1️⃣🌟🌍️【2024年7月14日 (日)】
芦屋仏教会館【公開仏教基礎講座】午後1時30分~3時
講題:『観無量寿経』を読む(7)
講師:浄土真宗本願寺派総合研究所研究員・京都女子大学講師
    那須 公昭 先生
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🔷今回は観無量寿経の中でも難しいところ、像観、真身観について、詳しく教えて頂きました。
🔶独学では、理解出来なかったところ、謎がいくつも解けて、良かったです。
🔷次回は勢至観からです。楽しみです。
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🌟【配布資料】🌟
〖芦屋仏教会館 基礎講座⑦〗
         2024/07/14
         作成:那須公昭
【第7回『観無量寿経』を読む】
極楽世界をみるための方法②

⏹️0-1.『観経』の観法
⬛『観経』の“観”る
🟨如来、いま韋提希および未来世の一切衆生を教へて西方極楽世界を観ぜしむ。
🟨仏力をもつての故に、まさにかの清浄の国土を見ること、明鏡を執りてみづから面像を見るがごとくなるを得べし。
🟨かの国土の極妙の楽事を見て、心歓喜するがゆゑに、時に応じてすなはち無生法忍を得ん」と。(註釈版93)

➡ 心にある鏡に清浄の極楽国土をありありと映し出し、観る

⬛定善と散善
🟨「定」は即ち慮(おもんばか)りを息めて、以て心を凝らす。
🟨「散」は即ち悪を廃して、以て善を修す。 (註釈版七祖、301)

🟩十三観:韋提希の請いによる説法
🟩三観:釈尊の自発的な説法
🟥定善:心を一点に集中して動かさない状態で、禅定や三昧とも呼ばれる

⏹️0-2. 極楽を観るための方法
日想観から ➡ 宝楼観まで

🟥定善の観法: 極楽浄土を観察する依報(国土)観 阿弥陀仏とその聖衆を観察する正報観

🟦極楽浄土を観察する依報観:
①日想観
②水想観
③地想観
④宝樹観
⑤宝池観
⑥宝楼観
⑦華座観:阿弥陀仏の住する華座の観想

⑦ 華座観
🔵苦悩を除く法
🔵住立空中
🔵願力所成
🟨仏、阿難および韋提希に告げたまはく
🟨「あきらかに聴け、あきらかに聴け、よくこれを思念せよ。
🟨仏、まさに汝がために苦悩を除く法を分別し解説すべし。
🟨汝ら憶持して、広く大衆のために分別し解説すべし」と。(註釈版97)

1️⃣1.像観
🟧阿弥陀仏とその聖衆を観察する正報観
⑧像観
⑨真身観
⑩観音観
⑪勢至観
⑫普観
⑬雑想観

🟦⑧像観⏹️概要
🟩一仏・二菩薩が浄土に遍満するさまを観じる。
🟩閻浮檀金色に輝く仏像が華座に坐する相を観じたなら、心眼が開けて極楽国の荘厳を見ることができ、更に仏像の左に観音菩薩、
🟩右に大勢至菩薩の三尊の像を観じることができ、極楽国が法に満ちあふれている様子をみることができる

⭕如来の真身は肉眼ではみえないので、まずは仏像を正しくみるという訓練が必要 ⇒ 仮の正報観と位置づけられる

⬛「法界身」
🟨諸仏如来はこれ法界身なり。
🟨一切衆生の心想のうちに入りたまふ。
🟨この故に汝ら心に仏を想ふ時、
🟨この心、すなはちこれ [仏の] 三十二相・八十随形好なれば、
🟨この心作仏す、この心これ仏なり。 (註釈版100頁)

⭕像観が説かれる前に、仏を念じた想念の中に仏が顕現することを法界身【あらゆる衆生を教化し、利益する仏身】という仏の性格より説明

⇒ 仏を観想すると、三十二相・八十随形好をそなえた仏が心にあらわれ【是心作仏】
またその心が、すみずみにまで満ちると、この心が、そのまま仏となる【是心是仏】

☆諸仏如来➡:諸仏とは阿弥陀仏を含めたすべての仏陀

🟩親鸞聖人
🟨弥陀(専修寺本では「諸仏」)の大悲ふかければ、仏智の不思議をあらはして (註釈版、567)

*️⃣※専修寺蔵本によれば、諸仏の左訓に
🟨「弥陀を諸仏と申す、過度人道の心なり」と ある。
🟨「過度人道」とは『大阿弥陀経』【正式名称は『仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼(さる)仏檀過度人道経』】のことで、この経題によって、諸仏即阿弥陀と解釈。
🟩文明版和讚 では
🟨「弥陀の大悲ふかければ」と詠まれている

☆仏身の捉え方
⭕仏陀をどう捉え、位置づけるか。仏滅後から、仏教徒にとっては大きな課題

⭕二身說➡:法身(教えを身体とする仏陀)、化身(形ある仏陀ex)仏塔)
※空や唯識など大乗仏教の哲学的思考が発展、中国仏教で更に議論
       ↓
⭕三身說:法身、報身、化身(もしくは応身)

