13時半過ぎ、多神社に到着しました。
正式名称は「多坐弥志理都比古神社(おおにいますみしりつひこじんじゃ)」といい、延喜式内社です。
神武天皇や神八井耳命(かんやいみみのみこと・多氏の祖先)などを祭神としており、代々多氏一族が奉仕に関わっているそうです。古事記編者として有名な太安萬侶の一族です。
*安萬侶というと、私には某漫画で大津とアマメの子として登場したあの可愛い少年の姿しか浮かびません(←わかる人だけわかってください〈爆〉)*
ここで、太子像を先頭に、法隆寺のお坊さんたちが拝殿に向かって般若心経を唱え、皆で合掌。
この後、神社及び遺跡に関する先生の解説と、宮司さんの挨拶がありました。
この多神社を含む一帯は多遺跡といって、弥生時代~古墳時代の環濠がめぐる集落遺跡として知られています。方形周溝墓や、堅木表現の建物を描いた絵画土器で有名だということを奈良まほろばソムリエ検定のテキストで勉強した…はず(爆)。
多神社拝殿
スタンプを押してもらって、ここから先はバスで移動
束の間の休息時間です。
バスに揺られること10分程で今井町の「今井まちなみ交流センター」に到着。
残念ながら(?)ここで下車。
この交流センターは旧高市郡教育博物館の建物で、今井町役場としても活用され、奈良県指定文化財になっています。明治36年の建築だそうです。
レトロな雰囲気の漂う内部の見学は、あまり時間がなかったのでしっかり見ることができなかったのですが、町並みの変遷の様子や保存運動に関する資料が展示された展示室、図書館などがありました。
ここでまたスタンプを押してもらって、14時30分、ウォーキング再開![]()
ひたすら飛鳥川に沿って南下していきます。ここまで来ると、これまで気のせいだと流してきた疲労感を打ち消すこともできません(笑)。「ゴールはもうすぐ!」「あとちょっとで飛鳥だ~♪」と自分を鼓舞しつつ気合で歩き続けますが、このルートで飛鳥入りしたことはないので、飛鳥に向かっているという実感がなかなかわきません^^;
上飛騨橋を過ぎ、見慣れたいつもの景色が前方に見えてくるころ、右手に季節はずれの向日葵が見えました![]()
あれが、噂(?)の休耕田を利用した向日葵畑か~…ということは、もう古宮土壇の辺りに来たのね!この向日葵は見たかったので嬉しいのだけど、意外と狭いスペースなのね…などと思っていると、程なく小墾田宮跡に到着。ここで先生からの解説を聞きますが、「古宮遺跡」「小治田宮墨書土器」「雷丘東方遺跡」など、両槻会ではおなじみの単語がたくさん出てきて、現地で説明を聞くといっそうイメージが判然としてきました。
ここでもスタンプをポン![]()
ここを過ぎれば毎度おなじみの地♪甘樫丘や弥勒石を通り過ぎ、16時15分、ようやくゴールの橘寺に到着しました~!東門をくぐるときは、マラソンのゴールテープを切るような心持でした。
本尊の太子像が祀られた太子殿の前で、多神社のときと同様に般若心経が唱えられました。
それにあわせて合掌していると、ここまで歩き通せたのも健康であるおかげだなぁと、有難さを感じました。
私一人では歩くことはできないであろう太子道を、いろんな人の協力を得て楽しく完歩することができ、なかなかに良い経験になりました♪
ただ…歩くペースは正直速い;普段一人で歩くときとあまり変わらないペースではあったのだけれど、自分の意思で速く歩くのと、人に引っ張られて速く歩くのとでは、疲労度に相違があります。
集団で歩くときは、弱冠遅めであることが多いため、「もうちょっとさっさと歩こうよぅ」と内心思うことが多い私ですが(笑)、今回は少し油断するとたちまち前との間隔が開いてしまい、慌てて追いつく…といった繰り返しでした;ここは見ておきたいぞ、と思うようなところも素通りばかりだったし。
時季的に日暮れが早いため時間に制約があるのと、大所帯で狭い寺社の境内に立ち寄ることは難しいので仕方のないことなのかもしれませんね。
そんなわけで、歩いた後に異様な疲労感に襲われるのも私には珍しいことでした^^;
心経が終わって、お寺の副住職さんや法隆寺理事長さんの挨拶などがあり、最後のスタンプを押してもらって10個全てが揃いました♪ここで振舞われた温かいはちみつレモンは、疲れた体には格別に美味しく感じられました。
川原寺の西で、橿原神宮前駅経由法隆寺行きのバスに乗せてもらい、それぞれ帰宅の途につきました。
皆さん、お疲れさまでした~~!!
ちなみに毎年2月22日には、太子廟がある河内の叡福寺へ向かう「磯長ルート」が開催されます。
私はたぶん…行かない…(厳寒の季節、朝早いのは嫌だ…);
小墾田宮ルートは、来年気が向いたらまた行きたいな、と思います^^
~おしまい~






