1️⃣🟩🟧【2024年7月06日 (土)】午前
❇️第48回 紫陽聞信会
❇️常光寺くすの木ホール
❇️主催・常光寺 (真宗佛光寺派)
✡️7月6日(土) 
✨10:00~12:00 一楽真先生
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🔷一楽先生から、素晴らしいお話を聞かせて頂きました。許可を頂きましたので、少しずつ皆さんに紹介をさせて頂きます。
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🌠【講義の走り書きメモ】🌠
五濁悪世の有情の選択本願信ずれば不可称不可説不可思議の功徳は行者の身に満てり【讚題】

🔷功徳とは、優れたお徳のことであります。仏様の徳のことを功徳と言います。
🔶私達も悪いことをするのでなく、良いことをしましょう、という文脈で功徳を積みましょう、と使われることがあります。
仏教に関わる時に使うかと思います。
🔷親鸞聖人は基本的には、人間に使うことはなさらなかったと思います。
人間には、そういう徳があるのだろうか。

🔶仏の三徳というのがある。
🟨智徳、物事を正しく見る智慧のお徳です。
🟨断徳、煩悩を断つという意味で、断徳といいます。
🟨恩徳、それをもって衆生を正しい方向に導いていくという意味で、恩徳が教えられております。

🔷これが、仏の三徳であります。
私達には、恩徳というのが、一番、私達は日頃、使うかと思います。恵みの徳、私達を救って下さる徳であります。
🔶仏様が備えておられるお徳で親鸞聖人は、ここを大事にしておられて、仏になる、私達もそういう身になって頂きたい。願いを起こすことは大事であります。

🔷現代は、我が身のことばかりを考える、狭い生き方ではなくて、利他ということがあちこちで言われます。
🔶利他というのは、自利とセットであります。自利を利己的に考えられているかも知れません。
🔷自利とは、我が身の迷いを越えるということであります。他者と共に生きておりますから、他者との関係と共に傷つけ合うことを越えていく時に、自分だけ助かることはあり得ないということが、自利と利他がセットで同時であると仏教では教えるのであります。

🔶お釈迦様を例にすれば、35歳で悟りを開かれてから、説法をなさいます。45年間。それは迷っていることに目覚めた。
🔷難しいことを発明したのではなくて、迷っている。本当のことを知らなかったことに目覚めたのが悟りであります。
🔶目覚めてみると、世の中、全部がそうであった。本当でないことに振り回されている。本人は良いことをしているつもりであります。
🔷現代でもそうです。平和のためといいながら、爆弾を落としている。私達も似たようなことをしています。
🔶自分の考えに合わない人を切って、あんたはおかしい!間違ったことをしているとは思っていない。正しいことをしていると思っている。
🔷子供にはしつけている、育てているといって、一生懸命に子供の芽を潰しているかも知れません。
🔶自分が正しいと思うと突き進む危うさ、これを人間は持っている、ということであります。

🔷それが間違いであったと目を覚ましたのが、お釈迦様のお悟りであります。そうすると世の中、全部がそうなっていると、御覧になった。
🔶迷っている、痛ましい、ほっておけないので、説法をするのです。
🔷もしお釈迦様の教えに頷かなかったら、どうなるか?
大事なことに目を覚ましても、自分勝手、独りよがりになる訳です。
🔶お釈迦様が本当に救われたか、迷いを越えたかどうかは、それを頷く人が出た時に初めて仏として、お釈迦様が誕生したと言えます。
🔷初転法輪は五比丘の方たちに語ったと言われます。五人の方は、お釈迦様が悟りを開かれたことは何となく、風の噂できいている。🔶しかし修行を捨てたゴータマからは聞かないと決めていた。ところがお釈迦様が近づいてくるとそのお姿があまりにも、輝いて立派ですから、思わず声をかけないときめていたのに、うおー!と声をかけた。
🔷友よ!ゴータマよ!私に友よ、とゴータマと呼び掛けてはならないとお釈迦様は言われた。
🔶私はあなた方の友達として、今日、ここに来たのではない。本当の世界、如の世界から、来たのである。
🔷ありのままの世界、これを鈴木大拙先生は、サッチネスと翻訳されました。
🔶あるがままの世界に良い、悪いはない。人間は、残念ながら、全部解釈します。良いか、悪いか、得か、損か、勝ったか、負けたか、それでいさかいを起こしたり、差別をしたりする。
🔷痛ましいことを教えるために来たことを私は、如来として来た、如の世界から、あなた方のために来たのである。
🔶これが当時の人に伝わったのです。ありのままの事実の世界を私達は知らない。伝わったから、お釈迦様の教えは他を利することになった。これは自利と利他は同時です。
🔷お釈迦様は覚ったと言っても、誰にも届かなかったら、覚ったことも証明が出来ません。それって大事ですよね、という人が誕生したことが、仏が仏であることなのです。
🔶お釈迦様が説法を抜きに覚ったことも証明出来ない。同時なのです。
🔷言いたかったのは、最近、利他ということを強調なさる方が沢山おられる。これはこれで大事なことです。
🔶利己的なことにとどまるのではなくて、他者のことをちゃんと配慮して生きていく、とても大切なことです。

