🟨②十八願だけで阿弥陀仏に救われるのか?【人を大事にしてあげたいという心が報土・自分を大事にしてもらいたいという心が化土】我が国に生まれたいという心は阿弥陀仏と同じ心【令和6年6月23日】
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【2️⃣質問】

浄土真宗に求道はない。十八願だけで救われるという教えは、どうなのか?

【3️⃣回答】

なぜ、このような思想になるのか。それは、阿弥陀仏はすべての人を救うというお約束を建てられている。これが18願です。
だから、阿弥陀仏が全ての人を救うと誓われているから、私は救われている。
だけど、この方は誤解をしています。
この方は、阿弥陀仏の十八願を知らない。救うというのは、どういうことなのか、分かっていない。

18願に救うにあたるのが、至心信楽欲生我国、この心にしてみせる、というのが、18願の救いなのです。
そして、若し我が国に生まれることが出来なければ、私は正覚を取らじ。この至心信楽欲生我国の、この意味が分かっていない。
これを普通に訳すると、至心とは、仏心で、仏の心です。

信楽とは、本来、信じ、望む、敬う、憧れる。
至心は信楽に引っ付いて、仏の心に成りたいと思う心が信楽なのです。
となると、我が国とは何か?
阿弥陀仏が観ている世界のことなのです。
私達は自分の心で世界を見ているので、私の心が変わらなければ、浄土という世界に行っても、何も変わらないのです。
世界で幸せになるか、なれないかではなく、私の心で世界が決まるのです。
だから、仏様の世界というのは、仏様と同じ心にならないと同じ世界に行っても、今と変わらない苦しみの世界になるだけなのです。

これは、我が国というのは、仏様と同じ心の世界に生まれる。
阿弥陀仏と同じ心になることなのです。だから、途方もない話をしていることを分かって頂きたい。

この一文で、18願だけで救われる。もう救われているんだと言われますが、あなたの心は、阿弥陀仏と同じ心になったのですか?

本当に阿弥陀仏と同じ心になると、全然、違う。境地がちがう。

仏の心とは何か?
至心とは、真実心と清浄心のことです。至心とは、真実心のこと、至心とは正直な心。
清浄心とは、汚いものをきれいにしてあげたい心です。だから、相手が苦しんでいたら、幸せにしてあげたいとなっている。相手が汚れていたら、浄化してあげたい。

至心に成りたい、ということは
私は仏様のように人を幸せに出来るような幸せな心に成りたい。

それを聴いたら、疑う。あれー?そんな心になれますか?
有り難い十八願だけで救われるとはならない。そんな心になれる筈はない。

疑いもせずに十八願だけで救われる。それは、その方の思っている浄土に対する認識が違う。

本当の浄土とは、周りの人を大事にしてあげたい、という世界なのです。
ところが普通の人は、そんな心はない。なぜかというと、大事にしてもらいたい。

🟨逆なのですね?

それで阿弥陀仏は、浄土に行きたいという気持ちのない私達のために、化土を作られたのです。

ここがポイントなのです。

この方が想像している浄土とは、は、大事にしてあげたいという世界では絶対にない。
皆から、大事にしてもらいたいと思っている。それは阿弥陀仏の浄土ではない。

真実の清浄心、清らかにしてあげたい。大事にしてあげたい。
でもそんな心は私達にはないので、私達のために浄土ではなく、化土を作られたのです。

あなたは、報土に行きたたいのではなく、化土に行きたいのですよね。
化土へ行くには、頑張らなければならない。それが十九願なのです。

勿論、十八願だけで救われますよ。本当にあなたが、そうだ!そうだ!本当に人を幸せにしてあげたい、大事にしてあげたい、と心から、そんな心になれると思うなら、それでいい。
でも私達は、そんな殊勝な心はないから。だから、こんな心になれますよ、と言われると、なれる訳はないと当然、思う。
だから、阿弥陀仏は私達の心に合わせて、化土を建てられた。
化土に行くためには、善をしなさいというふうに勧められたのです。

今の順番で話をして、あなたはどんな極悪人も幸せにしたい世界ですか?
それとも自分のことを幸せにしてもらいたいという世界ですか?

阿弥陀仏は化土であっても、ちゃんと建てられているから。
本願ですから、どっちですか?
だったら、頑張って化土から、道を進んでいきましょうよ。

🟨化土は大事にしてもらいたい世界で宜しいでしょうか?

みんなから、ワッショイワッショイしてもらう世界です。
観無量寿経を見て下さい。こんな善をしたら、阿弥陀様は来るわ、菩薩方は来るわ、御輿に載せられて、ワッショイワッショイと浄土へ連れていってくれると説かれています。

🟨心が育てば、浄土になっていくのですね。
🟨大事にしてもらいたい世界を通らないと大事にしてあげたい世界には出れないのですね。
🟨なるほど。
🟨三願転入って、素晴らしいですね。

無量寿経自体が、大乗至極の経なのです。大乗というのは、幸せにしてもらう、救われる世界ではなく、全ての人を幸せに救っていく世界なのです。

🟨立場が違うのですね。

どんな極悪人であっても、どんな困難をも乗り越えて、幸せにしていく。

阿弥陀仏の本願自体、この世に法蔵菩薩を生み出す本願なのです。
🌟【曽我量深先生と、細川巌先生が言われる】

私がその願いをもって、どんな人をも救っていく誓い、本願なのです。救っていく身になる。

十八願を見ると、仏の心に成りたい。苦しみ悩んでいる人を救っていきたい。言葉を変えると大事にしてあげたい。これが十八願です。

楽チンに救われる教えはないのです。
あなたの心に合わせて建てられた願が、19願と20願なのです。

因果の道理を否定しているならば、地獄です。因果の道理を否定している時点で仏教ではない。

幸せになるためには、当然、善が必要なのです。善をしなくて、幸せになれる世界はない。

勿論、真実の世界からいうと、善をしなくても幸せになれる世界はある。

でも、それは悪を許した世界で、悪を許すには、三願転入を通らざるを得ないのです。通らない人はいないです。
      【終了】