✡️🟨③次第説法【第二のウッガ経】❹諸欲の過患❺罪悪❻出離の功徳➐苦諦➑集諦❾滅諦➓道諦【智慧が現れるように導く・諸欲の短所を観察する・心は穢れやすい性質を持っていることを発見【令和6年7月05日】🟦YouTube で見る🟥https://youtu.be/rcaEUtEsCMw?si=xMo1RxS7p4yIK_S5✡️🟥【3️⃣レジメ資料】🌟仏陀の次第説法【第二のウッガ経】:Dutiyauggasuttaṃ(『増支部』8-22)🟪お釈迦様はウッガ居士に次第説法をしました。次第説法とは、お釈迦様の授業カリキュラムです。🌟レッスン4:諸欲の過患(kāmānam ādīnavam)🌟 🔷レッスン4で、お釈迦様は、もっと高いレベルの話をします。今までの話では、この世で幸福に生きられる方法を教えました。 🔶そして、人間が感じる幸福と比較にならない、高度な幸福の次元も教えました。🟨人の不安な気持ちを、ポジティブ・アプローチに変えていきます。そうすると心に余裕が現れ、心が落ち着きます。🔶レッスン4から、智慧が現れるように導かれます。🔷存在欲は、無明から発生します。無明をなくすためには智慧が必要です。🟨最初のステップとして、欲の短所も考えてみなさい、と教えるのです。🔷世の中には、長所だけではなく、必ず短所もあります。🔶豪華な家に住んで、使用人が百人もいる。一見、楽しそうに見えますが、家の管理や財産の管理、使用人の管理が入ってくると大変です。🔷好きな人と結婚するのは楽しいですが、タダではありません。幸福を維持するためには、あらゆる工夫をしなくてはいけないのです。🟨だから、どんな幸福にも短所も付いているのだと理解することができます。🟨幸福と欲はペアです。🔷人がより一層、幸福になるのは構わないが、それに伴って、欲も強くなることは問題です。⏹️この問題は、欲の過患(短所)を観察することで解決します。 🔶幸福の表だけではなく、裏も観察しなくてはいけないのです。子供がいれば、楽しくて幸せですが、子供がいるから、現れる悩み苦しみも考えてみる。🔷子供が喧嘩してきたら、どれほど苦しいか。突然、重い病に罹ったら、どれほど悩むのかと、子供の人生がうまく進まないことを考えると、何となく幸福は悩み苦しみと、セットになっていることがわかるのです。🔶ちなみに、天界に生まれたからといって、安全ではありません。天界に生まれたら、徳を積むチャンスがなくなります。🔷修行して心を清らかにすることも、天界の次元では、ほとんど無理のようです。🟨人間として積んだ徳が終わったら、天界から命が消えます。🔶徳が減って消えた命なので、次の生まれも心配です。🔷すべての欲は短所も持っているのだと理解することで、執着が弱くなって、心が安定します。 🌟レッスン5: 罪悪 (okāram samkilesam)🌟🔶レッスン5は「心は堕落しやすい、簡単に汚れてしまう性質を持っているのだ」と観察することです。🔷世の中を観察しても、自分の心を観察してみても、成長するよりは堕落する方が簡単だと見えてきます。🟨金持ちになるためには、時間がかかるが、賭け事に執着すれば、一日、二日で貧困に陥ってしまいます。十年も真面目に仕事をしても、一回の失敗で、仕事をクビになる可能性もあります。🟨怒らないで落ち着いていることには長時間、努力しなくてはいけませんが、怒りを爆発させて、すべてをダメにするためには、僅かな時間で充分です。🟨心は堕落する方向へ、汚れる方向へと流れるのです。🔷友達をつくるのは大変です。喧嘩して別れるのは、とても簡単です。🔶世界を発展させるのは大変です。破壊するのは、いとも簡単なことです。🔷平和を維持するのは大変です。戦争は起こりやすいのです。🔶単純に言えば、勉強は難しく て嫌ですが、ゲームは好きです。何時間でもできます。🟨われわれの心は、どんな罪悪でも簡単に犯してしまう性質を持っているのだと理解しましょう。🔷命の真理として、この事実を観察します。🔶不善行為の流れは、心にとっては自然です。無明をなくして智慧を開発する道は難しいのです。🔷流れに逆らう生き方になります。🟨この存在の性質を発見することは、智慧が顕れるチャンスになります。⏹️レッスン6:出離の功徳 (nekkhamme ānisamsam)🔷お釈迦様は、生徒たちが「心を汚さずに俗世間で生きることはできない」と理解して納得するところまで、授業を進めます。🔶そこで「世間の生き方は汚染と一緒で決して離れないのだ」と納得すると、生徒になっているのは在家の人だから「自分はどうしたらいいのか?」と不安な状態になります。🔷そこで、次に出離の功徳(nekkhammeānisamsam)を教えます。Nekkhamme を日本語訳すると「出離」になりますが、🟨直訳するならば「出ていく」「さよならする」という意味です。