1歳から7歳まで、はっきりと大きく2回ほど、細菌感染のダブルパンチを受けていたことは、否定の仕様もない。
1歳時に転倒したせいか、その後喉と歯茎が腫れ上がって、歯の一部にエナメルのない、弱い永久歯がやっと生えてきたし、
あまりに老獪で健康的ではない猫に噛まれて、膀胱炎どころか腎盂腎炎に耐えなければならなかった。↓



窮屈で、おかしなことに一生懸命になる幼少期だったから、それ以外にも私が我慢したり、耐えていることは山のようにあった。そしていつも疲れていたように思う。
腎盂腎炎のときには寝転がらずにいられなかった。元気で仕様がない子とは明らかに違っていたのだろう。
『ストレス』という言葉が流行った時も、軽くて白々しく感じたものだ。
もっと、過敏な人の感受性の実際は、カタカナ四文字よりも、この世で耐え難いものを受け止める日々なのだから。

私は非常にガンバリズムで、献身的なほど(大人の)要求に忠実だった。だから、学校で成績に困ることもないし、一見順調なはずだった。

自分の仕事であり持ち分は、優等生であり続けることだと思っていたから。
誠心誠意、ごく狭い優等生。
いま考えると、面白くはないけどね。
根本的に面白くない発想から出発しがちだから、実は面白いことが大好きなのかなあ …
そんなぎりぎり絶好調の人、私がある日を境に倒れ、ただの起き上がれない人になった。
 

この記事からの続きです



 それでしばらく通院先を失った私でしたが、それもほっとしていました。病院に通うのは、負担でもありました。
まるで自分の弱点を探る話になっていきましたから。
また検査が異常なしで、カウンセラーと話すことになってもなぁ…


秋が深まる頃、あるきっかけで表へ出かけ、一泊のバス旅行に参加。
そこから先は、、

不思議にも



心身ともに体調、病状は(奇跡の)大逆転、回復をみせることになります 💐!!ルンルン花火

〜 オメデトウ 〜


出かけることが可能になり、学びも仕事も忙しくなり、それから数年間は、意欲と勢いでいくらでも仕事が増え、頭も冴え、人生に於いて、勉強量も最も多いときでした。

徹夜で机に向かい、仕事を仕上げて翌日から旅行にも行きました。徹夜明けで歩き回れるのは、この年齢の頃だけでしょう。


この病気が 治った とか、寛解させた、という話を、だから私は理解できます。
十分にあり得るとも思う。

むしろ中休みなく悪化の一途を辿るだけの例は少ないか、悪化するだけである必要がないような気もします。

いかなる病気も百人百様であり、寛解があり得て、具合の波があっていい。
(次第に年齢的な負荷という皺寄せもくるから、本調子の基準も推移しながら)
それは小刻みでも、何年越しでもあり得ます。特に慢性疲労症候群なり線維筋痛症は、読みが難しい。
この不明な病気においても、私はそう言いたいと思います。
※がんも、1人ずつ違って読めないと言いますね。




私は忍耐の緒が切れたような、突然の発症から真新しいストーリーが(強制的に)始まりました。

ストレスフルで、ある日横溢した如くに発症し、起き上がれなくなるまでは、日々緊張の糸が切れずにフルに自分と生活とを律していました。

倒れてからは選択の余地なく、休んでいなければなりませんでした。
動かない身体と悲しい心、あからさまな困惑、というわけです。
それよりも何よりも、疲労困憊の極致でしたから、眠る以外に生命の維持はない。切羽詰っていました。

その際に、たとえ頭を振り絞って考え事をしていようとも、身体を横たえてなるべく長く眠るようにしたことが、1年半ほど続きました。
身体を休ませることができた、それが極めて重要でした。
普通ならば、深夜から翌日午前まで眠り、午後また眠ってしまい、夜は夜で
疲れて伸びていて眠れる、そんなことはありません。

ところがよく眠ることで、すべての細胞は蘇ってきます。
実際には疲れ切って、だるさのあまり眠らずにはいられない。心は余計に、いつにもまして傷ついている。過重ストレスで泣きながら眠ってしまう。
それがとても良かったようです。

眠りによって、やっと追いついてきた生命活動が、なんとなく起きて出かけられるようにまでなると、私は意欲と課題の山積みで、大変忙しくなりました。

ひと言で云うと、……
歩ける人 になりました。

同時に、怪我の功名で
非常に キラキラ 考える人 になっていました。
私はとても懲りるタイプで、再度自分を棺に葬るなんてことはゴメンだと、つくづく考えたものでした …

(そのうえすっかり👼サード・アイ👀開眼の人に変身していました。その智慧と学習には大きな時間を割きました。全く違うことを扱う時に、考え方の道具をいくつも手に入れることが、何よりも重要なのです。
Becoming=時代と人生と共に、蝶のように雲のように、時間の経過とともに成長し変化していくこと、変成は難しい病気のプロセスの中で、必ずあります💜)



活動を始めてからしばらくして、やはり徹夜明けで歩き回るのはNG(そんなことはしなくてもよい)と自重し、ひどく疲れて、身体が浮腫み、動けなくなってきました。ど〜んと波があるわけです。

しかし、眠りと休息を守るべきだったことは明らかであっても、大切なあの当時、私が動けて勉強して、仕事と向き合えたことが、現在に至るまで決定的に重要でした。

苦しみながらでも、不調と病の発現が若年からであったことは、動かし難い私の運命リズムだったのでしょう
望んでないですよもちろん
でもそれが私の行く道だったのか


・・・・
そして不調で怠く、疲れるとき、私としてはイヤな記憶が引っかかっていました。

当時住んでいたところは不便で、大学病院までは2時間かけて行くようでした。
私は、腎臓を疑ったのです。




 ・・・ 続く