2022年12月23日。

はいたい、こんばんはー

いつもありがとうございますほっこり




私、一昨日の12/21が冬至だと思っていたので、張り切って夫のお弁当にかぼちゃの煮物を入れたのですが、2022年の冬至は12/22でしたね泣き笑い



それに気づいたのが22日の昼過ぎで、それからさて夕ご飯は何にしようか…と悩んだ末

【チキン南蛮】

を作りましたよ。



【ん】が3つも付くので冬至の日にぴったりじゃないですか?

なんか違う?



夜はバブのゆずの香りで温まりました。

完璧です

これでまた1年元気に過ごせるはず!






とりあえず

前回の記事はこちら→→→







もう1年以上前になりますが、母について長々とブログに書いたことこあります。




こちらの記事です→→→






そこでもちらっと書いたのですが、弟は母の体調が心配で仕事を辞めて実家に留まってくれたのです。



母が体調を崩した時、私は沖縄に住んでいて兄は仕事で愛知や東京に数カ月単位で行くことが増え、父は家に帰らず会社で過ごすことが増えていた時期でした。


母が短時間ですが意識を失い倒れたのを目の当たりにした弟は、母を1人にすることが心配で仕方がなかったようです。


そんな時に弟の勤務先が転勤を指示してきたので、弟は仕事を辞めてしまいました。


それからは単発のバイトをしながら母の身の回りの世話をしてくれています。


何度か再就職も考えたようですが、気の優しい弟は就職すると勤務先にも気を遣い過ぎてしまうので、単発のバイトの方が気兼ねなく母の体調に合わせて調整できて楽なようです。



弟が母のために自分の仕事まで辞めていたのに、その頃の私は自分のことしか考えていなくて沖縄で一人暮らしを楽しんでいました汗


時々実家に帰っていたのですが(と言ってもいつも仕事ついでの日帰りか1泊で)、母も弟も特に何も言わなかったので母が体調を崩していることになかなか気づきませんでした。


ただある時、1年ぶりくらいに帰省したら母がかなり痩せていて、その時は驚いたのですが母に

「大丈夫よ〜。更年期で体重が減ったみたいニコニコ

と言われたのを

『へぇ、更年期ってそんなもんなんだ』

と簡単に信じてしまって、何のケアもせず沖縄に帰ってしまいました。


後で聞いたところによると、その頃はいつ亡くなってもおかしくないくらいの体調だったそうですガーン


私にとって母はいつも正しい絶対的な存在だったので、母が大丈夫と言ったことに疑問を持たなかったという、私の情けない過去です汗



そしてその頃の弟は、1人で母のお世話をしていることを私に言っていませんでした。



たぶん仕事を辞めていることを知られたくなかったのだと思います。



私が帰省しているお昼の時間帯に弟は外出していて、顔を合わすこともほとんどありませんでした。



そんな状況が10年近く続いて、私が結婚することになった時になって漸く、母が体調を崩していたことや弟が仕事を辞めていたことなどを知りました。



もうその頃は母の体調は回復していたのですが、職を離れて10年近く経った弟は再就職することを恥ずかしいと思うようになっていました。



私は弟の気持ちもあまり考えずに

「まだ若いんだからちゃんと再就職したら?」

と、無自覚でしたがたぶん上から目線でアドバイスしたことで、弟は私に心を閉ざしてしまったようです。



本当なら母の看護をしてくれていたことについて、もっと感謝しなきゃいけなかったのに汗



当時の私は、母の体調がそれほど悪かったとは思っていなくて、弟は心配しすぎなところがあるなーとか、仕事が合わなかったのもあって辞めたんじゃないかなーとか、勝手な解釈をして弟の優しさを踏みにじるようなことを言ってしまっていました悲しい




続きます→→→ 




たまひよこヒヨコ

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