🔶では、何を出ていく、何とさよなら、するのでしょうか?🟨欲に溺れる生き方から出ていく、欲とさよならをするのです。🔷私たちが生きている俗世間は欲まみれの世界です。🟨ブッダのレッスンを受ける人は、自分はそれに触れないようにした方が心を汚さないで済むのだ、と学びます。🔶例えば、自分の全財産を王様に没収されたら、みんな怒るでしょう。🔷しかし仏道の人はこう考えるのです。🟨「お金を持って生まれた訳でもないし、頑張って働いたから、財産が揃っただけのことだ。王様が勝手に財産を持って行ったなら、そこらの森に入って、木の実でも食べて生活することにしよう」という訳で、欲とさよならする。🔶欲から離れる気持ちがあったら、そこに平安で安穏な、幸せな生き方が現れるのです。🔷欲から離れることには、素晴らしい功徳があるのです。🔶お釈迦様は、俗世間の欲を完成させる、というアプローチを超えて、より高度な世界を教えてあげ て、六番目のレッスンを終えます。🟨お釈迦様は、ウッガ居士に、三か月間くらいかけて、この授業をやったのだと思われます。🌟【レッスン7~10】🌟⏹️〖合格者に真理の説法〗⏹️🟥レッスン7から、10は、まとめて教えています。🔶出離の功徳(nekkhamme ānisamsam)を学んだところで、🟨在家でいても、出離の気持ちが起きるように導かれます。🔷私たちは、誰でも生きていきたい。生きるためには、ものを掴まなくてはいけません。🔶それが、お釈迦様のプログラムを学ぶことで、ものを掴んで離さない生き方をやめるのです。🟨「持っていきたければ、どうぞ持っていってよ。生きるために必要なものだけど、別に構いませんよ。あったら、あったで心が汚れるだけですから」と、🔷そこまで言えるくらいに、無執着の心を育てていくのです。🔲ウッガさんに対して⏹️〔さらに)世尊は、私を、🟨善い心の者、🟨柔軟な心の者、🟨障碍なき心の者、🟨歓喜の心の者、🟨明浄の心の者と知った時、🟨諸仏のすぐれた法の説示を明らかにされました。🟨Dukkham,🟨 samudayam, 🟨nirodham, 🟨maggam. (すなわち)🟩苦、集、滅、道を🔷最後に仏陀たちにしかできない最高に優れている真理を語ります。「7️⃣dukkham, 8️⃣samudayam 9️⃣nirodham, 🔟maggam」を説き、レッスン10で終わります。🔶まず苦(dukkha) について語ります。Dukkhaとは、尊い人、聖者にしか理解できない真理なのです。🟨ここまで、心のアルゴリズムを変えて、 汚れが一つもない、五蓋のない、柔軟で、清らかな心になってから「生きるとは苦 (dukkha)である」 と初めて理解できるのです。🔶これまで、生きるというプログラム【輪廻転生】について学んできました。🟨学んで学んで、今、ウッガさんは、そのプログラムから離れたのです。🟨「生命はどんなプログラムで、どうやって生きているのか?」と観察したら、🟨「これは苦の回転だ」とわかりました。🔶なぜ苦の回転をするのでしょう。苦の回転だから、やめればいいでしょう?🔷やめられません。やめるための能力がないのです。🔶すべての生命が、そういうアルゴリズムに絡め取られていて、🟨「存在欲で生きなさい」という指令しか入ってこないのです。🔷その環境の中で、瞬間瞬間、目の当たりに起こるのは「死」なのです。🔶瞬間瞬間、目の当たりに死がある環境で 「生きなさい」と指令されると最悪でしょう。🔷サハラ砂漠の真ん中に人を放りだして「泳ぎの訓練をしなさい」というようなものです。🔶水が一滴もなく、四十~五十度の暑さで焼かれている人が、どうやって泳ぎの練習をすればいいのでしょうか?🟨そのように、我々は壊れること、死ぬことで成り立っている世界で「生きなさい」と指令されているのです。🔷真理としてのDukkhaは、そういう、からくりを知ることです。8️⃣集(samudaya)では、心に渇愛という問題があることを教えます。🔶渇愛があるから、苦が生まれるのです。お釈迦様は、ウッガさんの心のプログラムを変えてあげたので、ウッガさんには、それがよくわかります。🟨「今まで渇愛【我執・執着】に駆られて生きてきた。渇愛こそが問題である」と。9️⃣滅(nirodham)は、渇愛を滅して、すべての執着を離れたところで、涅槃という境地がある、ということです。🟨涅槃に達するためには、八正道という道(maggam)があることを教えます。🔶ブッダのレッスンは、とにかく一貫して、心を育てることなのです。⏹️苦と集(dukkham, samudayam)は、観察で理解します。⏹️滅(nirodham)は、観察したところから、推測して理解する。⏹️道(maggam)は、この仮定を作った状態(滅)に達するよう、心をセッティングする。ということで、1から10までのレッスンをお釈迦様は終了するのです。      【終了】