不足によるものなのか、準備不足の傾向があるためなのか、それとも詰めが甘いためか、理由が分かれば対策も立てやすくなります。そうすれば、次から同じ失敗を繰り返さなくて済むように出来るでしょう。

また、小さな成功体験だってじつはたくさん存在しているでしょうから、それを積み上げてよく観察してみれば、自分の成功パターンが分かるかもしれません。「ラッキー」と思ったことがじつは必然だったなんて言うことも、振り返りを行うから分かる場合も出て来ます。必然なら毎回意図的に何かをすれば、それが必ず起きるように出来ると思いますよ。

失敗にせよ成功にせよ、傾向が分かれば対策も予防策も立てておけるでしょうし、それが自分を含めた人間ウォッチにを通地ることにもなるでしょう。そして、人間の理解にもつながります。ムダに労力を注がなくてよくなる面も出て来るんじゃないでしょうか。

ここに挙げた以外にもメリットはたくさんあるようです。自分の成長につながる点や課題の発見が出来る点などが分かります。また、成功パターンが分かればモチベーションも上がるでしょうし、それに伴ってストレスも軽減できるんじゃないかな。

どこかでまとまった時間を作って、今までの自分の足跡を文章にしたものを作っておいてはどうでしょう。もちろん、最初から完成を目指して書く事は出来ませんので、思い出すにつれて書き足していく事が出来るようにしておくと好いと思います。同じ文章でも、読み返す時期が違えば自分の成長に伴って解釈も変わってくるでしょう。その変化も気付きですから、大事な事だと思います。

ただ、最初のうちは「思い出すのは失敗の話ばかり」という事になるかもしれません。そんな時は、出来るだけ冷静に客観的に、立場を変えて振り返ってみる事も大切な事だと思います。そのためにも、頭を冷やしておく必要があります。件の話が落ち着いて自分の頭も十分に冷えて冷静な状態になってから振り返る、これは客観的に俯瞰するためには大事な事ですね。

こういった事の積み重ねが振り返りをより良いものにしていきますし、それを通して自分も成長する事が出来ます。くれぐれも、自分に都合のよい観点でしか振り返る事が出来ないなんてことがないように、注意してください。


 

 

今回は、日記で振り返りというタイトルで考えてみたいと思います。皆さんは日記を書いていますか? 私はあまり真面目に書いてはいませんが、出来れば毎日でも書いておきたい、残しておきたい自分の記録だと思っています。自分の足跡のようなモノですから、そこにはその時に自分が何を考えて、どのように行動したか、どんなことを感じたかを記したものにしています。だれに見せるものでもなく、自分のホンネが書き残されている記録にしています。ですから、書き方にもよりますが自分の記録なんです。

ただ、せっかく書いた自分の記録ですから、これを活用しない手はありません。誰も知らない、ひょっとしたら自分でも知らなかった自分の姿が見えてくることがあります。後になって、振り返りのつもりで読んでみてびっくりする事もあるんです。当時はこんなことを考えていたんだ~っていうことが分かると、反省材料になる時もあれば、むしろ当時の自分を褒めてやりたい気持ちになる事もあります。「それに比べて今は・・・」と考えると落ち込みそうになる事もありますが・・・。

自由に書いて良いと思います。自分がその時に思った事や感じたことを、何があってそう考えたのか、思ったのか、感じたのかが分かればよいわけですから、箇条書きでも言葉の羅列でも構いませんが、私は2つの事に注意して書くようにしています。

一つ目、その時の自分の主観で構わないのでなるべく正直に、ありのまま書くようにしています。つまり、自分の側から見た捉え方や感じ方、それに対する判断等をホンネで書いておくわけですね。

二つ目、書く言葉に気を付けています。いくら自分の感情が高ぶったり興奮したりしたからといっても、過激な表現や言葉使いは良いものではありません。そこは別の表現で書くようにしているんです。後で読み返せば、自分がどんな気持ちだったかは思い出せますから。

取り繕っていては自分の記録として使えなくなります。自分の成長のために書き残すのが目的ですから、タテマエは必要ありません。そんなことをすれば、後で読み返したときに当時の思いなどが分からなくなります。

