🟥🟪【2024年6月19日 (水)】🟪🟥
❇️夕べの講座・和のこころ
❇️本願寺派名古屋別院1階ホール
❇️【夕べの講座】午後5時~7時
❇️テーマ:続・和のこころ
❇️講師:龍谷大学教授・大阪教区・浄興寺住職 玉木 興慈 さん
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🌟🌍️【配布資料】🌍️🌟
★は解説
✡️続・和のこころ【1】 ~「浄土和讃」を読む~
        【2024/6/19】
1️⃣1. 和讃とは
(1) 和讃とは従来の梵讃・漢讃に対して、和讃の制作。

★梵とは、サンスクリット、インド
★漢とは、中国

🟨 「正信念仏偈」「念仏正信偈」『入出二門偈頌』などは漢讃
🟨和讃 ⇒:和語によって、仏・高僧の徳を讃嘆したもの。
🟨「やわらげほめ」⇒: やわらかくほめ讃えた書。

★親鸞聖人時代は、平仮名よりも片仮名が使われる

(2) 三帖和讃について
①「三帖和讃」の名称
⭕宝治2(1248)年~文応元(1260)年:75歳頃から、88歳頃
⭕覚如(1270~1351) の次男の従覚(1295~1360) の『慕帰絵詞』巻十
🟨「鸞聖人作せしめ給ふ『浄土』『高僧』等、三帖和讃内の肝要を選抜侍(はべ)る」

★おそらく従覚さんが、最初に「三帖和讃」という言葉を使われたのでは?

⭕蓮如(1415~1499) による文明本が最も流布している。⇒ 文明5(1473)年「正信念仏偈」「三帖和讃」を四帖一部として開版

★当時は『往生礼讃』がお勤めとして読まれていたのを蓮如さんは『正信偈』に変えられた。
★『往生礼讃』は皆で読めば、綺麗に聞こえるけど、声を合わせるのが難しいから?

🌟「浄土和讃」118首
🌟「高僧和讃」119首
🌟「正像末和讃」116首
🟨「恩徳讃」も「正像末和讃」の1首ですね。

★親鸞聖人は500首以上、作られている。

②声に出して
🔷「高僧和讃」の圏発(けんぽつ)。四声や、清濁緩急の図。

★親鸞聖人は、声に出して読めるように作られた。

(3)
🟨弥陀成仏のこのかたは
🟨いまに十劫をへたまへり
🟨法身の光輪きはもなく
🟨世の盲冥をてらすなり (557頁)

【現代語訳】
🟩阿弥陀仏は、仏となってから、すでに十劫の時を経ておられる。
さとりの身から放たれる光は、
どこまでも果てしなく、
迷いの闇にいるものを照らすのである。
(『現代語版 三帖和讚』7頁)
✨《出拠(しゅっこ)》『讃阿弥陀仏偈』
🟨現に西方、この界を去ること、
十万億利の安楽土にまします。
仏・世尊を阿弥陀と号けたてまつる。
われ往生せんと願じて、帰命し礼したてまつる。

🟨成仏より、このかた十劫を歴(へ)たまへり。
寿命まさに量りあることなし。
法身の光輪、法界にあまねくして、世の盲冥を照らす。
故に頂礼したてまつる。

🟥無量寿======Ami tâyus
🟥無量光======Amitabha
⏹️阿弥陀

🔶日頃、正信念仏偈につづいて、6首のご和讃を読誦する際に、最も親しまれているご和讃の一つです。
🔷この和讃から「法身の光輪」「光暁かぶらぬものはなし」
「光触かぶるものはみな」
「光沢かぶらぬものぞなき」
「遇斯光のゆゑなれば」と詠われます。

★全て光と親鸞聖人は言われている。光の仏様と謳われている。
★命と光は、共に大切な言葉として、とらえておられる。

🔶また「真実明に帰命せよ」
「平等覚に帰命せよ」
「難思議を帰命せよ」
「畢竟依を帰命せよ」
「大応供を帰命せよ」と詠われます。

★皆、阿弥陀様のことを出されて、阿弥陀様に帰命せよ、と言われている。

*️⃣※盲冥(もうみょう)
🟧冥土の土産(みやげ)?
🟧冥福を祈る?
🟧草葉の陰?
⇒ 世間でよく使われる表現ですが、浄土真宗では使いませんね!

*️⃣※『教行信証』の冒頭の句(131頁)
🟨「難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。」

★今年は親鸞聖人の立教開宗、800年なので、1224年に教行信証を書かれた、と言われている。
★親鸞聖人はご自身が、浄土真宗を開いた!とは、これっぽっちも思っておられない。

★法然上人は、1212年に亡くなられる。法然上人の13回忌に教行信証が書かれている。
★比叡山から、法然は間違っている!と批判を下されたので、決して法然上人は間違っていないことを、親鸞聖人は、七高僧も経典にも書かれていることなのですよ、と言われたいと思われた。

🌟これは「総序」にある。
🌟最初の出だしは、誰でも、じっくりと考えるものです。
❇️🟨「難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。」
🌟阿弥陀様の誓いは、どんな荒波が来ても決して、難破しない船ですよ!
🌟無明とは、私達の煩悩をあらわす。私達の暗闇を破って下さるのが、阿弥陀様の光なのですよ!
🌟親鸞聖人は、光に強い思いを持っておられたのではないか?