🔷しかし、その場合、自利とは利己的なことではない。本当に私が生きる意味を見いだす。何が大事かをハッキリすることなしに、利他ということは有り得ない。
🔶親が大事なことが見えていないのに子供を育てることは、成り立たない。
🔷自分自身が人生において大事なことを見出だしていなければ、教えること一つ、成り立たない。

🔶だから、自利と利他は絶対に切り離せない。それを備えているのが、仏の徳、物事をしっかりと見る智慧の徳です。
🔷そして迷いの煩悩を断ちきっておられる断徳。それを持って衆生を救っていく。恵みの徳です。これを備えているのが、仏様であります。

🔶のちの仏教徒は、自分も仏になることを目指していく中で、つまり功徳を身につけていくことが大事な課題になったのです。
🔷しかしながら、功徳というのは親鸞聖人は私達に成り立つのか、と問題にしてくださった方であります。

🔶曇鸞大師の論註のお言葉で、
真実功徳と不実功徳とあります。🔷これは天親菩薩の浄土論の御言葉に真実功徳があります。
曇鸞大師は功徳には、二つあるぞ、とわざわざ押さえて下された。
🔶功徳と一口にいうけれども、本当の功徳と、本当でない功徳がある。本当でない功徳は、嘘偽りで虚偽とは空しい、偽り、顛倒とは、ひっくり返っておる、逆さま。
🔷私達は傷つけあうことを越える、そしてイキイキとして、この人生を大事に生きる。誰もが心の底では願っている。後悔したいとは思っていない。人生を終わって空しかったとは誰もが思いたくない。
🔶大学では若い人といますと、メリット、デミット、すべて測る発想がありますし、タイムパフォーマンス、タイパというそうです。
コストパフォーマンス、コスパというそうです。
🔷要するにどれほど小さい元手で、大きな利益を生み出すか、これが一番大切であるかのように言われている。コスパ、タイパがいい!ということが大切らしいです。
🔶逆にいうと手間がかかったり、思ったほど、結果が出なかったら、やったことが無駄になったと思う。これは虚偽。
結果に結び付かないと無駄になると思わされる風潮があります。

🔷不実功徳と功徳という名前がついておりますけれども、本当の意味の功徳ではない、と曇鸞大師は、いうのです。
🔶私達は、日頃、踊らされていませんか、と投げ掛けて下さっている御言葉であります。
🔷顛倒とは、本人は価値があると思ってやっている。それがどんどん自分を苦しめる方向に動く。
あるいは、人との関係が切れていく方向に進んでいる、傷つけあう関係に進んでしまっているのが、逆さまということです。

🔶お盆の語源は、ウランバナ、逆さまという意味もあると伝えられております。でも本人は逆さまとは思っていない。間違いないと思っている。どんどん自分を苦しめ、人を苦しめることになっていないかという、呼び掛けであります。

🔷親鸞聖人のご和讃に「三途の黒闇ひらくなり」とあります。三途とは、火途、刀途、血途のことです。三途は亡くなっていく世界ではありません。
🔶親鸞聖人は今、一生懸命に生きている中で、カッカッカ、燃えている怒りの炎もあれば、妬みの炎もあります。その燃えているのが火途です。火の途【みち】です。

