ケフラール(抗生剤)を服用中は、一錠目から具合がよく感じられる。その後しばらくは、やはり長くダウンする。
朝、昼、夜と疲れて休み、身体を横たえると眠ってしまうのは、まるで三十有余年の発症初期を思い出すほどだ。

溶連菌については、除菌しないことのメリットが私にはわからない。

4歳から7歳にかけての4年間、私は酷い溶連菌感染を患った。
(それは… 今となってはわからないだろうが、もしかすると1歳時に転倒し、乳歯の前歯を4本失うという、不運な事故からずっと続いている話だったのかもしれない)

4歳から5歳にかけては、かなり長い期間喉と歯茎が真っ赤に腫れて、痛みで幼稚園に持参するお弁当がさっぱり食べられなかった。
(失った乳歯のあとに、真赤な歯茎の腫れから、一部エナメルが欠損した永久歯が生えてきた。明らかに菌の侵襲があった)
その件も含めて、私は何故か劣等生ということになっていて、保育士にいじめ抜かれた。
それは幼稚園の都合で
劣等生じゃなくても 笑笑
読みが甘い連中は
平然と醜態を見せる

こんな根性曲がりのゴリラのボスのようなハイミス連中が仕切るところで、食事など摂ってたまるかというのが、その頃の私の激しい精神的ストレス。
とにかく毎日泣かされた。


(そんなある日、ぼろぼろに老獪な風体の茶トラの野良猫に、ゆっくりと左腕を噛まれた。私の腕の内側には、猫の上下の歯型がくっきりとついた。5歳だったと思う)

6歳になると、祖母が私を見て
「むくんでいる」と言い出して、排尿痛もあったため、母が近所のクリニックに連れて行った。

それが、真黒いウィッグを被ったおばあさん先生で、はっきり言って医師かどうかも不明だ。1980年代の70歳の女医さん、マジ超コワイ。
ご近所によると、誰が来ても、風邪だろうと同じシロップを出す。カルピスの原液に苦い何かを入れて薄青くしたようなシロップ。
「カルピスみたいで美味しいでしょ」
と本人はのたまうが、私はそれがどうしても飲めず、泣かされた。ところが、もっと頂戴と云って飲みたがる子もいるらしい。そんな話を聞くだけで吐きそうだ。
とにかく誰が来ようとそれを出す。
何故かはわからないが、3度、4度と通った。そして、良心の欠片があったのか、母に近くの「大学病院へ行ったほうがいい」とある日その人は言った。

それからは大学病院でやっと検査が続き(もちろん初めての検査色々)白血球値が高過ぎること、それが(培養で)溶連菌感染であるということ。
腎盂腎炎を患っていることがわかった。

そこに至るまでは、胸部レントゲンまで撮りながらだったから、当時は相当、医師方は首をひねりながらの診察だった。
なぜあんなに首をひねったり、言葉を濁す様子だったのかは本当に不思議だ。

小児科は曜日でドクターの担当が変わり、2〜3人、主に2名が担当していた。
彼らは、白血球値が下がらないから「とにかく要注意、要注意ですね」を繰り返していた。
病院からはきな粉のような、茶色い粉薬と、あとからカプセルも出た。
自分で調合することが流行っていたわけではないと思うけど、あんな飲み薬、現代には無いわよ。、、、
その茶色い粉は泣きながら多少、飲んだけれど、とても喉が細い私には、カプセルを飲み込むことができなかった。
母が上を向いて飲み込めと言うのだが、意を決して私が飲もうとする度に、上を向いて水ごと、噴水のようにカプセルは噴き出た。何度となく。
また飲まされる。
カプセルは正体がなくなってくる。手で掴めないくらいに。

いまなら錠剤よりもカプセルのほうが歓迎(流線形で喉が痛くない)なのだが、何の工夫もなく、感覚の過敏な子に、飲めと言って薬と水を手渡すだけなんて、只々しらけて情けない話だ。
母は「治らなくていいの」か、と私に詰め寄った。私は追い詰められていた。


それ一体どういう意味? UMAくんUMAくん UMAくん宇宙人


私は薬を飲みたくないんじゃないのだ。


私もどうにもならないのよ!!!  恐竜くん恐竜くん   恐竜くんバイキンくん クマムシくん魚の骨



必要なことが出来る人、人としての会話が出来る人、って少ないのよね。

話のはじめからここに至るまで、私は常に怠く、疲れ易くて、家では気づくと横になって倒れていることが多かった。
ゴロゴロしている、のか
疲れ切っている、のかを、誰か見破れる人はいないのかしら。

1年間プール禁止🚫にもなっていた。
早退しては通院しなくてはならず、バス停からバスに乗って、先に予約を取っている母を追いかけた。
7歳の、腎盂腎炎を患う子だったけれど、その子の心身を労る発想はどこにも、誰にも無かった。
そもそも腎盂腎炎が何か、私の具合がどうなのかも、誰も知らなかっただろう。

ところが通院するはずのある時から、私の緊張はなんとなく終わった。
私も辟易していたが、母が飽きたのだ。
その時の母によると、根気強く
「大丈夫なんでしょうか」と訊いたときに、うん(まあ大丈夫でしょう)、と医師が言ったような気がしたから。というものだった。
母がああ大丈夫なのか、と掴んだというのなら、私もそれ以上言葉はなかった。
薬もほぼ飲めないまま、毎回の血液検査やら何かから、私は解放された。

おそらくはいつかの時点で、腎盂腎炎からも。


(茶トラ猫は特に頭が良いと思う。あの野良の面相からして、どれほどの苦難があったことか。全てへの恨みでいっぱいで、凄みは人以上だ。
でもあれはいけないと思います。
純真な私にゆっくり近付いてきて、ゆっくり噛んで、ゆっくり立ち去ったからね)


ちょっと風邪気味でも子供を早く寝かせるのではなく、すぐにクリニックに連れて行く親も多いけれど、私はこんな幼少期でよく今日、命がある… って?

私もそう思います。