父が生き長らえていたという出来事 | ゆめのつづき@南由斗(南ゆと)

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元jw、母は現役

健康問題を抱えているので、
動けるうちにできるだけのことをしようと思って一日一日を大切に生きています。

自己満足の世界ですが、そんな日々の思いをここにつぶやかせて下さい。

 

 

今日は少し暗い内容になってしまいます。

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父に関するショッキングなことがあり、

先日、実家に行きました。

 

 

父が、

多発性骨髄腫

という病気になってしまいました。

 

血液のがんです。

 

 

えっ、そっちびっくりマークびっくりマークはてなマークはてなマーク

 

 

だめなやつじゃん。

 

 

母は、渦中のJWです。

JWといったら

輸血を禁止されているのは

有名な話。

 

確か、十数年前に

父が直腸がんの手術をした時は、

輸血の同意書を、

母に内緒で私がサインしたと

記憶しています。

 

今回も輸血が絡むと

ややこしいことになりそうなので、

 

父に、

「同意書とかサイン諸々は

母より私の名前にした方が良い」

と伝えました。

 

帰省した時に、

家族の連絡先などには記入をしました。

 

ですが、

まだ骨髄腫の治療には

たどり着いていません。

 

 

精密検査の経過で、

1年前から発症していたと思われる

肺炎が見つかり、

 

抗がん剤などの治療で

免疫力が低下すれば、

肺炎が悪化して

耐えられないというこで、

 

まずは一泊入院をして、

全身麻酔をかけて、

肺の中にカメラを入れて

洗浄することになりました。

 

 

父と、病状や治療の話をしている中で、

 

父が、

「本当なら15年くらい前には

死んでたはずだからな」

と言い始めました。

 

「八ヶ岳で遭難して

3人亡くなったニュースあっただろう、

俺も行こうと思ってたんだよ」

 

え、まじすか、

初耳です…

 

 

検索したらありました。

 

http://www.naganogakuren.net/scrap/2006/20060321yatsu.htm

 

 
15年前…近いけど17年前ですね。
 
父は、若い時から登山をしていて、
高校教師だったのですが、
ずっと山岳部の顧問をしていました。
 
私も小さい頃、
父に連れられて、
女子高生に混じりながら
まだ雪の残る八ヶ岳など
いろんな山を登りました。
 
父は、リタイア後も、
東京アル〇〇会に入って、
よく登山に行くようになりました。
 
会員は、
経験豊富な登山家ばかりだったそうです。
 
その八ヶ岳へは、
とても行きたかったそうですが、
別の習いごと(料理教室だったかな)があって
泣く泣く諦めたのだそうです。
 
八ヶ岳へ行ったメンバーは
ベテランばかりで、
途中から、
下山グループと進むグループとに
分かれたそうです。
 
父は、 

「俺は間違いなく
進むグループの方を選んだよ。
天気が急に変わったみたいで、
行ってたら凍え死んでたかも
しれないね。」 

と、せっかく来たからと
進むタイプだと言っていました。
 
もしその時に父が遭難していて、
もしものことがあったとしたら、
私は後悔しまくりだったと思います。
 
いろいろあったので。。。
 
親孝行するチャンスが
17年引き伸ばされたことに
なりますね。
 
全然してないけど。
 

ともかく、その日は、
肺炎の治療がうまくいくことを願いつつ
実家をあとにしました。
 
後日、肺の洗浄が終わり、
無事退院したと
報告を受けました。
 
あとは、合併症が起こらないことを
願うばかりです。
 
気がかりな点がもう一つ。

少し前に、
父が首の腫瘍の切開手術をしたのですが、
創部の化膿が良くならないみたいです。
 
それも治さないと、
骨髄腫の治療で弱っている所に
細菌感染症とかは心配です。
 
 
がんの進行が遅いと良いなぁ。
治るやつだったら良いなぁ。
せめて苦しくないと良いなぁ。

 

父は、

「入院治療は絶対嫌だ。

どうにか外来で治療できるようにしたい」

と言っていました。

 

父はしょっちゅう入院しているのですが、

コロナ禍前までは

自由に外出ができて、

自力でリハビリがてら病院の周りを

歩いたりしていました。

 

でも、コロナ禍になってからは、

病室から出ることもできず、

リハビリがあるわけでもなく、

余計に体力がなくなってしまう

という悪循環。

 

加えて抗がん剤治療となれば、

もう生き地獄ですよね。

 

そりゃ、治ってほしいけど、

もっと長生きしてほしいけど、

 

生き地獄を味わってまでは……

と、私は思います。

 

高齢なので、

進行は遅いんじゃないかな

と、勝手に希望は持っていますが。

 

あとは、

もしもの時は、

シュークリームを

食べさせてあげたいです。

 

シュークリーム好きみたいだから。