1️⃣🟥🌟【2024年7月01日 (月)】
✡️大谷派名古屋教務所議事堂
✡️【第113回尾張講習会本講】
✡️午後2時~5時
✡️講題:教行信証「信巻」(本)試考 -本願力回向の信心-
✡️講師:真宗大谷派嗣講・同朋大学名誉教授 廣瀬 惺(しずか) 師
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🔶今回、初めて尾張講習会の本講に参加させて頂きました。
🔷教行信証について、深い学びを頂きました。
🔶最後の30分は質疑応答の機会がありましたので、遠慮なく、二つ質問をさせて頂きました。
🟨【1️⃣】信の巻と化身土巻は未完成である【曽我量深先生】といわれた未完成とは、どこを言われるのか?
🟨【2️⃣】信の巻と化身土巻には問答がありますが、問答を設けられたみ心を教えて下さい。

🌟時間がとれたら、皆さんに紹介させて頂きたいと思います。
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🌃【配付資料】🌃
⏹️【尾張講習会資料① 】(2024・7・1~3) 廣瀬惺

[1] 『教行信証』信巻の本末二巻に関する、寺田正勝師の文
①「信の巻」は、御真筆の坂東本では分巻せずに一部のものとして書かれているが、蓮如・存覚両上人の写本、その他のものの多くは本末に分けられている。

蓮如・存覚両上人が聖人の書かれた「信の巻」を恣意によって、本・末に分けられることなど考えられることではないから、聖人の御意によるものとして、一巻である坂東本と別に、二巻本が伝えられていたのであろう。(中略)
二部に分けて拝読する時、聖人の御意も素直に戴かれるのではなかろうか。
(『教行信証「信の巻」序説』120~121)

②🟨本巻では、信心とは、どんなものであるかが説かれ、
🟨末巻では、信心を獲れば、どうなるかが説かれている。
(金子大榮師の説を紹介・『教行信証「信の巻」序説』122頁・趣意)

[2] 「信巻」三一問答の字訓釈に関する曽我量深師の文

① 字訓釈は直に一心なる体験の心境を本能の言字を以て表象し、機法一如の心境、広大無碍の一心を宣布せられた。(『曽我量深選集』5・61)

② 御自身の深い体験を追求されたものに違いない。字訓というけれども、字訓によせて、深い体験をお述べなされたのである。(『曽我量深講義集』15-49)
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🟥🌟🟦二〇二四年度 第113回 講習会 講本 尾張講習会
🟪本講(7月1~3日) 教行信証「信巻」(本)試考
—本願力回向の信心―
【廣瀬 惺】
🟪次講(7月4日)
仏典「解釈」とその可能性 ―曇鸞の『浄土論』註釈を通して
【黒田浩明】
🟪特別講義(7月5日)
宗教がカルト化する時・・・何が教祖を生み出すのか
【瓜生 崇】
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✡️教行信証「信巻」(本)試考 — 本願力回向の信心 ―   廣瀬 惺

〔1〕信巻の特性

🔶信巻は難解であるというよりも、頂くについての容易なさがある。
🔷筆者は信巻と化身土巻を内苑【庭】と外苑【庭】と、とらえているのであるが、外苑である化身土巻も含んで、信巻には容易なさがあるのである。
🔶そのような、信化二巻の容易なさの理由には、それら二巻と他の四巻との性格の異なりに一因があるといえる。
🔷他の四巻が、各巻のテーマとしている法に対する讃嘆の意をもって著されているのに対して、信化二巻は、親鸞の教学表現の巻であることによる容易なさである。

🔶すなわち、信化二巻では、親鸞は自らの課題を究明しているのである。親鸞が究明している課題とは、法然との離別後の歩みにおいて感得された本願力回向の信心とは何かという問題である。
🔷そして更に、そのような回向の信心によって立つ仏教として、法然によって興隆された真宗を開顕すべく著わされている巻が信化二巻なのである。
🔶信化二巻の、他の四巻に比するそのような性格の異なりは、巻の構成内容の違いとして示されている。

🔷その違いは、大きく二点ある。
🟨一点目は『教行信証』は六巻を通して、文類と御自釈から構成されているのであるが、その位置づけの違いである。
🔶他の四巻は基本的に、文類を受けて、その文類から親鸞に聞き取られた事柄が御自釈として記されている。
🔷それに対して、信化二巻は、基本的に、課題の究明を通して、親鸞に明らかにされた事柄が、まず御自釈として記され、その親鸞己証の内容の文証として、文類が引か れているのである。
🟨そして、いま一点の違いは、他の四巻では、巻の結びとして、各巻の法に対する讃嘆の意を表す文が最後に記されているが、
🟩信化二巻には、結びの文がないことである。
🔶そのようにして、信化二巻を頂くことの容易なさの一因は、その二巻が親鸞の教学表現の巻であるところからくる容易なさである。

🔷しかし、さらに信巻には、それに加えて、今一つの頂く上での容易なさがある。
🔶それは筆者自身、信巻の要である「三一問答」への学びを通して気づかされた容易なさである。

🔷「三一問答」は、先学の書を手がかりに頂こうとしても、自らに意味のある問答として「三一問答」が頂けないのである。
🔶その容易なさを通して気づかされたことは、親鸞が感得した本願力回向の信心を、まさに、そのこと(本願力回向の信心)として頂くことの困難さからくる容易なさである。
🔷そして、そのことが、信巻のより根本的な容易なさなのである。
🔶そこで、尾張講習会では、親鸞が感得し明らかにされた本願力回向の信心とは何かを尋ねることに、中心を置いて学びたいと思う。

⏹️〔2〕「別序」の展開

🔷信巻に先立つ別序について、その要点を頂いておきたい。
まず、別序を五段に分ける。

1️⃣1. 己証の核心「夫れ~顕彰せり」➡ 本願力回向の信心とは何か

2️⃣2. 沈迷の二機 ➡ 「然るに~昏し」 ⇒ 回向の信に違背する在り方

3️⃣3. 己証開顕の学び ➡「爱に〜披閲す」 ⇒ 己証開顕の研鑽内容

4️⃣4. 疑問から明証へ ➡「広く〜出だす」⇒「三一問答」等、三つの問答

5️⃣5. 仏恩への謝念と勧信 ➡「誠に~矣」⇒ 結び

① 別序で特に大事なのは、本願力回向の信心とは何かを述べている第一段である。
🔶そして、その第一段で、まず注意されるのが発端の言、「夫以」である。
🔷『教行信証』は三序六巻のすべてに発端の言が記されているが、🟨「夫以」は「別序」のみである。
🔶今は「夫以」の「以」は置いておく。
🟨「夫」の意味は、漢和辞典に「話題をかえて相手の注意をひく言葉」とある。

🔷そこから「夫以」には、二つの意味を読み取ることができる。
🟩一つ は「話題をかえる」であり、信には前提とするものがあることを示している語であるといえる。
🔶すなわち、信は行を前提として成り立つものであることが示されているのである。
🟩そして、いま一つの「相手の注意をひく言葉」からは「夫以」を受けて述べられている本願力回向の信心が、信巻の、そしてまた真宗の要であることが示されていると了解されるのである。
     【終了】