🔷私の父が亡くなる半年位、ベッドで根づきました。
あんまり愚痴っぽい父ではなかったのですが、何でこんなことになったのか!この間まで普通に歩けたのに、と愚痴っぽいです。
🔶外を歩いている人に、あの人は元気で歩いているのに、と言いました。元気で歩いている人を見ただけで腹が立つのです。
🔷歩いている人は何も父に何かを言った訳ではない。元気な姿を見ただけで、羨ましいと思った途端に、自分は何でこんなことになったのか。これが火途です。
🔶それを本人に言えば、あんた、なんで元気なんや!言えば、刀途になります。口の刃ですよ。
態度に出れば、腕力の刀になります。お互いに傷つけあっていくようなことになっているのが、刀途、刀の途です。
🔷そして、最後、血を流している血途です。これは地獄・餓鬼・畜生、三悪道であります。
そこに阿弥陀様の光が差せば、三途の黒闇開くなり、となります。
開くと三途の黒闇に堕ちている自分だなあ、と知らされます。

🔶私達は、自覚なしで、こっちの世界を悪を作り続けているのではないでしょうか。
🔷私達は有漏とも言われます。私達の聞法も清らかな教えを聞いているのですが、今日は聞いて得した、今日は損しなかった。
🔶大学時代に、真宗聖典で友達と競争するのです。どっちが先に開くか、どっちが何頁かを分かっているか、競いあいの道具になる。
🔷親鸞聖人が言われる通り、有漏であります。清らかな行いの筈が、手垢を染めていくのです。

🔶曇鸞大師のお喩えにありますね。清らかな食べ物があっても、それを汚ない器に盛ったら、一瞬にして汚なくなる。汚ない食べ物を清らかな器に盛ったら、器も含めて汚なくなる。だから、食べ物も器も両方とも清らかでないと、清らかさは有り得ない。
🔷有漏は、なんぼ重ねても有漏なのです。そんな私達にどうして清らかな世界が届くのか?
🔶これが今日の一番、お話をしたいことなのです。
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✴ウィキペディアより✴
✡️【プロフィール】✡️
🟩一楽 真(いちらく まこと・1957年 - )は、真宗大谷派の僧侶、真宗学を専攻する仏教学者である。
🟩石川県生まれ。
🟩大谷大学学長、真宗学科教授。
🟩学位は博士(文学)真宗大谷派小松教区第二組・宗圓寺住職、真宗大谷派擬講。
🟩所属学会は、日本仏教学会、日本印度学仏教学会、国際真宗学会、真宗連合学会、日本宗教学会。
🟩大谷大学真宗学会『親鸞敎學』発行人。真宗大谷派主催「新宿親鸞講座」講師。

【略歴】
🟨1957年(昭和32年)石川県小松市にて、一楽典次の子として生まれる。
🟨1980年(昭和55年)大谷大学文学部真宗学科を卒業する。
🟨1985年(昭和60年)大谷大学大学院文学研究科博士後期課程を満期退学する。
🟨2005年(平成17年)石川県小松市高堂町にある「宗圓寺」の住職を父より継承する。
🟨2009年(平成21年)4月1日、大谷大学教授に就任する。
🟨2018年(平成30年)3月23日、学位論文「親鸞の救済論」により、大谷大学から博士(文学)の学位を取得する。

【著書】
🟩『大無量寿経講義-尊者阿難、座より起ち-』文栄堂、2004年

🟩一楽 真 講述『第37回 金沢教区同朋大会講義録』 真宗大谷派金沢教区教化委員会、2005年。

🟩『愚禿の名のり』真宗大谷派名古屋別院教化事業部〈東別院伝道叢書 30〉2007年。

🟩『親鸞聖人に学ぶ-真宗入門』 真宗大谷派宗務所出版部 2007年。

🟩『この世を生きる念仏の教え』 真宗大谷派宗務所出版部 2008年。

🟩『四十八願概説-法蔵菩薩の願いに聞く-』文栄堂 2009年。

🟩『親鸞の教化-和語聖教の世界』 筑摩書房〈シリーズ親鸞 第五巻〉2010年。

🟩『入出二門偈頌文』聞記-二〇一四年安居次講』真宗大谷派宗務所出版部 2014年。

🟩『日本人のこころの言葉 蓮如』創元社 2014年。
     【終了】