主観で構わないのでなるべく正確に感じたことを書いておく理由は、客観的に見ればどうかとか、他人の意見や立場まで気を配っていたかどうか、こんなことまで書いていたら時間がいくらあっても足りません。これでは書く事が目的になってしまって、自分の記録ではなくなってしまいます。それでは困るので、主観でいいからとにかく書いて残そうという事ですね。一通り書き残した後であれば、客観的に見ればどうだったかもしれないとか、相手の言い分のどの部分なら理解できるとか、書き足しておくこともできるでしょう。

いろいろと調べてみると、日記の書き方自体にも様々なスタイルがあるようですね。それぞれに特徴がありますので、日記を書こうという場の参考になると思います。様々な書き方のスタイルがある中で、私が使っている手法はどうやら「感情日記」に近いタイプのようでした。

参考までに、感情日記の基本的な書き方を紹介しておきます。

まず、感情日記とは「感情や思いを自由に書き出す」スタイルの日記です。感情や思っていることをノートに書き出してしまうことで、頭の中を整理します。そうすることで気持ちの整理が出来るので、溜まっているストレスも減らす事が出来ます。つまり、感情日記は自分の心を落ち着かせるために行うセルフケアの方法とも言えるようです。

その書き方は、まず「出来事と感情を書き出す」ところから始まります。自分の感情が大きくざわついた時、例えば嬉しかったことやイライラしたことなど、心が動いた出来事を一つ選んで、その時の「感じた事(感情)」「思った事」「その時の気持ち」などをそのまま、何も取り繕わずに出来るだけ全部を書き出します。

感情や思いを書き出したら、今度はそういった気持ちがなぜ沸き起こったか、その理由を考えてみます。深掘りするするわけですね。そのための情報として、背景にある考えやその時の状況も書き添えます。オーソドックスな書き方では、これを第三者の視点で客観的に見ることがポイントになっていました。

今度は、自分の中で湧き上がった感情や自分の状態を把握するために、感情の数値化を行います。これは自分の感情の強さを冷静に、客観的に自分で判断するためですね。最大値を100%とすると分かりやすいでしょう。10段階でも構いません。数値化する事によって自分の状態を自分自身でも把握しやすくなります。

そのうえで、「ネガティブな感情を自分の中から消してしまう」ようにします。ある記事ではこれを「成仏させる」と表現されていました。ネガティブな感情は心の中に持たない方がよいので、「これで(ネガティブな感情が)消える」と意識すると、ストレスの軽減できますし、なによりもポジティブな気持ちに転換しやすくなります。

最後の「成仏(?)させる」というところでは、ずいぶん昔の話になりますが、その時の嫌な思いを書きなぐった紙を灰皿において、火をつけて燃やしてしまうという手法があった事を思い出しました。文字通り「消して」しまうわけですね。これは心理学的に有効だとして、視覚的にも気分的にも「消滅した」と捉えやすい方法だと紹介されていました。ただし、火の取り扱いに注意が必要なことは言うまでもありません。消火用の水を用意しておくなど、充分に気を付けてください。

個人的には、最初に感情や思いを書き出すところは自分の主観で書いていますが、口汚い言葉や誰かを罵るような言葉は控えるようにしています。同じ意味で別の表現にすることで自分を冷静に保つための策ですね。さらに、二番目の「なぜと深掘りする」ところは別の日に行なっています。その場で感情を書き出す事と一緒に行なうと、どうしても客観的になることが難しいと思うからです。再度わざわざイヤな感情を思い出さなくてもいいだろうという判断ですね。

その代わり、後日の振り返りでは二番目の「なぜと深掘りする」ところを重点的に行って、主観的に書いたことを振り返りながら、「この件を客観的に捉えるならどう考えたらよいだろうか」とか、「相手の都合や事情、立場だと自分ならどんな受け答えをするだろうか」とか、いろいろと振り返りながら考えてみるようにしています。そうすると、ほとんどの場合で何か新しい発見が出て来るんです。

私は「その気付きが自分を成長させる」、そう考えるからこその日記としています。同時に、「あの時の私の対応はマズかったな」と反省の材料になることがありますし、「アイツはこんな傾向があるのか」という人物観察にもなります。相手が分かればそれに応じた態度を取ることで、お互いにストレスの少ない付き合い方も出来ますから。

ただ、毎日こんなことを書いていたら気持ちが草臥れてしまうので、普段は当たり障りのない、出来れば楽しいことなども書いておけばよいと思います。日記をつけることでストレスを軽減出来るなら、やって損は無いようですね。