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祖母は赤城駅から数百メートル程の所にある病院の個室に居て、同時に近くにあるというお寺に居た。
そのお寺は新里町山上にある山の上のお寺だったから近くにあるはずではないのだけれど、祖母はまるで近所のお寺のように話す。
お寺には、私が嘗て通った付属幼稚園があり、檀家にもなっていたが、なぜそのお寺が今出てくるのか分からなかった。

祖母は「お寺から病院に早く行かないと行けない」といい、腹部に圧力がかかるから起き上がってはいけないのに隙あらば起きようとした。
「ならばここは何処」と母に尋ねられると、祖母は「病院」と答え、「なら行かなくていいよね」といわれると「わかった」といって、母と反対側の足をベットから降ろし立ち上がろうとした。

祖母は終始喋りながら空間を移動し続け、母は泣いているような顔で明るい声で答え続け、時たま泣き笑いのような顔で笑った。


駅から病院までの道のりは思ったより早くて、
心の準備をするには足りなかった。
病院の入り口を入ってまず自動販売機で水を買う。
胃のあたりが重く吐き気がしてくる。
いつものおばあちゃん家に行った時のように振る舞うのだ、そうイメージして何とか階段を上り病室までたどり着く。
個室の扉をノックしようとして、一瞬、先日の母を思い出し、躊躇する。
「もしできたらおばあちゃんに会わせてください」と科白を用意してから、
意を決してノックする。
少しして母が顔を出してきた。母は一瞬険しい顔をして、病室の外に出た。
すぐに泣いたような諦めたような何もかも押し込めたような表情になった母は、「今混乱してるから、分からなくなってるから」といって私を部屋の中に招いてくれた。
一瞬の険しい表情は、きっと私への怒り、それが一瞬で消えたのは、そんなことより自分の母親のことでいっぱいだったからだろう。
母の泣いたような顔を見た途端、私は病室に入れなくなった。祖母の姿を見るのが怖かった。そのまま祖母の前で泣き崩れてしまうのではないかと怖かった。
母にちょっと待ってと手で伝え、目を見開いて上を向いて何度も瞬きした。
何度も深呼吸してから病室に入ると、母は泣いたような顔のまま、半オクターブ高い声で話し続けていた。

弟は普段からあまり話さない。普段あまり話さない父が少し多く喋り、私も少し多く喋り、母はいつもより明るい声で喋る。
普段と違う祖母の前で、弟だけがいつもの通りに、を実践できている気がした。
私は祖母の一番ではないと、ずっと思っていた。何にでも興味深々で動き回る子供ではなく、一人遊びに慣れていた私は、弟よりも面白みのない子供だったろう。油絵や、うどん打ち、鍋で作るケーキ作りなど、祖母と弟はよく2人で色々なものを生み出していた。私は2人に混じってモノづくりに参加することもあったが、よく一人でいたような気がする。遠い記憶だから忘れているだけで、単に私が飽きっぽい性格だったからかもしれない。
母は姑と仲の悪かったが、私はその父方の祖母とよく一緒に居たから、何となく父方の人間という意識があった。そんなこともあって、心のどこかで母方の祖母には本当は嫌われているのではないかと思っていた。だから、意識のはっきりしない祖母の中にはたして私が居るのか、それを知るのが一番怖かった。
部屋に入って私の名前を呼ぶ祖母に泣きそうになり、手を握って「なかなか来れなくて本当にごめんね」と言うのが精一杯だった。母より大柄な印象だった祖母が本当に小さく小さくなっていた。弟も後からすぐに来ると伝えると、祖母は嬉しそうに笑った。「皆新里に寄って行きなね、帰って来たらいいよ、群馬に帰ったらいいよ。」血圧が上がってしまって息遣いが荒くなっている中で、声だけは穏やかに何度もそういう祖母に、私も声だけは明るく答えるしかできなかった。

お腹の中はいつ死んでもおかしくない状態なのだというが、祖母は絶えず動こうとして、喋り続けていた。
ちょろちょろと消えそうに揺れるロウソクの炎ではなく、祖母はまるで花火のようだった。
元気な時は太陽のような熱の塊で絶えず周りにエネルギーを与え、燃え続けていた祖母。今は花火くらいになってしまったのかもしれないけれど、私なんかより余程たくさんの熱量を放ち続けていた。