⏹️【『観経』阿弥陀仏の仏身・仏土の捉え方】
🔵諸師(慧遠、吉蔵など)
⭕応身、応土とみる。
『観音授記経』に阿弥陀仏が涅槃に入ることが述べられることを根拠に、無量寿といっても、それは凡夫にとっては計りしれないからだと主張

🔵道綽、善導
⭕報身、報土とみる。
🟩道綽は、従果降因として阿弥陀仏を捉え、
🟩善導は、有名な因願酬報として阿弥陀仏を報身、その土を報土と主張

【仏身の捉え方】
🟧一般的な捉え方
🟩法身:真如・法性そのもの。「色もなし形もない」
⇒ 修行困難 = エリートしかできない = 程度の高い仏身仏土
🟩報身:真理の用(はたら)き。
🟩化身:形ある仏身
⇒ 修行簡単 = 誰でもできる = 程度の低い仏身仏土

【善導大師の捉え方】
🟩法身➡:真如・法性そのもの。
🟩報身➡:因位の願行としての仏身⇒ 阿弥陀仏(是報非化)
🟩化身➡:形ある仏身

【法界身の捉え方】
⭕浄影寺慧遠『観経疏』
🟨諸仏法身与己同体、現観佛時、心中現者即是諸仏法身之体、名心是佛、望己当果、由観生彼名心作佛 (大正37、103上)

⇒ 心中に現れるのは諸仏の法身であるから 〈心是仏〉という。
🔶また、当果を望みて観察することにより、彼(浄土)に生ずることを〈心作仏〉と説示する。

⭕嘉祥大師吉蔵『観経疏』
🟨今即第一想法身仏。法身仏者、文云、如来是法界身、即是法身。一切皆是法界、一切 (大正37、244上) 皆是法身。故前作此想也。

➡法身仏を、
🟩「法界身=法身」と説明し、
🟩続けて「三十二相」を応身、
🟩「是心是仏」を法身、
🟩「是心作仏」を「二身因」と規定している

🟨心浄則佛土浄、佛土者只由心、
🟨心垢故浄土垢、心浄佛土浄、
🟨百万品心故、有百万品浄土、
🟨仏心第一浄故、佛土第一浄、
🟨故云唯佛一人居浄土(大正37、241上)

➡『維摩経』の「心浄土浄」説に基づいて、浄土と心の関係について論じる。
🔷心と仏土 は異なるものではなく、心のありようによって仏土のありようも変化すると示す

◎行者の立場からみると「是心作仏」➡「是心是仏」になっていくのは、非常に高度な修行を経て、到達できる境地。
🔶故に、ここで説かれる法界身は「法身」と捉える

【善導大師】
🟨「法界」といふは三義あり。
🟨一には、心遍するが故に法界を解す。
🟨二には、身遍するが故に法界を解す。
🟨三には、障礙なきが故に法界を解す。
🟨まさしくは心到るによるが故に、身また随いて到る。
🟨身は心に随うが故に「是法界身」といふ。
🟨「法界」といふはこれ所化の境、すなはち衆生界なり。
🟨「身」といふは、これ能化の身、すなはち諸仏の身なり。
🟨「入衆生心想中」といふは、すなはち衆生念を起して諸仏を見たてまつらんと願ずるによりて、
🟨仏すなはち無礙智をもつて知り、すなはちよくかの想心のうちに入りて現じたまふ。 (註釈版七祖、431)

⭕法界に三義あり。
🟩心遍➡:如来の大智大悲のみ心は、十方一切の衆生にあまねく行きわたっている
🟩身遍➡:み心の到りとどいているところには、御身もまたあまねく行きわたっている
🟩無障碍遍➡:如来の身心が衆生のうえに届き、救済活動をされるのに何の障りもない

➡ 法界は教化を受ける境界、この娑婆世界のことであり、
🔷この娑婆世界を教化する諸仏 が法界身であると示す。
🔶衆生の諸仏をみたい、という想念によって、仏がさまたげられることのない自在の智慧によって、心に入り現じる。

☆善導大師の指方立相
🟨ただよく想をなせば、すなはち汝が心想に従いて現じたまうこと、生ずるが如しといふことを明かす。
🟨あるいは、行者ありて、この一門の義をもつて、唯識法身の観となし、
🟨あるいは、自性清浄仏性の観となすは、その意、甚だ錯(あやま)れり。

➡ 唯識法身の観察でもなければ、自性清浄仏性の観察でもない。(註釈版七祖、432)

🟨また今この観門は等しく、ただ方を指し相を立てて、心を住めて境を取らしむ。
🟨総じて無相離念を明かさず。
🟨如来(釈尊) はるかに末代罪濁の凡夫の相を立てて、心を住むるすら、なお得ることあたはず、
🟨いかにいわんや相を離れて、事を求むるは、術通なき人の、
🟨空に居して舎を立つるが如しと知りたまへり。(註釈版七祖、432)

➡ 凡夫に如来浄土を実感させるために、淨土は西方という一定方向にあり、
🔷荘厳や阿弥陀仏の三十二相などで観想しやすいように説かれている(指方立相)

◎凡夫に、法身観をすすめることは、まるで神通力をもたないは、人に空中に家を建ててみよと要求するようなもの。
🔶愚かな凡夫のために方角を指し示して相を立て、浄土を知らせ、願わせるところに『観経』に説かれた浄土教の特色がある
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