*️⃣※「正信偈」の十二光
🟨普放無量無辺光
🟨無礙無対光炎王
🟨清浄歓喜智慧光
🟨不断難思無称光
🟨超日月光照塵刹
🟨一切群生蒙光照

🟩あまねく無量・無辺光、
🟩無碍・無対・光炎王、
🟩清浄・歓喜・智慧光、
🟩不断・難思・無称光、
🟩超日月光を放ちて、塵利を照らす。
🟩一切の群生、光照を蒙る。

① 無量光⇒;量ることのできない光
② 無辺光⇒;際限のない光
③ 無碍光⇒;何ものにもさえぎられることのない光
④ 無対光⇒; 比べるもののない光
⑤ 光炎王(炎王光)⇒; 最高の輝きをもつ光
⑥ 清浄光 ⇒;衆生の貪り (貪欲)を除く、清らかな光
⑦ 歓喜光 ⇒;衆生の怒り (瞋恚) を除き、喜びを与える光
⑧ 智慧光 ⇒;衆生の惑い (愚痴)を除き、智慧を与える光
⑨ 不断光 ⇒;常に照らす光
⑩ 難思光 ⇒;思いはかることができない光
⑪無称光 ⇒;説き尽くすことができず、言葉も及ばない光
⑫ 超日月光 ⇒; 日月に超えすぐれた光

★今日は無辺光、無碍光を話したいと思います。

(5)
🟨解脱の光輪きはもなし
🟨光触かぶるものはみな
🟨有無をはなるとのべたまふ
🟨平等覚に帰命せよ(557頁)

➡️ 無辺光を詠った和讃。
🔷辺(ホトリ)がないということ。

【現代語訳】
🟩阿弥陀仏のさとりの光は、どこまでも果てしなく照らす。
その光のはたらきを受けるものは、みな有無の邪見を離れるといわれている。
すべてのとらわれを離れさせる平等覚に帰命するがよい。
      (『現代語版』8頁)

*️⃣※無辺
🟨前(さき)に生れん者わは後を導き、
🟨後(のち)に生れん人は前を訪へ、
🟨連続無窮にして、願はくは、
🟨休止せざらしめんと欲す。
🟨無辺の生死海を尽さんがための ゆゑなり。(『教行信証』「後序」474頁)

★生死海も難度海と同じ。苦しみの海がずっと続いている。

🟪私たちの煩悩も無辺。
🟪阿弥陀仏の大悲も無辺。

*️⃣※解脱の左訓(さくん)

🟥➡️「ゲダチトイフハ サトリヲヒラキ ホトケニナルヲイフ ワレラガ アクゴフボムナウヲ アミダノオムヒカリニテ クダクトイフ ココロナリ」

🟥➡️「解脱といふは、さとりを開き、仏に成るをいふ。われらが悪業煩悩を阿弥陀の御光にて砕くという心なり」

★親鸞聖人はこれだけ、意味を細かく教えておられるのは、声に出して読んでいただきたいから。

🌟⇒⇒⇒ 六道輪廻からの解脱
🟪地獄・・・苦しみの窮まった世界
🟥餓鬼・・・常に飢餓に悩まされる世界
🟩畜生・・・人に飼われて生きている者の世界、鳥、虫、獣、魚などの世界
🟨修羅・・・絶えず対立し、闘争する世界
🟫人・・・人間
🟦天・・・すぐれた楽を受ける喜悦の世界

★六つとも迷っている悪い状態。★輪っかのように生まれ変わり、生まれ死にを、我々はずっと繰り返している。
★そこから、離れるのを解脱という。迷いから抜け出して、私達は仏になることを目指す。

*️⃣※有見・無見とは?
🟥「人間、死んだら、どうなりますか?」

✡️有見 ⇒⇒⇒ 身体はなくなるが、魂は残る。永遠不変なものを信じる。
✡️無見 ⇒⇒⇒ 何もかもなくなる。

*️⃣※有無を離れるとは?

★親鸞聖人は「邪見を離るるなり」といわれる。

🔷有無、善悪、正邪、優劣、自己と他者・・・などの誤った、偏った執着を離れる。

*️⃣※空・無自性とは?

🔶他と無関係に、そのもの自身だけで存在しているものはない。
🔷他との関係の中にある。これが縁起の思想。

★モノの本性というものは、ないんだ!

(6)
🟨光雲無碍如虚空
🟨一切の有碍にさはりなし
🟨光沢かぶらぬものぞなき
🟨難思議を帰命せよ (557頁)

➡️ 無礙光を詠った和讃。

【現代語訳】
🟩輝く雲のようにひろがる阿弥陀仏の光は、まるで大空のように、どのような煩悩にもさまたげられることがなく、その光のはたらきを受けないものはない。
はかり知ることのできないはたらきをそなえた難思議に帰命するがよい。(『現代語版』9頁)

*️⃣※無碍光
🟨「詮ずるところは、無碍光仏と申しまゐらせ候ふことを本とせさせたまふべく候ふ」(『御消息集』第31通・793頁)

★十二の光があるけれども、無碍光佛が根本ですよ!

*️⃣※無碍とは?

🟨かの無碍光仏の光明、かかる不可思議の山を徹照して、この念仏 [の]衆生を摂取したまふに、さはること、ましまさぬ故に無碍光と申すなり。
(『弥陀如来名号徳』728頁)

解脱ノ光輪キワモナク
光觸カフルモノハミナ
有無ヲハナルトノヘタマウ
平等覺ニ帰命セヨ

★三重県の高田派にある親鸞聖人の直筆のもの
★右側には読み方、左側には意味が書かれている。
     【終了】