家族で搭乗した飛行機は4時間遅れで無事に到着した。
◆◆◆
出発を待つ空港の待合にあった写真の美しい地方情報誌を手に取った。
雪のように白い表紙は桜の大樹であった。お義母さんもこの情報誌の写真がお好きなようで一緒に眺めながらあれこれおしゃべりした。お義母さんの写真のお好みを期せずして知ることになった。
空港にいる時も、飛行機の中で待機している時も乗客は落ち着いていた。客室乗務員さんの対応に感謝の言葉を述べるやりとりを見かけたし、ぐずる子どもや親子へのまなざしも和らいでいるように見えた。いつもより温かみを感じるような出来事がそこにはあった。
わたしが、そういった優しい心遣いに注目する気分であったのかもしれないけれど。
乗り合わせた方々は状況を受け入れ、不測の事態には助け合う仲間として在ろうとしていたということだったのかもしれない。
そこに、混乱、批判や物事を正そうとする主張といったものがなかったのは幸いであった。
無事に到着した夜の空港では誘導灯が美しく並んでいた。
雪のような写真を見て思い浮かんだ曲