父は決して自己中心的な人ではない、
ただ皆が自分と同じ様に感じ、同じ様に考えるものだと思っている。
同じ様に考えない、自分と異なる考え方をする人なのであれば、
それは良識的、一般的な人ではなく、社会の一部になりきれない人と考えている。
それは社会の中心となり世の中を回しているのは、
自分と同じ考え方をする人たち(常識のある人たち)ということであり、
それが反抗期を数十年前に終えた私にも未だに理解できない父の一部。
父は還暦を迎え、長く勤めた地方公務員の仕事を定年退職し、一日中家に居る。
今は家を出た弟の部屋にパソコンを持ち込み、食事と少しの用事を除いてずっと自分の世界に生きている。
ほぼ引きこもりの生活を送っている父に、母は半分冗談に半分本気でうんざりした顔を送っている。
父は昔から着るものに頓着しない。母が買ってきたものの中から、
彼なりのお気に入りを見つけると、そればかりを着続ける。
母にいい加減にしてくれと言われるまで着続ける。
いつもちぐはぐな上下を選び、いつも母に取り合わせの悪さをなじられる。
本日の父は幾何学模様のセーターを着ている。
大きな十字の黒い線が左胸の辺りで交差し、交差部分が菱形になっているもので、
ずいぶん昔に買ったものなのに、退職して家で過ごす様になるまで、全く袖を通さずにきていた。
標的になるから、それが父なりの理由だった。彼をどんな暗殺者が狙うというのだろう。
父は、子供時代に給食で出た肉の脂身の記憶がトラウマとなり、未だに肉の脂身が食べられない。
そのくせトンカツはロースを注文し、肉の脂身を苦労しながら切り離して残す。
食べ終えた皿に汚く残る脂身を気にして、パセリなどで隠そうとする。
昔、朝食で出たあじの開きを前に、無意識でモールス信号を送っていたりする。
最近は近くにできた自家焙煎のコーヒーを甚く気に入り、それ以外のコーヒーを飲まなくなる。
父はバイキング、ビュッフェというものが嫌いだ。
彼はコンチネンタルスタイルとなったらホテルの朝食を一人で食べることができない。
父は目の前に自分の膳が出てこないと食べることができない。
自ら皆が取り分けている大皿から惣菜を取ることができない。
父は、目の前で切り分けられる肉の皿だけを手に持ち、
テーブルに戻ってくるが、いらない肉まで皿に盛られていることに愚痴をこぼす。
母はいらない肉を伝え、オーダー通りに肉を盛られることができるのに、
なぜか父は断られ、イライラすることになる。
料理の前に並ぶ人々は、自分と同じく皆どうしていいか分からずに戸惑っていると父は思っている。
どれも美味しそうでどれを取るか悩んでいる人が居るとは考えない。